講義レポート

来たる将来の新しい旅にトキメいた時間

文脈登山で世界を拓く【オンライン】講義レポート 第二期生 沢口裕子さん


文脈登山で世界を拓く【オンライン】」の第二期に参加しました。

 自分にとって身近な奥多摩の山々を歩く、ただそれだけが好きだったのに、それすらもはばかられるようなご時世。積んだままだった自然にまつわる書籍を読んだり、遠くに見える山々を眺めながら散歩をしたりと、自粛の日々を過ごしながらふと湧き出た疑問。それは、「なぜこれほどに山やその周辺の風景に心惹かれるのだろう?」ということと「山で出会うたくさんの人々は、何を思ってその場所に行くのだろう?」という、単純な問いかけでした。

 

 2020年コロナ禍の夏、そんな疑問について誰かと語り合う機会が作りにくい日々の中、この講座に出会いました。ここなら、なにがしかの刺激やヒントが得られるのではと思い、参加を決めたのです。

 そうは言っても「勉強」をするなんて何十年ぶりで、ワークショップなどというものはほとんど経験が無く、何をどうすればいいのか見当もつかず。受講の前は、心配でめまいがするほど。しかし実際は、教授から惜しみなく提供さる膨大な写真と言葉に触発された私は、思い出の景色を鮮やかに取り戻し、来たる将来の新しい旅にトキメいて、身体中にワクワクが満ちていくのを感じました。

 

 講義で出された課題はふんわりと大きく、最初は身構えてしまったけれど、経歴も暮らす場所も山への関わり方も違う同期の仲間たちの話を聞いているうちに、自分の中にあるものを取り出してその魅力を自分なりに話すことくらいは、出来るようになったと感じています。

 正解を出すのではなく、思いを伝えることを繰り返す。そうしているうちに、自分の中に何があるのか? 大切なものはどれなのか? そういうことが整理されていきました。

 講義の中、人前での発言なのでなんて身構えていたけれど、結局自分の中にあるものしか出てきません。それは思いのほか身近なことであり、とても単純なものでした。

 日本の中でも高峰などの経験はほとんどなく、海外の山などは月と同じくらい遠い存在。でも私には山々に抱かれて育ったという原体験と今に至るまでの長い時間があり、その時間こそが私にとっての文脈登山の源流だと気づいたのです。

 山道ひとつとっても、かつての生活道であったり、旧街道、仕事道、修験の道と様々です。近代登山のために作られた登山道でさえ、誰かの手によって拓かれて繋げられているという事実。それがとても愛おしく感じられることは、私ならではの「偏愛」ポイントなのだと、この講義で気づかされました。

 そうして最終課題。旅を編む題材として選んだのは「甲州古道」でした。

 

 日本百名山に数えられる大菩薩嶺。そのすぐそばの大菩薩峠を越える道は「甲州古道」と呼ばれ、大和朝廷時代から甲斐と武蔵を結んだ道です。江戸時代には甲州裏街道と呼ばれ諸国間の往来だけでなく、近隣集落の交易などに重要な役割を果たしたそうです。

東や北の集落から峠に上り詰めた旅人は、広くすそ野を引く富士山を見て何を感じたのだろう?その当時の道はどの尾根にあったか?いつ、なぜ道は変わったか?現在私たちが登山道として歩いている道の石積みが美しく整備されているのは、その道の重要さを表しているのではないか?地図に記されている地名の意味は?

 

 そのようなことを考え調べ、時空を超えて人々の残した痕跡を感じながら歩く自分の山旅を、仲間に紹介することに決めたのです。

 道すがらの景色、目に入った人々の痕跡をカギとして、古代に思いを馳せたり旅人の気持ちになってみたり、そこを生活の場とした先祖の姿を想像したり……。むかし手に入れた古い写真と同じ構図の場所を探しに登山をした思い出など、まとめて発表しました。

 発表は、結局、旅の経過報告です。当たり前だと思っていることを大切にするために整理して言語化する。言語化をするための糸口をこの講義で手に入れて、私の旅はまた楽しくなりそうです。遠くに行くことや大きな旅をする楽しみだけではなく、身近な場所と身の内にあるタネを丁寧に育てて、自分なりの文脈の旅を紡いでいきたいなと、受講を終えた今は考えています。

文・写真文脈登山で世界を拓く【オンライン】第2期生 沢口裕子さん(執筆は2020年時点)



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