講義レポート

大きなものさしと、小さなものさし

「地域とつながる仕事」3期2回目

第二回は早稲田大学・大学院教授の友成先生のお話が印象的だった。ミクロとマクロの世界のお話だ。ミクロとマクロというと「経済?」と連想するが、今回はもう少し哲学的な話であった。

社会を語るとき、大きなコミュニティや企業、一つの国のようなマクロな視点から物事を見ていることが多い(見ざるを得ないとも言える)。大きい人の集まりの中で重要になってくるのは、人の考え方を一般化したり、人の行動を数値化したりした「大きなものさし」だ。大きなものさしは、肩書き、偏差値、収入、などにも置き換えられる。例えばAさんという人がいて、その人を理解する上でそれらの大きなものさしはある程度役に立つ。けれど、そこには必ず優劣がついてしまう。

一方、ミクロの世界は一人のひとに目が向けられる。一人のひとだけを見るとき、周りとの比較=大きなものさしは必要ない。大切なのは、自分が幸せかどうか、生きていて楽しいかどうかだけだ。

自分にとっての幸せの水準には、明確なものさしがない。ないからこそ、有名な大学に入った、大企業に就職した、平均よりも収入が多い…と、大きなものさしで自分の幸せを測ってしまう人も多いのではないか。一昔前であれば、それでよかったかもしれないが今はそういう時代でもない。まさに、「幸せはいつも自分の心が決める」と相田みつをが言ったように、そういう時代になってきている。

タコつぼと、素ダコ

ここまでなら経済学の教授が話しそうな内容かもしれないが、面白いのはここから先だ。友成先生は、大きなものさしをタコつぼと、小さなものさしを素ダコと言い換えた。

学歴、役職、肩書きなど、誰がみてもわかる建前のツボの中に、本音の素ダコがいる。人はいつもタコつぼに入っていて、タコつぼから出てくることなど、相当勇気を出さない限りできない。けれど人は、もともと素ダコだけの存在だった。うねうねと動く赤ちゃんに学歴も役職もないけれど、ただ生きることに一所懸命で気持ちの良いことがあれば笑う。小さな命に論理も何もないけれど、生き物として力強く輝いている。

赤ちゃんが歩き出し、社会との関わりが増えていくと、自然とタコつぼができるのだろう。そしていつしか、大人になればなるほど大きく硬くツボを作ってしまい、気づいたら中の素ダコが見えなくなっていた…なんてこともあるはずだ。

自分でもタコつぼが素ダコだと認識違いをしてしまうこともあるかもしれない。ごっちゃになりがちだけれど、全然違う中と外。しっかり分けて考えないと、どんどんこんがらがる。

物事を見る眼鏡が一つ増えた、第2回でした。

サポートスタッフ・山口祐加



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