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そこでしか味わえない感動体験のうまれる場所をつくる

FLY_54|松沼雅久さん/「屋久島 民宿すぎのこ」オーナー、Campfire Hotels マネジャー

インターネットでかんたんに人と繋がったり、情報を共有できる時代だからこそ、リアルに体験することの価値が高まっています。自由大学『復興クラブ』の活動に携わり、現在は屋久島での民泊事業などを手がける松沼雅久さんにお話をうかがいました。


自由大学の東北復興活動に参加されていたそうですが、どんなきっかけだったのでしょうか?

自由大学との出会いは2011年に『日本ワイン学』を受講したことです。当時(自由大学のメインキャンパスがあった世田谷区の)三宿に住んでいて、ルームシェアをしていた友人が『自分の本をつくる方法』を受講したので、自分も通ってみようと。講義が東日本大震災の後のタイミングだったので、授業が終わった後、キュレーターだった和泉里佳さんたちと震災の話をよくしていました。私は両親が宮城県出身ということもあって、震災への関心が高くて、話している中で自由大学として何かやりたいということになりました。具体的には『復興クラブ』を6人ぐらいで立ち上げることになりました。

 

自由大学での復興活動としてどんなことをされていたのですか?

仙台の海岸沿いにある半壊した民家をお借りして、東京や他の地域から人を呼んでキャンプをしながら活動拠点をつくりました。畑を耕したり壊れた建物を修復したりする中で、現地を知っていく。復興しましょう!というより、交流しながら現地を知るのが目的ですね。1泊もしくは2泊ぐらい、1年に3、4回連休など利用して活動しました。私は2011年から2年ほど関わっていました。別の復興のプロジェクトにも関わっていたので、その後はそちらに注力していったかたちです。

 

働きながら復興に携わっていたのでしょうか?

2011年5月までコンサルティング会社で働いていて、それ以降は東北復興の事業をはじめました。『復興クラブ』とは別に、個人で現地へ行って支援をしたりしていたんですが、個人の力では限界がある、組織的にやらなくてはと思うようになり、RCF復興支援チーム(当時)と契約して活動をはじめました。被災地支援を検討している民間企業等とともに、復興事業をプロデュース及びコーディネートして、支援を届ける活動です。私は福島の担当になったので、東京と東北を行ったり来たりしていました。2015年の3月まで、4年弱ぐらい震災復興に携わってきました。

 

震災復興に区切りをつけようと思うきっかけなどはありましたか?

東北復興活動からいつ退くかはずっと考えていました。関わり続けたい気持ちはありましたが、一つのことをずっと続けるのは得意ではなく、今後も関わるのであれば、いったん区切りをつけるべきと考えました。それで2015年を一つの区切りにしようと決めました。

 

その後に屋久島で民泊をはじめられたのですか?

最初は京都で民泊をはじめました。当時は東京、京都、大阪が民泊の主要な舞台だったのですが、飽和してきて面白みがなくなったなと感じるようになり、別のエリアに進出しようと考えはじめました。これから観光で伸びそうな、魅力のあるエリアはどこかと探した結果次は屋久島に決まりました。民泊事業を一緒におこなっていた人が鹿児島出身で、鹿児島の離島はどうかという話になって。物件を探している時タイミングよく屋久島で民宿をたたみたいという人と接点ができたんです。

それが2015年の10月ぐらいのことで、年明けから現地で準備をはじめて「民宿すぎのこ」をオープンして1年ぐらいですね。15部屋ぐらい稼働していて、たまたま屋久島に移住したいという人がいたのでその人に現場の運営管理はお願いしているので、自分はもう頻繁には行っていないんですが。ビジネスという点で考えると、民宿経営はとても「おいしいビジネス」というわけではありません。ただ、自分が行きたい場所各地でビジネスをやりたいと思っていて、それができているので楽しいですね。

立ち上げ段階は終わったので、現在は民泊、民宿に加えてグランピングの事業(Campfire Hotels )をしています。グランピングとは簡単に言うと「ラグジュアリーなキャンプ」ですね。知人の手伝いからはじめましたが、それをこの1年本格的にやっています。最近では島原城でグランピングをしようとか、グランピングを絡めてイベントをしたい、という企業と協業したり。

 

松沼さんがオーナーをつとめる「民宿すぎのこ」(屋久島)

 

たとえば、地方に移住して働くというやり方もあると思うんですが、震災復興も民泊事業も、松沼さんは東京を拠点にした働き方をされているんですね

地方で根を張って活動している方はすごいなと思いますね。自分は東北復興では東京と福島半々ぐらいでしたが、移住となるとまったく別のエネルギーが必要だと思います。東京には自分のコミュニティもあって、それを大切にしたいという気持ちもありました。

 

サラリーマンを辞めて、震災復興、民泊、グランピングといろいろな事業を手がけていらっしゃいますが、関心の軸というか、動機になるものは何かあるのでしょうか?

サラリーマン時代はスーツ着て満員電車に乗るというのが無理で、8年ぐらいはそういう生活をしたのですが、向いていなかったと思っています。

震災があったので結果的にそれがきっかけで会社を辞めましたが、「自分で事業をしたい」という気持ちは元からもっていました。震災復興に関わったのは想定外というか、起こってしまって、関心が高かったのでそれに時間を使うことになったという結果です。会社に所属しない働き方をすると、時間を自分の優先順位で使うことができると思います。会社に時間的な拘束をされないぶん、仕事や遊び、趣味、家族、自分が好きにできる時間が増えるので、自分らしく生きやすいのではないかと。

自分の時間を差し出しているぶん、サラリーマンは一定の給料を貰えるなどフリーランスや起業するより安心感はありますけど。自分自身新しいことが好きで楽しくやればいい、うまくいかなそうなときはやることややり方を変えればいいと思っています。あるいは、またサラリーマンに戻ることも可能性としてはあると思います。

カナダの大学に通っていたこともあって、海外との接点も多くて、旅行も好きなのでよく行き来していました。日本に帰る飛行機も日本人だらけで、「海外の人って日本に来ないのかな」と残念な気持ちがありました。自分でインバウンド事業をやろうとはしなかったんですが、考えてみるとコミュニケーションとか、海外との繋がりは今の仕事に活きています。

 

Campfire Hotelsのグランピング風景

最後に、今後どのような仕事をしていきたいですか?

インターネットではできないこと、味わえないことを手がけたいですね。私は(新潟県の)長岡花火が好きで、そこにいれば説明不要の感動が味わえるんです。グランピング事業で言えば、大自然のど真ん中でグランピングすると感動するだろうなと想像したり。理由付けとかロジックとか、やり方は色々あると思います。自分としては、感動を与えられるものがあって、もうその絵を見ただけで、「行ってみたい」「参加してみたい」、そう思ってもらえる。そんな感動が生まれるような仕事をしたいと思っています。

 

受講した講義:『日本ワイン学』『キャンプ in 仙台 』
取材と文:むらかみみさと(ORDINARY
撮影:武谷朋子



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