講義レポート

つながりは出会いからはじまる

コミュニティ創造学 キュレーターコラム むらかみみさと

 

1月に、ポルトというポルトガル北部の街を訪れた。ドウロ川の下流に位置し、古い町並みが残る風光明媚なポルトガル第2の都市だ。スペイン国境方向の東に向かった川の上流は、ワインの一大産地となっている。
そのドロウバレーと呼ばれるエリアを巡る、日帰りツアーに参加した。ホストはポルトガル人。参加者はイギリス人男性、オーストラリア人グループ、そして日本人の私。当然、ホストの力量は体験の価値を大きく左右する。でも参加者の空気感は、それ以上に場へ大きな影響力を持つ。
この一時の集団はコミュニティとは異なるが、コミュニティはまさにこのような出会いから生まれて育っていくことも多い。その気さえあれば、異国の地で偶然出会い、世界各地に散らばる仲間との繋がりを持ち続けることは可能で、その輪を拡大することもできる。


良いコミュニティとは何か。枠組みや看板はもちろん、何をするかも、実はそれほど重要ではない。大切なことは、参加者がそこで何を得られるか。そして人を惹き付ける魅力を持っているかだ。だから活きたコミュニティは、アメーバのように姿かたちを変えていく。
何かを得ると同時に、与えることができる者同士が集まることも大切だ。求める人ばかりではコミュニティの資源はすぐ枯渇するし、与えるメンバーは疲弊してしまう。自分はそこで何ができるのか。自分自身を見つめ、自分の価値を作っていくコミュニティは健全で活発だ。

職場、家族、地域の繋がりが薄まっていく中で、第3、第4の場所が求められている。そこで私たちは自由に意見を交換し、時間とお金を寄せ集めて、1人では出来ないチャレンジも可能になる。別に大きなことを成し遂げなくても、誰かと楽しい時間や思い出を共有する体験は、日々を驚くほど豊かにするはずだ。
社会の流れを見れば、私たちの孤独はさらに加速していくだろうと思う。でも少し勇気を出せば、自分の居場所は自ら作ることができる。
人と繋がることも、繋がりを育てることも、そこから何を得るかも、すべて自分次第。何かが起こるのを待つのではなく、求めるものを探しに行くことが、私たちが孤独に呑まれない方法ではないだろうか。
楽しさは常に人との繋がりから生まれる。コミュニティ自体が新たな世界として、私たちの日々を豊かにする可能性を持っている。

ツアーの翌日、メンバーの1人の女性と街で偶然出会った。ほんの十数秒の短い会話を交わしただけだが、私と彼女の縁はすでに結ばれていることを感じた。出会いは常に未来への可能性を孕んでいる。

 

【影響を受けた本】

小川洋子『密やかな結晶』

読むたび、不感症であることの恐ろしさを感じる。香水、写真、鳥、暦など様々なものが1つ1つ失われていく架空の島。主人公の小説家は、小説が消滅すると蔵書を燃やし、物語を紡ぐことを忘れた。自分自身とも言えるほど大切なものが消失しても、失った悲しみすら消え去って「正常な日々」に戻っていく人々の姿に、私も知らず大切なものを無くしていないか考える。感受性は時に苦しみをもたらすが、それこそが人生に厚みと豊かさを与える。

text:キュレーター むらかみみさと  担当講義:コミュニティ創造学



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