講義レポート

コロナで変わる世界

教授コラム 発展途上人学 角田陽一郎教授

僕がこのコロナ禍で感じたことでいうと、なんていうか神様がこのコロナ禍を使って僕らに要求している未来の姿が、なんとなく見えてきたように思うのです。これから角田の手前味噌な考え(妄想?)に進むのですが、まあおつきあいください。

まず最初にそう思えたきっかけは、3月11日の東日本大震災の日でした。あれから9年経ちました。あの日に僕は、note にこう書いています。

“危機が有って「みんなで一緒に助けあおう手伝おう」ではなくて、危機が有って「みんなと一緒にくっつかないで離れよう」ってのは中々難しい感覚です。

前者は他者への義侠心が生まれるかもだけど、後者は他者への疑心暗鬼が生まれやすいから。”

・・・そうなんです。このコロナというのは、人々の連帯を阻むものなのです。震災の時は、みなが被災地にボランティアで行ったり、援助物資を届けたりと、肉体的にも精神的にも寄りそう=距離を縮めることが、危機を乗り越えるための方法でした。でもこのコロナ禍は違うのです。
相手のことを想うなら、離れなければならないのです。
そして相手を“大丈夫”なんだって信じてはいけないのです。
仮に仲の良い人でも、この人は罹患しているんじゃないかと積極的に疑わなくてはいけないのです。つまり身体的・経済的に困難に苦しんでいる人にも近づいてはいけない、接触してはいけない、文字面通り“手を差し伸べて”はいけないのです。
これは、考えれば考えるほど大変なことです。つまり人類の団結と連帯というのを物理的には拒絶して、精神的には団結と連帯せよ!という難しい要求を神様に課されているからです。
これは、今までの世界が一つになるべきだ、交流すべきだ、グローバル化だという流れを押しとどめ、いや逆流させ、むしろ隔離しろ、ブロックしろ、ロックダウンしろ、というのを世界中の人類に要求しているのです。
隔離しろブロックしろは、政治の左右でいうと、右派がよく言う常徳句でした、今までは。
それが、むしろフランスやカナダなど左派政権でもコロナに関してその主張が今までの極右政党が言っていたような国境封鎖、移動制限を要求しているのです。このコロナ禍で、政治に右も左も無くなってしまったのかもしれません。

そして次に思うのは、コロナ禍の中国による封じ込めの成功もあります。当然半信半疑なところもありますが、少なくとも欧米よりコロナ禍のコントロールはうまくいっているみたいです。イタリアやスペインの20倍もいる人口なのに、被害者の数はそれ以下か、いっていたとしても同程度だからです。これはむしろ何を意味するのでしょうか?
僕の妄想(妄言?)かもしれないですが、これは欧米的な自由を第一とする民主主義の敗北なのではないでしょうか?つまり民衆の行動やなんなら思想を一定限度コントロール(制限)することが、結果的に民衆の生存権をむしろ保障しているということが厳然としていえるからです。人にとってもっとも大事な権利は何でしょうか?それは生きられること=生存権です。つまりどんなに自由を謳歌しても、コロナにかかって死んでしまうのならば生存権も何もかもなくなってしまうということの証左になっているのです。

これは、多様性と民主主義の敗北なのかもしれません。少なくとも多くの人が(僕も含めて)多様性と自由主義の正当性を支持してきました。でも、その正当性が、このコロナで崩れてしまうかもしれないのです。
この事実に気づいた時、僕はかなりの衝撃を覚えました。いままで信じてきた観念が崩壊していくようです。今まで信奉してきた生き方の行動理念を、これからは転換しなければいけないのです。そんな強制的転向をこのコロナは全世界の全人類に伝染しまくっているのです。

僕らはいまこそ“新たな自由のあり方”を考えなくちゃいけないのかもしれません。

text:角田陽一郎教授(プロデューサー/文化資源学研究者)
担当講義:発展途上人学発展途上人学(初級)オンライン講義



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