講義レポート

紙を巡る旅

新旅学のすすめ キュレーターコラム

日本のものづくりの源流は、日本海側にあるのではないかと思う。それは「隋」「唐」「宋」「明」といったその当時、文明都市として繁栄した中国や隣国の朝鮮とから、ものづくりの技術の影響を多大に受けたからである。大陸から日本海流の流れに乗ると、たどり着く北陸地方、特に福井・越前にはその痕跡が多く残っている。

例えば「和紙」。紙づくりの技術が「和紙」という日本固有のものづくりへと昇華するには、楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)といった木材はもちろんのこと、冬の越前に積もる雪どけ水が大きな役割を果たしている。黄蜀葵(とろろあおい)の根から取った「ねり」と豊富で清い雪解け水との配合によって、より頑丈で繊細な「和紙」を日本の技術として開発したのだ。この「越前和紙」は、紙としての強度だけでなく、光の透過をも可能にし、その程度によって白と黒、つまりは陰影の表現を実現するに至る。今もわれわれ皆が使っている日本紙幣の透かしを作り出したのも越前和紙からの技術という訳だ。

この陰影表現を可能にした越前の「和紙」に、特に惚れ込んだのがオランダの画家レンブラントだ。彼が活躍した時代、日本はというと江戸時代の鎖国にあたる。江戸幕府と唯一の貿易相手ともいえるオランダ。北前船で福井を経由し長崎の平戸・出島まで運び、それからオランダの地に越前の「和紙」を運んだと言われている。「夜警」をはじめ、レンブラントがのちに陰影の表現で世界から注目を集めるに至ったのも、越前の「和紙」があってのことなのかもしれない。そう考えてみると浪漫溢れる史実なのではなかろうか。

「技術」と「移動」と「文化」。どこでどのように変容して価値が生み出されるのかは予測がつかない。けれどその真理としては「外の目」でものを捉えてみることなのではないだろうか。現代のレンブラント?の如くデンマークのアーティストを連れて越前を旅してきた。日本人の自分からすると、小学校の時から馴染みのある「和紙」は、ただの「和紙」なのだけれど、海外の方たちからすると、とても不思議で特別なものに映ったようだ。自分たちにとっての当たり前という「もの」や「技術」を「移動」をしてきた外の目から考えて捉えてみると「文化」的価値の昇華が生まれてくる。伝統や文化を継続させていくには外からの目を大事にし、影響を与え合うことが大切になってくるのではないだろうか。紙の伝来や発展がそうであったように。

words:岩井謙介



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