シンガポールに来て早2年が経つ。しかし、ようやく慣れてきた今、この世界的なパンデミック。シンガポール政府の徹底した管理の元で行われた約2ヶ月弱の自粛生活は、当たり前にできたことが当たり前にできなくなったことを否応なく思い知らされるものだった。気づかぬうちに心も頭も閉鎖的になる日々。あ~、日本に帰りたい、山が見たい、森を歩きたい……。そういう思いが大きくなり、モヤモヤした気持ちが蓄積していくばかりだった。
そんな中、定期的に届く自由大学からのニュースレターに目が釘付けになった。ちょうど受講していた別のオンライン講座が終わったばかりというタイミングで、はっと心惹かれる「文脈登山」の文字。嬉しいことに、この授業もオンライン講座だ。私が暮らすシンガポールは1時間の時差、これなら参加できる。「文脈」とは?「偏愛」とはなんぞや?と思いつつ、山の話が聞きたいという思いに突き動かされ、迷わず申し込みを決めたのだった。
初回の講義では、同期のみんなの山歴、山愛の深さにすっかり気後れしてしまった。登山というより山歩きや森散策ばかりしている自分。なおかつ、日本を離れて15年も、山のない土地で生活を送っている。講義で飛び出す山の名前も、さっぱりわからない!
正直、場違いなところに来てしまったかな……と、後悔し始めたのも束の間のこと。大内さんの引き出しを開けても開けても溢れ出てくる山旅の話と、同期生たちのマニアック(失礼!)な山愛にすっかり魅了されてしまい、私の知らない世界の扉がどんどん開いていくのを感じた。
とはいえ、なぜ自分は、山や森に気持ちが向くのか、そんな簡単な問いにさえ具体的な理由が出てこず、自分でも全く説明ができない。山がなくても、森や丘やはたまた公園や植物園など、私の興味を突き動かす理由があるはずなのだが、それもなかなか言語化できない。そんな私にとっての「偏愛の棚卸」ワークショップは、2コマ目の講義が終わった後も、頭の中でグルグルと続けられた。
3コマ目の講義では、各自の家の中で行う「フィールドワーク」が行われた。自分の好きなものをテーマに持ち寄って、その場で発表し合う。これはオンラインならではの面白さだった。愛用するザックの紹介から始まり、次なる課題は「自分の好きな本や映画」というもの。それなら!と、私のバイブルとも言える星野道夫さんの二冊を本棚から颯爽と取り出してきて、同期に紹介した。
その夜、久々に手にしたその本のページをめくると、私はあっという間に、あの星野道夫の世界へと惹きこまれていった。もう記憶できるくらいに頭に叩き込んだ彼の文章。私を山へ森へ自然へと駆り立てる、あの情熱と世界観。そうなのだ、それを探しに、それを感じに行くことが、私の山歩きの原点なのであると、その時にはっきりと確信することができた。と同時に、これまでの私の人生を突き動かしているもの、いまの海外生活を支えてくれているもの、それらもやはり彼の広く深い世界観が影響しているのだと、あらためて気づかされた。
今まで近過ぎて見過ごしていたもの、星野道夫の本とその世界。私を形作る偏愛の要素、それは「星野道夫の世界観を探す旅」そのものだということを、この夜に再認識することがたのだ。
最終講義では、同期のみんなの発表があった。そこには、それぞれの「偏愛」がぎっしり詰まった私の知らない世界が、大空のように広がっていた。まだ会ったことのない人達の語る山旅の話は、いまシンガポールを離れることのできない私の心を遠くまで運んでくれたし、新しい興味の扉をたくさん開いてもくれた。それと同時に、オンラインだとしても距離を越えて人と繋がる素晴らしさを深く実感させてくれた。そして何より、行動が制限されているこの時期に、頭と心はいつだって未知の世界を旅することができるのだと、思い出させてくれたのだった。
Back to the Original、原点に戻り、山(自然)と私とを繋ぐ大切なもの。この講義でそれを見つめ直せたことは、期待以上の成果だった。
山へ行きたい、旅へ出たい、その気持ちは今でも募る一方だ。しかし講義ノートを読み返しては気になってメモしていたことを調べてみたり、おすすめの本を読んだりして、自宅で過ごしながらも興味は尽きる事なく、ふたたび私を旅に連れ出してくれる。
そして今、この状況が少しでも落ち着いて、同期のみんなやその仲間達、そして教授の大内さんに会える日が楽しみで仕方がない。
文・写真 第二期生 ハーマン直美さん(執筆は2020年時点)