講義レポート

「我れ、人と逢うなり」で宝物を見つける。

「神社学」 キュレーターコラム 小林由紀

神社学

神社学キュレーターの小林由紀です。

「我逢人」という禅語をご存知でしょうか?

なぜ神社学に禅語?と思われた方もいらっしゃるかもしれません。それは後ほどお話しするとして、まずはこの言葉の意味をお話しさせてください。

この言葉は、曹洞宗の開祖道元禅師の言葉で、意味は「我れ、人と逢うなり」。人と逢うことからすべては始まり、出逢うことの尊さを表した言葉です。

道元禅師は、「答えは誰かに求めるものではなく、本物の師をみつけ、そこから自分自身で答えをみつけよう」と中国へと渡り、困難を乗り越えながらも数年後にやっと師に出逢い、その時の喜びを「まのあたり先師をみる これ人にあふなり」という言葉を残しました。その後、道元禅師は、その師の元で修行をし、自分で答えを見つけることができたそうです。

この「我逢人」の意味を聴いた時、私は、神社学が頭に浮かんだのです。

人や何かに出逢うことで価値観が大きく変わる。
そんな経験をしたことはありませんか?
私にはあります。それが神社学でした。

私は、現在はキュレーターをさせて頂いていますが、元々は神社学の受講生です。神社学を通しての出逢いの中で、今までの価値観がガラリと変わるような素敵な出逢いや経験・学びをさせていただき、それは今の私の人生に彩りを与えてくれています。

先にお伝えした「我逢人」という禅語。
なぜ神社学に禅語?神社とは関係ないでしょ?と思う方もいらっしゃると思います。私もそうでした。

でも、神社とお寺、神と仏、神道と仏教を区別するようになったのは近代になってから。意外と私たちが常識やアタリマエと思っていることや無意識で行っていることは、ここ150年くらいの間で時代の流れとともに変化し、意味の多くが失われて、形だけが残っているように感じます。

でも、そこには自然と共に暮らしてきた日本人ならではの知恵や感性・信仰など、先人たちからの今の私たちへの大切なメッセージがたくさん含まれています。それを知らないで「なんとなく」で使っていたり、行っていたりするのはとてももったいない。

教授の中村真さんは「神社はアーカイブ的な存在です」と仰います。

中村さんが講義の中でお伝えするいくつかのポイントを押さえることで、神社を見る視点が変わり、そこから神社の歴史にふれ、その土地の歴史を知るきっかけとなります。さらに、その土地の歴史にふれることができたならば、そこに暮らす人々がどんな想いで、神さまのために、感謝と祈りをささげ、神社を建てたのか?そこに込められたメッセージを知ることで、私たちの暮らしている日本という国、日本人のルーツと深く向き合い、もっと深く対話ができる深い学びがあります。

日本はギネスに載るほどの長寿国家な国です。神社は、私たちの生まれるはるか昔からの歴史や人々の想いを膨大に記録し、大切なことを未来へと伝えてくれる我逢人でいうところの「本物の師」の存在だと私は考えています。師から教えてもらえることは、とても多くてつきることのない学びであり楽しみでもあります。

神社学

神社学コラム

神社学の仲間達と一緒にみたご来光

2021年で10年目を迎える神社学は全国で開催しており、延べ1700人程度の受講生がいます。
最近の神社学の受講生は、嬉しいことに受講された方のご紹介や、2回目の再受講生が多くなっています。受講後も有志で集まり登拝や温泉などへ行ったり、皆で集まり神話や日本人のルーツなどを語り合ったりと受講後のコミュニティーもすごく盛り上がっています。
人に伝えたくなるほどの面白さ、何度も受けたくなる楽しさはどこからきているのでしょうか?

それは、「人生は楽しむことだ!」と、自ら本気で人生を楽しむ姿をみせてくれ、本気で私たちと向き合い、本気で神社や日本の神さま、日本のことを熱く熱く熱く語ってくれる「本気の人」中村真さんだからこそなのではと思います。

神社学

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本気じゃないと本物は語れないし伝わらない。

誰になんと言われようとも、自分の軸をぶらさずに「神社が好き」ということを真っ直ぐに長年ずっと伝え続けているからこそ、私たちの心にすごく本気のパワーが伝わり、神社学に魅了される人が増えているのではないかと思います。

「本物の師」の神社。
「本気の師」の中村真さん。

「本物と本気」の師に出逢える神社学で、自分なりの神社とは?日本・日本人とは?の答えを見つけてみませんか?

神社学



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