ぼくの登山は、街中から始まっている。
どういうことかと言うと、暮らしの中で山を発見したり、日常に山を感じたその瞬間から、空想の山旅に出かけてしまうクセがあるのだ。山を題材にした絵画や音楽を鑑賞することもそのひとつだし、山を舞台にした小説や映画を楽しむこと、山の名を冠するお酒を味わったりすることも、ぼくにとっては“登山”のひとつだったりする。
想像をたくましくすれば、山と離れていても、思いはその山へと飛んでいける。超えたいのは山頂よりも、自分の興味の方なのかもしれない。酔えば必ずそんなことを主張しているので、登山をしないぼくの友人たちはまたはじまった!とばかりに「登山って経済的な冒険だねー!」と言ってからかうのだけれど。
山を始めた最初の頃は、とにかく遠くの高い山に熱中していたものの、ひょんなことから近くの低い山にも登山の面白さがあることを発見した。それこそ、絵画に描かれた草原を探したり、小説に登場する神社仏閣を巡ったり、民話の痕跡を池や滝に求めたり。そうやって、ぼくはぼくの中の興味を超えていこうと思ったのだった。
気がつけば、登山というより「フィールドワーク」を楽しみに山へ行くようになって久しい。大切にしているのは、自分の中に芽生えた好奇心やいきさつで、ぼくはこれを「文脈」と呼んでいる。つまり、人それぞれの心の中にある物語や興味関心が、登山をより一層面白くしてくれるよ、ということ。あるいは「登山×○○」を考えてみよう、ということでもある。
『文脈登山で世界を拓く』という講義では、そういうみなさんそれぞれの背景や興味など、およそ「登山」とは結び付かなそうなマニアックな視点で山に行くことを、創造し合って楽しみたい。もちろん、ぼく自身が日本各地で歩いてきた偏愛登山も共有させてほしい。「そんな視点で登山するなんて想像もしていなかった!」とか「これはあなたにしか考えられないテーマだよね」ということを、どんどん分かち合うことができれば、どんなに素敵なことだろう!
たとえば、今日は美術館のカーペットを歩き、明日はその絵画の舞台に寝ころぶ、そんな登山を編んでみても楽しそうだ。まずは視点を手に入れて、新しい世界を覗いてみよう。もちろん初心者なら登山の基本的な質問をしていいし、上級者ならよりディープな山旅のエピソードを披露してもいい。夜な夜な、そうやってぼくらは距離を超え、興味をも超えて、無限に広がっていけると嬉しい。
TEXT:教授 大内征
担当講義:
『文脈登山で世界を拓く』
『東京・日帰り登山ライフ』