神さまとともに暮らす・・・。随神道(かんながらのみち)という言葉で、昔から日本での暮らしの中では意識されてきた感覚だろうとおもうけど、言葉にしてみると、ものすごく大変なことのように思える。でも実はみなさんが日々の生活の中で無意識に行っていること全て、神さまとの暮らしそのものなんだろうと、ぼくは考えている。
思えば今から20年ほど前、海外の放浪の旅を終えた僕はワクワクしながら日本へ戻ってきた。長期間海外で生活をされた方がよく口にする言葉に、「外に出て初めて日本の魅力に気が付いた」というものがある。みなさんも耳にしたことがあるのではないだろうか。
僕も10代後半、当時の自分の狭い視野の中で「日本なんて面白くない」と決めつけ、アルバイトを掛け持ちしながら海外での生活に憧れ、少額を握りしめて急ぐように南米に旅立った。
その当時の経験が今に繋がっていることはわざわざ説明するほどでもないが、日本から南米へ、地球の裏側で見聞きしたことや経験したことはとても刺激的で、まだまだ視野の狭い僕が満足するに有り余るものだった。
今から20年ほど前の南米に、旅行に出かける日本人はそう多くなく、出会う旅人は海外の人ばかりだったが、そこである現象に気が付いた。それは、出会った旅人すべてとは言い切れないまでも、多くの人が「君はどこからきたのか? 僕は○○という国から来た。僕の国の政治は・・・、歴史的には・・・・。」と自己紹介から祖国の説明、そして最後には祖国自慢をしてくるということ。「日本なんて面白くない」という浅はかな理由で日本を飛び出した僕には衝撃的で、そこから、なぜ僕は他の国の人のように自国の自慢をせずに、どちらかというとネガティブな日本のイメージに縛られていたんだろうか? と思わず悩んでしまった。
自慢をするにはもちろん、その国について自分なりの理解と認識が必要だ。当時の僕にはその理解と認識がまるでなく、でもしっかり否定はする(笑)。今思えば恥ずかしい限りだけど、旅に出る前の僕は、自分が生まれた国に対し本当に無知であったことを思い出す。様々な国の人と出会い、話す度に僕は自分が「日本人」であることを日に日に意識するようになっていった。自分が「日本人」であることを、その無知で無謀な旅が教えてくれたように今では振り返ることが出来る。
旅を終えて日本に戻ってから、そこから本当の意味で、僕自身が日本人として日本をとことん楽しむはじめの一歩が始まったように思う。 そのはじめの一歩は「日本にしかないモノ / 日本でしか経験できないコト」を探すことだった。
僕はすぐに、日本の代名詞ともいえる「温泉カルチャー」に好奇心を向け、あいかわらずアルバイトをしながら少しのお金を手にすると、日本一周の旅に出て、海、山、川など大自然に抱かれるように存在する温泉へと向かった。日本一周は合計3度行い、最初はヒッチハイク、2度目はオートバイ、3度目は車で。その過程において僕は徐々に日本の魅力に触れていった。
秘湯と言われる山奥の温泉をめざし、山間部を走り奥へ奥へ向かっていったあるとき、長野県のとある限界集落を通り過ぎた。日本全国、山間部に限らず今では住む人も少なくなってきた限界集落を見かけることはよくあるが、その長野の集落も他同様、10軒程度しか住宅のない小さな小さな集落だったが、そこには4つほどの小さなお社が祀られてあった。10軒程度の集落に神社が4つ? 旅に出る前の僕だったらきっと見過ごしているが、海外において海外の人が意識する「神」の存在を少しだけ感じた僕は、「なぜ10軒程度の集落に4つも神社があるんだろう?」と当たり前のことに疑問を持つようになった。
僕は東京は神田の生まれで、生家を中心に360度見渡せば、星の数ほどの神社がある。神社とはたくさんあるものなんだという思い込みが、その存在理由への興味を失わせていたんだろうと思う。
その集落の4つの神社のひとつの前を車で通りすぎた時、鳥居の中の参道を掃除されているひとりのお婆さんを見つけた僕は車を止めて、そのお婆さんにお話を聞こうと神社へ歩いた。その神社は決して大きいものではなく、参道の先の拝殿は古いものだった。しかし入口の鳥居は建て替えられたものなのかとても新しく、「熊野神社」の名前を掲げていた。
鳥居をくぐり参道にいるお婆さんに声をかけ、この神社の謂れを伺おうと近寄ると、そのお婆さんからは驚きの答えが返ってきた。神社の名前を伺った僕に対しお婆さんは、「名前なんか知らないよ。私たちは『お宮さん』と昔からいっているんだよ」。
真新しい鳥居には確かに「熊野神社」と掲げられている。しかしその神社を掃除しているお婆さんは名前を知らない・・・。
では何故、名前も知らないお婆さんが掃除をしているのだろう? 「私はここの生まれで、母親も同じ集落の出身、祖母もそうだよ。私たちの集落が毎日無事に生活できているのは、このお宮さんがここを守ってくれているからなんだよ。私の母も祖母も毎日ここを掃除してたから、これは私の役目なんだ」。僕はここでもまた衝撃を受けた。神社の名前は宗教的要素で、お婆さんはその名前を知らない。しかし、日々の繰り返しの中に神様との暮らしを意識していることに気が付いた。日本に帰国し日本の神さまの存在にはじめて出会った、とても思い出深いエピソード。
神さまとは、神社と言う建物があればそこにいらっしゃる、という存在ではなく、その神様に思いを馳せ、存在に感謝をする人々の心の中にこそいらっしゃるのだと気が付いた。僕たち日本人が大切にしてきた心の在り方こそ、神さまそのものなのではないだろうか。
そう思うようになった僕は、個人的に日本の神さまに出会う旅をそこから25年続けている。
(担当講義:神社学, 教授:中村真)