講義レポート

先入観を打ち壊す。山に登るのは、それから。

「東京・日帰り登山ライフ」教授コラム

 それ以上登るのは危険だと、蒼穹から山の神が囁いた気がした。すぐそこには宇宙を感じるほど蒼い、3000mの頂。もう目の前だというのに、体が浮くほどの強風と、前夜に降り固まった新雪とで、残りの100mは危うい状況だった。ぼくは、山を楽しむ未来を思い、手を延ばせば届くほど近い山頂を、諦めた。とても残念だったが、途中下山も登山のうちだと、身をもって学んだ出来事だった。

 ぼくらを取り囲むコトモノは、そのほとんどが“手段”である。このコラムを読んでいるあなたのスマートフォンも、さっき打ち合わせたプロジェクトも、毎晩のように酌み交わす酒も。それら“手段”を活かすのは、アイデアなのか理念なのか。ぼくはよく“before”と“after”を思う。スマホを手にしたあなたは、通勤電車で知的な旅を楽しめるだろう。これから手掛けるプロジェクトは、こんな風に人々を笑顔にするに違いない。今宵も酌み交わす酒には、仲間と過ごす時間を美しく彩る魔法が備わっている。そんな風に“手段”を用いる前後の変化を想像し、ワクワクする“after”を思い描くのだ。自由大学の講義も、そうやってつくっている。

 では、「登山」には、どんな“after”が待っているのだろう。高い山を苦労して制覇する喜びは確かに格別だが、ぼくはちょっと視点を変えて、知的な大冒険を登山に求めている。もはや高さは関係なく、山に伝わる歴史物語や営みの“深さ”に魅力を感じるのだ。果たしてぼくは「低山トラベラー」と名乗り、旅するように各地の山里を歩いている。

 知的な大冒険は、テーマ設定に“その人らしさ”が表れる。たとえばぼくなら、「日本を好きになる」ことだったり、「地域の物語を学ぶ」ためだったり。山の経験や叡智を仕事に活かすことや、混乱した頭を整理すること、人生や愛について想うのもよい。それらを深める有効な手段が登山であり、その最高の舞台が山なのだと、ぼくは思っている。誰が言ったか知らないが、「人生に必要なことは山が教えてくれる」とは、言い得て妙である。

 そんなことを悶々と考えながら、登るだけではない山歩きの面白さを追及している。その分かち合いの場として、「東京・日帰り登山ライフ」という知的な冒険の扉を開ける仲間を待っている。教室では、あなたがもっている「登山」のイメージを、まず壊してしまいたい。あなたらしい登山が、そこからはじまることを願って。

words&photo:「東京・日帰り登山ライフ」教授 大内征



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