講義レポート

対談:「共」というチームが、ほしい未来につながる

「コミュニティ・リレーション学」教授・信岡良亮×クリエイティブチーム・佐藤大智

「コミュニティ・リレーション学」教授・信岡良亮さんとクリエイティブチーム・佐藤大智さんが「コミュニティ」にまつわる対談をしました。信岡さんが教えてくれた、今までとこれからのわたしたちの暮らしの中での「共」の役割とは?

(ライター:新井作文店)

*都市と田舎の関係性を作りなおすために東京に来た

佐藤さん ぼくは福島県出身で、茨城の大学に通い、東京で働いています。体はここにいるけど、気持ちは地元にあって、自然が好きです。目線は地域や環境に向いていて、島根県の島・海士町というローカルで事業を行ってきた信岡さんと話したいと思っていました。信岡さんは今、なぜ海士町から東京に活動拠点を移しているのですか?

信岡さん きっかけになった一番大きい体験は、3.11のあと。8月ぐらいに東のお米は怖いから西で買うという人が増えて、運営していた通販サイトの予約が一気に増えたんですね。でも、それって、ちっともうれしいことじゃなかった。どこかの地域がダメだと思われてしまった分、他の地域が盛り上がるというのでは、日本の田舎全体が疲弊していくことに抗えないと感じたからです。

佐藤さん 地域単体は盛り上がったけれど、それではダメだということですね。

信岡さん そう。これでは、すべての田舎が魅力的になることはありえない。一方、世の中的には、経済的に黒字になっている都市ばかりがフィーチャーされている。けれど、実際、都市には茨城や埼玉や四国など地方出身者がたくさんいる。つまり、田舎で生まれた人が稼げるようになったら都市に出てきている。その都市と田舎の関係性を作り直したいと思った。関係性をつくるということは反対側にいる人と仲間になるということ。それで反対側の都市に移ってきました(笑)

 

*事態が変化したときも「共」というチームがあれば大丈夫

佐藤さん そういうフェーズにいらっしゃるんですね。でも国を自分たちで動かそうとするのはすごく大変そうで、ぼくは自分たちが理想だと思うことを地域でやっちゃえばいいんじゃないかって思っています。今、友達が武蔵小山で20〜30人の同世代が集まるコミュニティをつくっているんですが、そんなように地域を楽しんで、住民が主体的に「村をつくる」路線はあるなと思うんです。

対談信岡大智

信岡さん それにつながる話だと、「公・共・私」というモデルがあります。英語で言うとパブリック(公)とコモンズ(共)とプライベート(私)。コモンズというのがそのコミュニティに当たります。

日本にはもともと「共」のシステムが根付いていたんですね。江戸時代のころまで。例えば、五人組という制度があって、村や集落で税金を納める際の単位になっていた。これは年間10個の年貢を納めるように言われた時、五人のうち一人が休まざるを得なくなってもあとの四人がカバーすればいいというシステムなんです。年貢を一緒に納めるという意味で結ばれたチームというもの。それが明治維新のあと、中央集権化する際に市が生まれて、お金で税金を個人から得るシステムに変わりました。このようなことがいろいろ起こって「共」という単位がなくなりました。

その「共」の代わりになったのが、終身雇用制度のある会社なんですね。ただ、会社によって成果主義や目的主義が走った結果、二項分布の世界になってきた。上ぶりと下ぶりに分かれてしまい、経済の軸で生存できる平均ラインより下回った人が生きにくくなってしまった。そこで「共」が必要になる。「共」の役割は、この上と下をつないで、生存ラインより下になってしまったとしても生きていけるようにしましょうということなんです。

佐藤さん 力がない人でも生きていけるように。

信岡さん そう。そして、実は、世の中の事態が変化した時でも「共」というチームがあれば大丈夫なんですよ。もしも、次の瞬間に円が崩壊して農業をして食べていかなきゃいけなくなったら、経済の軸で上にいた人が農業の軸で下に回ってしまうかもしれない。そんな時に、「共」というチームがあれば、農業の軸で上にいく人が下回った人を助ける側に回ることができる。

そうやって、みんなが集まって未来のポートフォリオを組んでみよう、と。その方法を考えるのが「コミュニティ・リレーション学」なんです。

佐藤さん ああ、つながりました(笑)

信岡さん ぼくたちは「公」のルールに従って「私」で物を買う消費しか知らないんです。でも「共」では自分たちで自分たちのルールをつくっていかなければならない。それを小さくやるならシェアハウスかもしれないし、大きくするなら都市と田舎が同じ「共」をつくることだと思う。「共」をつくる方法を学んでいかなきゃいけないだろうって思っています。

 

*わたしたちは貨幣経済以外の取引システムを知らない

佐藤さん 今、話を聞いていて、ぼく自身、シェアハウスに住んでいたり、仲間内のコミュニティを求めていたりする理由になんとなく気づくことができました。きっと「私」の部分に限界を感じているんです。そしてやっぱりコミュニティとしての方が楽しい気がしています。

最近は自宅で発酵食品をつくっているのですが、それも美味しさだけを取ったら大手メーカーのほうが味はいい。でも、一緒につくる過程が、昔なら田植えを近所の人たちみんなで作業していたようなことの都会バージョンになっているように思うんです。

一般的な世界でも、コミュニティを必要としている人は増えている気がするんですけど、信岡さんの周りではいかがですか?

信岡さん ぼくの周りにはそういう方が集まるので、感じることは多いと思います。でも、一般的にはまだ少ないでしょうね。その原因になっているのは、簡単に言うと、一般的にわたしたちは貨幣経済以外の取引システムを知らないから。

貨幣経済の取引システムについての「GIVE & TAKE」や「Win-Win」という言葉に代表されるものは、因果関係で説明できてしまうでしょう。

製品AかB、どちらかのサービスに1,000円支払う価値があるのかどうかを今一瞬で判断するとなったとき、製品Bより製品Aのほうが安くて美味しいなら、製品Aを選ぶことが正しく感じられる。でも、よくよく調べると、製品Bの生産者は子供好きで、子供がなついて「おじいちゃん」って遊びにいくようになるかもしれない。そうしたら、子供を預かってくれるかもしれない。だとしたら、製品Aではなく製品Bを買おうと思うかもしれない。けど、それは因果関係では説明できませんよね。

佐藤さん そうですね。不確定要素がありすぎます。

信岡さん しかも、決算スパンが長いんです。わたしたちは、今すぐ提供される価値にマッチしてフェアかどうかを判断することに慣れすぎてしまったから、その先に発展していく関係性を想像しづらくなっています。

でも、すごい話もあるわけです。3.11の時に法隆寺などの寺院から東北へ大金が寄付されました。それは大仏をつくる時、東北から寄進された過去があったからだというんです。1000年以上を越す話なんですよ。

対談信岡大智4

佐藤さん そこまでいくと、不確定というのを越えて、どうなっていくかわからないけど寛容になるとか、その人をいいなと思ったら時間なり行動なりを起こしていくとか、そういう話になりますね。

信岡さん 本当、好きか嫌いかの話になっていく。そういう意味で、縁起をよくしていこうと思うと、結局、自分の心に従って生きていくほうがいいって話になり、それで最近はマインドフルネスが注目されたりしています。オープンになって自分とつながる世界にいたほうが、自分の未来に対しても縁起が起こる確率は高まるわけですから。

 

*都市と田舎、どちらのモードも理解すること

佐藤さん ぼくはサラリーマンをしていましたが、お金ありき、利益ありきではなく、心からやれることをしたくて、今はお金の有無に縛られずに動いてみています。そっちのほうが幸福度が圧倒的に上がっているのですが、信岡さんも島での生活で幸福度があがったように感じていましたか?

信岡さん そうですね。というのも、島の生活では、社会やコミュニティに対して安心感がありました。都市では契約に対して必ずパフォーマンスを出さなければならない。でも田舎やコミュニティでは、自分がそこにいていい、ちゃんと貢献できているっていう安心感が得られるんです。

でも東京に来て、コンビニで40代過ぎのおじちゃんが働いているのを見ると、どうしても無下に扱ってもいいような気分になってしまう。都市が、そうなってしまうような環境だとわかっていても、心がそうなってしまうからすごい。

佐藤さん そうか。ぼくも先週福島県から帰ってきたんですが、新宿に降り立った瞬間、モードが変わったんですよ。がやがや音がして、人がウォーってきて。心がきゅっと狭くなった。ヤバイと思っちゃいました。

信岡さん そうですよね。でも、都会がNGという話ではないんです。英語になると思考が変わるように、モードが変わるというのはまさにそういうこと。必要性があって、そうなっているんです。世界にとって、都市機能が必要だったタイミングがあるから生まれているので、そういう差分を覚えることが大事。

佐藤さん みんな田舎にいけ!っていう感じじゃなくて、そうしたい人はそうすればいいし、東京で活躍したい人は東京をフィールドにすればいい。

信岡さん もちろん、それでいいんだけど、たとえば都市という言語が田舎という言語に比べて一番優れていると思い始めたらおかしくなる。だから、別の言語がしゃべれるようになると、人生豊かになるよねっていう感覚をみんなが持てるといいですよね。例えば、グローバル経済になるから英語が必要だと言っても、たかだか人口10%くらいのこと。サッカーができるほうが30%くらいの人とコミュニケーションできるかもしれないし、笑顔でダンスが踊れたら90%くらいの人とコミュニケーション取れるんじゃないかな。それくらい多様な世界観の人と一緒に「共」が創れたら、みんなで幸せに生きていける確率があがるんじゃないかなと思っています。

2016/02/19 都市にて

【関連サイト】
コミュニティ・リレーション学(募集中:11月7日まで)



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