『世界から目を逸らさない。』
初日の講義冒頭に伝えられた言葉。この言葉が全5日間の講義の間、もっと言えば、ずっと頭の中から離れなかった。
「今を生きるための哲学」、講義名を目にしたとき、何かが変わる気配がした。自分の中、頭の中や心の内に新しい価値観が生まれ、湧いてくる気がした。
でも、違った。
哲学対話をするにつれ、新たな考え方や価値観がぶわっと広がる、そんなことはなかった。
と言うより、そういうものではなかった。
一つのテーマに対して、とことん突き詰める。意見や考えを否定はしない。でも、さらっと流すこともしない。まるでひとつひとつの言葉が、世界の中心になり得るかのようだった。とても丁寧で繊細な感じがした。
それでも、「今を生きる」意味を考える続けるってしんどい。「自由」「自分」「社会」「働く」、どれもこれも難儀なことばかり目につく。考えながら、苦悩しながら、ついつい意味(=希望)を求めてしまう。(「意味って何だ」、そういう癖がついたら哲学者?)
じゃあ、その対話の中で何をしているって、何を求めるかって考えた。自分の中で”欲しい考え”と折り合いがついても、そこをさらに揺さぶられると慌ててしまう。
やっぱりそう、自分なりに生きる糧(=希望)を見つけようとしていた。自分自身が棲みつく“自分”の中から、探し出そうと。
最後の課題は「生きるってなんだ?」。自分の中から絞り出した考えは、「生きるとは創造することだ。」だった。今よりマシになりたい、より良い日々を送り、良く生きる。「良く生きる」とは、前を向いて素晴らしい人生を創っていくこと。
そのためには向き合わないといけないことが沢山ある。今よりマシになることが山ほどある。しんどいな。
でも、それこそが『世界から目を逸らさない。』ってことかな。また丁寧に考える、世界の中心になり得るかの言葉を。
text&photo:オガサワラ トモ