講義レポート

利他は相手が大切にしているものを正しく理解することから始まる

「自分の言葉で考える利他学」第1期レポート

こんにちは、たちまち満席となり、期待の高かった新講義の「自分の言葉で考える利他学」。好評のうちに第1期が終わりましたので、レポートします。

利他学って、どんな講義なの?

個人としても企業としても、ソーシャルグッドなことをしたい人が増えています。ただ、実際にやってみると「他者によくするのって意外に難しいし奥が深いよね」という問題意識から企画されました。相手のためにしたつもりが、「ありがた迷惑」「余計なお世話」になってしまったり、過保護になって自立の機会を奪ってしまったり。「良いことをしている」というヒロイズムに浸る自己満足であったり、SDGsを掲げて、良いことをしているポーズだけとってる偽善プロジェクトもあるわけです。

優しさとは、ケアとは、信頼とは? どうしたら本当の意味で他者を理解し、力になることができるのか。唯一の答えはないけれど、各自が納得感を持ちながら行動に移せるよう、自分なりの答えを持っておくための講義です。『世界は贈与でできている』で山本七平賞を受賞し、いま最も注目されている若手哲学者のひとりである近内悠太さんと一緒に考えました。

集まったメンバーに、参加動機を聞いてみました。みなさんは何を期待して「利他学」を受講したのですか?

 

・世の中の利他をより拾える、感じられる状態になりたいから

・自分の仕事への向き合い方や他者との関係性における「利他」的な要素(と思っている部分)にムズムズしているので、なぜそう感じているのか?を言葉にしたい。

・いま行っているボランティアが 「利他」なのか?に対して、自分自身で、ある程度のこたえを見つけたいから

・講義と過去の体験を紐付けながら、客観的に自分の経験を振り返るため

・周囲に対する自分なりのペイフォワードのスタンスを見つけるため

・「利他とは」を自分の言葉で説明できるようになりたい。

・優しさを個人から組織・社会に広げる道筋やヒントを構想したい

・ 利他を実践できるようになるためのアプローチやコツを理解し、 瞬発的に利他行動ができるような心身の構えができているようになりたい

・利他の行動の裏側にある気づきや気持ちについて、何かしらの自分なりの答えが見つけられる

・贈与や利他に関わる学びを深めて、やさしさと心の余白を取り戻したい

・「自分軸」=「自分の判断の拠り所(価値観+倫理観+使命感?)の確立」と定義した時、この自分軸と、他者(自分がかかわる人)の幸せを両立できている=両者にとって長期的に健全な関係がつくれる状態を目指したいから


哲学は自分なりの問いに向き合っていきます。みなさんはどんな問いを掲げ深めていったのか、一部を紹介します。

・利他活動と経済性のバランスをどうとるか?

・利他が、人の中にどのように育まれるのか、どのように獲得されるのか。利他的行動ができる人とできない人の差は何なのか?

・自分が利他的と思われる行動や言動をとる時、受け入れられないことがある。それはなぜか?

・利他は 「する」ことなのか「なる」ことなのか?

・自分自身の行動(活動)が、呪い(押し付けや誘導など)にならないためには?

・既存の資本主義(DAOとか新しい流れも入れつつ)の中で「仲間と楽しく遊んでる」ことが結果、幸福的にも経済的にも最強な世界? 組織?を作りたい。その社会実験のキーが「利他」とか「贈与」とかにありそう。そんな私が目指したい世界はどのような世界なのか。

・社会的強制力や押しつけの道徳性を排除して、自然な形で利他活動が促せるのか?

・「思いがけずやってしまうこと」が利他なのであれば、「誰かのために」とはっきりと意思を持ち取り組むことや、少なからずなにかしら自分が我慢しているという意志がある場合は利他ではないのか? 自分の幸せや楽しさとのバランスをどうとるのか?

・「ミクロな/文学的利他」は、「服務規程違反」に留まっているのはなぜか?「ルール・制度内(白)」でも「クリティカルな犯罪(黒)」でもない、「服務規程違反(グレー)」だからこそ成り立つところにヒントがあるのでは?

・正しさと優しさの違い

 

どれも探求したくなる問いですね。さて、近内さんのナビゲートで、利他、やさしさ、他者理解をするための考えが深まっていきます。身近な事例なども挙げ、「あー、それあるある!」という声が上がる中、わかりやすく紐解いていきます。ディスカッションタイムには、さまざまな意見が飛び交います。例えば、こんな意見。

・わたしが利他的と思われる行動や言動をとる時、「他の人」の中に「自分」が含まれる。そのため、「自己犠牲」という感覚はない。(やりたくないことはやらない)ここにヒントがあるのではないか?

・他人の課題にはむやみに踏み込まないことが大切だと感じているのだが、どうなんでしょう

・自分の無力さとか存在の素晴らしさとかの「自己認知」や「寛容さ」の部分が、「一緒に遊ぶと楽しい」と「利他」と両方に深く関わってくるからかなあ。あと両方「かわいげ」も大事

・本当の意味で優しい世界とは、一人ひとりが大切なものを大切にできる世界じゃないか

・自分の意志、絆、自立、尊重。どこか「星の王子さま」に影響を受けている感じ。現時点では漠然としていて、どこかきれいごとで、自分なりの答えが掴みきれてません…

・人が競うのは良いと思うが、勝者と敗者の扱い方に問題があるのではないか。弱肉強食みたいに負けたら食べられても仕方がないというような考えは人間社会に取り入れたくない。強いものは弱いものを助ける、そういうことが成り立つ社会にしたい。愛と勇気に溢れる社会にしたい!

・利他の定義や実践・拡張を生真面目に追いかけることは、“無粋”なだけでなく、もしかしたら利他の本質から遠ざかり逆効果かもしれない(と悲観ぎみ)。ただし厭世観にハマらずに、(SNS映えする「“利他的に響く”ちょっといい話」も含めて)遊びながら《物語》を紡いでいくしかない(のかなぁ)

・利他的行動は単にひとつのアクションであり、そのタイミングや関係性の中で差出人と受取人双方が感じ、考え、成長してゆくことに意味があるのかもしれない。

・育った環境(自分自身が他人から利他的な良い体験がある、他人がしているのを見たことがあるなど)に左右される?

・自分が何かしらの犠牲を払っているような、我慢しているような感覚があると「続けること」は難しく、どこかで諦めてしまうのではないか…



さて、全5回を通して考え続けた利他学。利他の前提として「他者の大切にしているものを正しく知ること(=エンパシー)」、すなわち相手の物語を知ることということが大切で、それには手間暇をかけたプロセスが必要になってきます。卒業後は、各自の利他をそれぞれの持ち場で体現していきます。また集まって、その試行錯誤の物語を共有しましょう。第1期メンバーのみなさん、おつかれさまでした! 第2期も募集中です。

 

講義後の放課後タイム。乾杯から、哲学対話はまだまだ続きます…

 

 



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