私たちは新潟県十日町市まつだいに「山ノ家」という場を持ち、また、東京・清澄白河(江東区白河)にgift_lab GARAGEという二つの場を持ち、それらの二拠点を行き来するライフスタイルを「ダブルローカル」と呼んでいる。
そして、一つに絞らずに行き交うことを通して、「どちらも否定しない」という感覚を自然と持てるようになった。
人は、いま自分がいる場所をよい場所と考えるために、そこ以外もしくはそれ以前にいた場所を否定してしまうことがあるが、私たちは二拠点の往還を繰り返すことにより「複数の視点で、ここではないどこかを見ること」を通して「どちらの場にも良い点があり、かつそれは繋がっている」と考えられるようになることに気づいたのだ。
では、「ダブルローカル」という言葉に含まれる「ローカル」とはなんなのか?
一般的に使われている印象を観るかぎり、東京などのいわゆる都市圏以外の地域を指す意味合いとして使うことの方が大半ではないだろうか。
しかし、実際に私たちがこのライフスタイルを通して感じているのは、「東京にもローカルはある」ということだ。
始めた時には漠然とした感覚では考えていたが、恵比寿から清澄白河というエリアに拠点を移し、日々を過ごしていくなかでそれは確信と言えるようになった。
山ノ家のあるまつだい周辺で感じていたことと同じ感覚が東京でも存在するのだ。
さて、そうなってくると、「ローカル」の定義は一体なんだろう。
これは、これまでのさまざまな形で対話する中で感じていることなので、正解があるという訳ではない。
そのなかで考えるに、「そこに『顔』が見える」ことと、「そこにしかないものがある」ということなのではないかと感じている。
その上で、ダブルローカルということを考えるに、単に複数の場所に生活とナリワイの拠点があるというだけではなく、その拠点を包括するエリア、広がりに対して(自分たちの)「場」を開いていくという状態、その営みを通して生まれてくる状況など、拠点がソリッドな定点ではなく、それ自体が日々うごめき繋がり変化していく運動体のようなものであること。
それは多くのクリエイティブな刺激に満ちている。
【おすすめの本】
書名:POWERS OF TEN: A Flipbook
著者:チャールズ&レイ・イームズ
横たわった男を真上から見つめる1メートル角の視点が、
10倍に、10倍に、拡大されて行き太陽系の果てまで行き着く。
そして次は逆に視点がどんどんミクロの世界に向かい、
10分の1、10分の1、の縮小を繰り返して素粒子の世界まで。
イームズ夫妻による傑作短編教育映画「パワーズ・オブ・テン」
(1968年)。CGなどなかった時代に、驚異的な滑らかさで移動して行く「視点」に驚愕する。そのフリップブックが本書。
パラパラとめくればいつも、手の中で壮大な宇宙が無限大から極小へと行き交う。自己の視点を宇宙の果てに、素粒子の果てに飛ばせば、眼前の問題を見つめ直し、新たな発想を引き寄せるための視点変換トリガーとなってくれるのである。
text : 教授 gift_(後藤寿和・池田史子)
担当講義: 未来を耕すダブルローカルライフ