わたしたちは、なぜ物語を必要とするのでしょうか。
「自分の体験」を「自分の心」に収めるために、体験や経験を自分の世界観や人生観に組み込んでいく必要があります。それが生きる、ということです。
受け入れられないものは無視され、排除され、なかったことにされますが、それは消えてしまったわけではありません。心の奥底に沈殿しているだけです。
自分の心はなんとか受け入れて欲しいと思い、異物とされたものは心の奥底でくすぶり続けています。微熱のように。
矛盾したように見える複雑なものを自分の心に収めていくためには、そこに一筋の、場合によっては複数の「筋道(プロット)」が必要になります。そうした「筋道(プロット)」の存在こそが物語の特徴でもあります。
相手が「事実」を述べているように見えることも、よくよく聞いていると、その人の心の中に収まるための筋道を持っていることに、気づくでしょう。わたしたちは、外的な現実と、内的な現実とが響き合い、リアリティーを創造して生きています。
自分にふさわしい物語をつくりあげていくことは、誰にとっても生きていく上で大切な仕事です。
自分の物語に組み込めないものが、心の病や心の症状につながっていることも多いものです。
人間関係や、体験した苦難や苦労、、、、自分の物語に組み込めているでしょうか。
「死」に関しても同様です。
わたしたちは生と死を関係づけるため、死の物語を必要としますし、自分の奥底からも死の物語を発見する必要があります。
自分の無意識の世界を自分なりに探索していると、これまで意識することのなかった心の働きを新しく発見し、新しい視点が獲得されるのです。
これまでバラバラに存在していたものを「関係づける」意図から、自分自身の物語が創造されます。
小説や物語や神話を呼んで感動するのは、そうした自分の心の動きを、うっすらと感じているのでしょう。
自分の体や心がどのように働いているのか、多くの人はまったく知らないものですが、それでもうまく機能しています。自分の知らない心の働きが生じて、全体としてうまく機能しているわけです。
ただ、全体的な統合が破たんしないために、わたしたちは「物語」を必要としているのです。
『ものがたり』は『もの』が語る話であるとすると、心の奥底にある『もの』とは、果たして何なのでしょうか。
そうしたことを共に考えていきたいと思います。
(text: ストーリーテリング学2期 ゲスト:稲葉俊郎さん)