講義レポート

Tokyo Good Manner 2019

Urban Gentlemanの作法 キュレーターコラム

この講義は大都市東京をこよなく愛するアーバン・ジェントルマンを目指す男性や、ジェントルな男性たちを育てたいと心広い女性に向けた講義である。

つい先日、ほろ酔い加減で乗車した日比谷線で面白い体験をした。恵比寿に行きつけのbarで少し早めに仕事を切り上げてジントニックを嗜んだあと、会食の約束がある日比谷へ向かった。席に座ったあと、おもむろに気になった原稿の確認をしようとノートパソコンを取り出して原稿チェックをしながら、同じpcでチャットでやりとりをパコパコキーボードを叩きながら進めていると、突然、横に座っている男性が私に対して「Please stop typping its key board on the laptop….」要するにキーボードがうるさいからpcをカバンの中にしまってください、と片言の英語だったのでうまく聞き取れはしないまでも、明らさまだったのは、前に3人の女性がいただけで、その車両の私の席には他に人は座っていなかった。更に言えば、凄まじい眼光と怒った態度で私に怒鳴りつけている感じがした。

「May I ask you」とうかがった上で、「Are you deeply Drunk?? Why are you pointing out to me!?」少しよっていらっしゃいますか?そして、なぜそのような指摘をするんです?と。

電車や公共交通など、移に何かを仕事をすることは希で、特段携帯ですませば良いこともわかる。また、混雑している車内でpcを広げるのも確かに気がひけるし、隣の乗客に迷惑がかかかる。つまりマナー違反なのだろう。ただ、その日は両隣はおろか、乗客が私含めて4−5人ほどだった為に、少し驚いたのだ。おそらく、私のタイピング圧がとてもうるさかったのだろう。無我夢中でpcに向かって原稿を書いている時は特段タイピングの音がすごいことになっていると言われたことがあるのを瞬時に思い出した。

忠告を無視しつづけることもできたし、構わずにタイピングを続けることもできた。しかし、冷静に考えれば態度もよくなかっただろうし、なにせ音がうるさいのはNGなのだろう。結局、私はpcをカバンの中に納めて、忠告してくれた行為に感謝の意を述べた。若干の気まずさはあれ、ちょうど日比谷駅に到着する頃「あなたは日本人ですか?」と日本語できかれた。私は「I guess, It doesn’t matter」=それはどっちでもよいかもしれませんね、そう答えた。

この一連の行為が決してアーバンジェントルマンを指しているわけではなく、若干特異な経験となったので、お伝えしたまでで、大切な問いはgood mannerとは何か?と考えさせられたことになる。グッドマナーは人によって違うはずだからだ。みなさんにとってはgood mannerとは何か?それを掘り下げること、それがこの講義の一つのコア・ターゲット(核)です。

ルールとマナーから見えてくる人間の行為とその背景。

どんなに急いでいても法定速度を守らないと法を犯すことになり、決められた時間に出社をして、日々のタスクを制限時間内にしっかりと納品する。そうでないと、社会人としては不合格である。目上の人から注意勧告を言い渡されたらいいわけをせず、とにかく謝り、反省をする。一般的にこれらのルールを一つ一づつあぶりだしていくと、なんとも窮屈な日常が目の前に横たわる。

一方で、ピックアップしたタッパや食器は元の置いてあった場所に戻す、トレイの蓋や開けたら閉める、いただいたメールはその日のうちに返信する、プレゼントやいただいたお土産に対してしっかりとお礼や感謝の気持ちを伝える。これら一連の行為は大人として、常識人として守らなければならないマナーと言える。

ルールと比較をするとマナーにはこれまで生きてきた形跡が見え隠れるのだろうか。個性が滲みでる為に、マナーをどう評価するか?その行為の間にいる人と人とが評価をしあう構造とも言える。その結果、「あいつは失礼なやつだ」とか「常識がない」といった烙印を押されることになるし、逆に、行為や対応次第では礼儀のあるやつ、という評価にもつながる。

このルールは国や地域によって異なる。ドイツではアウトバーンで200キロ以上で高速に車を走らせても誰も文句もいわないし、インドであればウィンカーなど出さなくとも阿吽の呼吸で交通整理がなされていく、オランダやコロラド州(米国区)にいけばマリファナだって吸い放題だ。一方、そのどれもが日本ではルール違反となって社会悪というレッテルを貼られてしまう。ルールは守るもので独自の解釈がどうであれ、新たに法律やルールをつくる政治家以外はなかなかにハードルが高いし、変えようとして革命を起こすこともコスパが悪い時代だ。

その一方で、マナーを学ぶとはあまり表現されない。日本ではマナーというより道徳観念、世界ではマナーを哲学や宗教で育んでいくのだろうか。英国のボーディングスクールを通してマナーを躾けられた友人が、躾けを受けることの価値は世の中の大前提、つまりマナー全貌とその範囲がわかること。マナーを逸脱するもそうしないも、結局は自ら考えて行動した結果を社会は評価する為に、結局は法則や哲学をもって行動することに価値がある。

Tokyo Good Manner / method of being a Urban Gentlemanではルールとマナーの違いを認識しつつ、個性を軸としてアーバンジェントルマンを参加者の中から見出すことを推進していきます。



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