講義レポート

「と」の効能

教授コラム 深井次郎(自由大学学長/教授)

この「と」という言葉は、面白い。
関係性を考えさせられるし、
ものごとを俯瞰して眺められるようになる。

「わたしと会社」
「わたしの会社」
後者だと意味はかなり限定されますが、前者だと広い。「と」は「and」なのかな。「with」なのかな。「vs」なのか、 はたまた「or」 なのか。そのどれにでも考えられる。

「わたしの会社」という時、私と会社の距離はものすごく近い。というよりも、ほとんど一体。所有してしまっている。

執着することから苦が生まれると仏陀は言ったけど、所有すると執着が生まれてしまう。「の」を「と」に変えるだけで、執着が消えるからおもしろい。

本当は「わたしの子ども」ではなく、「わたしと子ども」なのだ。この2つは別人格。所有はできないのです、親御さん。この線引きができているかで、生きやすさは変わってくる。

「うちの会社」と新入社員でも半年も過ぎると言い出しますけど、あなたの会社ではないですからね。あなたがオーナー社長であっても同じ。法人は別人格。財布を別にしないと税務署に怒られてしまいます。2つは一体ではないんです。いまのところ一緒にいるけれど、この先ずっと一緒とは限らない存在です。彼には彼の人生がある。そういう風に考えると、客観的に観ることができます。

すごく教え方の上手な塾の講師がいて、そのクラスの生徒はテストの点がどんどん伸びるんです。でも、その講師には息子がいて、その子は全然成績がよくないんですね。家で親(講師)が頑張って、「こうやって勉強しなさい」って、マンツーマンで教えてるのにです。そして「わたしの子どもなのになぜ?」って言うんです。「わたしの子ども」と言ってますね。所有して一体になってしまっているから、客観的に観ることができなくなっています。冷静になれないのです。「なんでこんなのもできないんだ!」それで熱くなりすぎてしまう。息子も嫌になっちゃって、言うことを聞かなくなってしまう。これが、他人のうちの子だと別なんですね。距離があるからこそ、冷静に教えられる。これが学校の意味ですね。親が教えるのは、力が入りすぎちゃって難しい。

「わたしと子ども」。「と」がときには「with」になることもあれば、「vs」になることもあったり。どちらにしても2つは一体ではないので、執着は外れ、関係性を改めて考えるきっかけになる。

一体ではないとすると、そこには距離ができる。その距離が、ストーリーを生むんですね。

『バカの壁』というと、ぼくらバカの中にある取り除けない壁に思えます。『バカの壁』は乗り越えられなそうですが、『バカと壁』だと、そこから冒険活劇が始まりそうです。『ハリーポッターと賢者の石』みたいに、バカな主人公が壁を乗り越えるストーリーに思えます。(ハリーがバカだと言ってるわけじゃないですよ、一応)『バカと壁』これだと、なんか超えられそうな気が勝手にしてきますね。ワクワクします。「と」は関係性を示し、つなげる言葉です。広いし、関係性も様々です。本のタイトルでも『○○の○○』というぼくが「の系」と分類しているタイトルのつけ方がありますが、それを「と」にしてみると物語性を帯び、広義になります。

本でもバカが壁を乗り越える話はさまざまありますが、パッと思い出すのは『インドに馬鹿がやってきた』というコミックエッセイ。いま手元にありますが、56歳にして初海外という漫画家が、単身インドに渡って漫画を売るという無謀な挑戦の話。こういう冒険活劇のような人生を歩みたいですね。

TEXT:学長・教授 深井次郎

担当講義: 自分の本をつくる方法 ・ Lecture Planning学



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