これから、東北とどう向き合うかを考え、実際に行動する「東北復興学」。受講生の五十嵐究さんがレポートを書いてくださいました。
こんにちは。東北復興学第1期を受講しました、五十嵐究です。
この講義を受講しようと思ったのは、ネットを眺めていて偶然自由大学のHPを見つけたことがきっかけです。数ある魅力的な講義の中で僕が最も興味を惹かれたのは東北復興学と募集文の一文、「被災地と向き合うきっかけがなく、モヤモヤしている人」でした。
僕は山形出身でありながら、震災以来一度も隣県の被災地を訪れることなく、ただそれでもそろそろこの課題と向き合わなきゃいけないと思いながら時間を浪費してきました。そんな状態だったので東北復興学のページを見て、こんなにいい機会はないだろうと即受講を決めたのでした。
東北復興学の第2回講義は宮城県の荒浜でのフィールドワーク。僕は震災後初めて被災地を訪れました。そこで目の当たりにした光景はまさに想像を絶するもので、再び1年前の出来事を思い起こさせるには十分なインパクトがありました。それに加えて教授の大内さんからこの荒浜がかつてどのような場所で、あの時何が起こったのかレクチャーを受けたことで、頭の中のイメージがさらに生々しく、痛みを伴ったものとなりました。とはいえ実際に被災された遠藤農園の遠藤さんの話をお聞きして被災地が新たな一歩を踏み出しているというイメージを得られたのも確かです。
こうした現地でのフィールドワークを通して僕が強く思ったのは、被災地の時計の針は動き続けているということでした。僕たち東京に住んでいる人間が、震災前とほとんど変わらない日々を過ごしている一方で、被災地の人々はその営みに新たな時を刻んでいるという事実を、現地に行かない限り僕は知ることはなかったと思います。
この第2回講義の後、僕はもう一度、一人で荒浜を見て回りました。水圧に負けて歪んだシャッター、1階部分が丸裸になったままの家屋、津波の凄まじさを物語る荒涼とした防潮林、そのどれもが震災の悲惨な光景を想起させるものです。しかし同時に当時の状況に思いを馳せるだけではダメなのではないか、被害を受けていない人間としても一歩踏み出さなければいけないのではないかと感じました。ただ、もし何も考えずにこの地にやって来ていたら、そのような思いを持つことは難しかったと思います。
つまり、第2回のフィールドワークはただ訪れるだけでは自分の中に生まれなかったような視点や考え方を僕に与えてくれた、という点で非常に意味のある経験となりました。
東北復興学には異なるバックグラウンドを持ちながら、同じく東北に何らかの形で貢献したいという志を持った人々が集まり、そしてそれぞれがアイディアを持ち寄って自分なりのアプローチを構築することのできる場が提供されています。全5回の講義を経て、僕が受講前に抱いていたあのモヤモヤは、今でははっきりとした形を持って僕が故郷を、そして被災地を思いやる土台となりつつあります。