10年以上にわたる研究で、科学的データを基にパワハラ発生のメカニズムを明らかにした津野香奈美さん。2023年1月に出版したばかりの新刊『パワハラ上司を科学する』(筑摩書房)を手に、永田町キャンパスに来校されました。津野さんは自由大学創設まもない2009年、「自分の本をつくる方法」の記念すべき第1期に通われました。出会いから13年、満を持しての出版に、学長で同講義の教授・深井次郎さんの喜びもひとしお。(単著として) 初出版の背景や研究者としての生き方について対談しました。
プロフィール
津野 香奈美(つの・かなみ):神奈川県立保健福祉大学大学院ヘルスイノベーション研究科准教授。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。博士(医学)・博士(保健学)・公衆衛生修士。10年以上にわたり職場のパワハラ等の人間関係や上司―部下の関係性と健康との関連に関するエビデンス(科学的根拠)を継続的に発表している、社会医学系研究者。研究結果を現場に生かすべく、企業や自治体でコンサルティングを実施している。2023年『パワハラ上司を科学する』(ちくま新書)を出版。Twitter https://twitter.com/KanamiTsuno
津野さん、出版おめでとうございます! まずは新刊『パワハラ上司を科学する』を簡単に紹介していただけますか?
はい、ありがとうございます!この本は、「パワハラに関する数々の疑問に科学的知見で回答する」ことをテーマとしています。具体的には、パワハラとは何か?(第1章)、誰がパワハラしているのか?(第2章)、パワハラを引き起こす上司のリーダーシップ形態とはどのようなものか?(第3章)、なぜパワハラが起こるのか?(第4章)、パワハラ上司にならないためにはどうすればいいのか?(第5章)という疑問に答えています。
パワハラを科学で解明するのは新しいですよね。とかく上司個人の難のある性格であったり、ブラックな業界や職種のせいにしてうやむやに片付けられてきてしまい、サイエンスになっていなかった印象です。
はい。これまでのハラスメント対策本は、裁判例を基に解説したものや、相談対応者が経験則をまとめたものが大半でした。パワハラの発生要因やメカニズムについては、科学的研究でかなりの部分が明らかになっているにも関わらず、それらが認知されていないため、エビデンスや根拠に基づいた対策が行われていなかったのです。
それどころか、「ハラスメントかどうかは、相手が不快に思うかどうかで決まる」等の誤った認識や、「部下と関わらなければパワハラになることはない」という、誤った上司の行動がなかなかなくならない、いやむしろ増えている印象さえありました。パワハラに関する真実を伝えることで、この世から誤った部下対応をしている上司や先輩を一人でも多く減らしたい、という想いで執筆したのが本書です。
もともと講義に参加されたのは2009年。他の期では出版したメンバーがたくさんいるのですが、1期からは意外に初なんです。当時ぼくも29歳と若かったし、津野さんもあの頃は大学院生でしたね。
そうです、当時はまだ博士課程の大学院生でした。物心ついた時から本が好きで、いつか自分の本を出してみたいと思っていて。深井次郎さんが『自分の本をつくる方法』という講義を自由大学で開講すると聞きつけ、「これは行くしかない」と思って第1期生として入学しました。
ここだけの話、実は最初は自己啓発や恋愛に関するテーマで本を執筆しようと考えていたんです。しかし、最初に書いたラフ原稿を深井さんに見せたところ、「最初に出す本は、自分が専門とする内容の方が良いと思う」「せっかく研究しているんだから、そのテーマで書いてみたら」というコメントを頂き、「自分が胸をはって”これが自分の専門だ”と言える状態になるまで、まずは実績を積もう。本を出すのはそれからだ」と考え直すきっかけになりました。本書は、そのアドバイスに愚直に従った内容となっています。
津野さんの場合、せっかく志が高く骨太な研究をされているのに、よくある20代女子の恋愛エッセイに括られては少しもったいないかもと思ったんですね。もちろん面白いし売れたとは思いますが、1冊目がヒットすると著者のこれからの生き方、方向性を変えてしまうから、将来のキャリア像と合わせて考えるのを勧めてます。
ほんと、勢いでエッセイを出版しなくて良かったです(笑)。その節は本当にありがとうございました!
「どうしたらパワハラを防げるのか?」という問い、上司のリーダーシップの研究に取り組もうと思ったきっかけを皆さんに話してもらえますか。
大学生の時にパワハラを目撃したことがきっかけです。ノルマに厳しい会社で、契約が取れないと長時間叱責されるなどの、典型的なパワハラ行為が行われていました。その結果、そもそもアルバイト以外に社員が5人しかいなかったのに、半年間で3名の社員が辞めてしまうという事態になったのです。
実はその上司は私には優しかったのですが、社員を次々と追い込むやり方に、強烈な違和感を覚えました。「会社の売上を上げることが目的なはずなのに、人を潰す指導方法はおかしい」と。ただ、当時大学生だった私には、その上司に対し具体的な代替案や解決策を提示することができなかったんです。その時の悔しさと自分に対する不全感は、今でも忘れられません。そしてそれと同時に、こういった状況が他の企業でも起こっているのではないだろうか?と危機感を覚えたのを、良く覚えています。
この時、「管理職に対し、部下を潰さずに生産性を高める方法を伝えられる人になる」ことを決意しました。そのためには専門的知識が足りなさすぎると思い、大学院へ進学することを決めたのです。
研究者、教育者として生きることについて。今の職業には、なぜ惹かれたのですか?
実は、大学院に入った当初は、研究者になろうとは思っていませんでした。国家公務員の試験勉強をしてみたり、就活サイトに登録してコンサルティングファームを調べたりと、キャリアプランはかなり揺らいでいたと思います。ところが、大学院の教授陣が素晴らしく、とにかく研究の話や講義がおもしろかった。「研究者になるのも悪くないな」と思い始めていたところ、修士1年の夏に初めて研究室のゼミで発表した内容が好評で、教授にも「研究者に向いている」と言われたのがターニングポイントです。
そのままの勢いでとりあえず日本語で総説論文、英語で原著論文を書いてみたところ、これがまた、大変ながらも楽しかった。また、当時職場のいじめやハラスメントと健康影響に関する研究がまだほとんど行われていなかったこともあり、「他にやる人がいないのであれば、私がやるしかない」「とりあえず10年はこのテーマに取り組もう」と思って、研究者になることを決めました。
私は大学も留年していますし、学生として決して優等生ではなかったからこそ、つまづく学生の気持ちもわかる。こういう人間が教育者になるのも悪くないだろう、と思ったのもあります。
研究者って、普段どんなことをするのでしょうか? あくまで「津野さんの場合」でかまいません。
研究者と聞くと、白衣着て実験室でフラスコや試験管持っているイメージを持たれる方も多いかもしれませんが、私がいる分野は実験をしないドライラボなので、研究の際はずっとパソコンに向かってデータ解析をしたり論文執筆をしています。
ただ、大学教員の場合、実は研究に割ける時間はそれほど多くありません。講義や研究指導や委員会や学外業務が多数あり、その合間に研究している感じです。私はフロー状態に入ると5時間くらいは一心不乱に解析して表にまとめたり論文執筆し続けるタイプなので、「今日は集中できそうだな」と思う日は、夫に「今日は帰らないものと思って欲しい」と連絡し、家事育児を全て任せて、明け方まで作業することもあります。夫には本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。
学びかた、例えばインプットはどのようにしていますか? いろいろだと思いますが、研究者ならではの方法は。
やっぱり、論文を読むことですね。研究のお供は、Google Scholarです。世界中の論文を、無料で、かつ分野横断的に検索することができます(※論文を読むのは有料の場合あり)。ハラスメントに関する研究は、医学、心理学、法学、経済学、マネジメント等多岐にわたるので、気になる論文をひたすら片っ端から読んでいます。
やりがいや誇りに思えるのは、どんな時でしょう?
研究の一番の醍醐味は、「自らの手で、何か新しい発見を生み出せること」「社会に還元できること」ではないかと思います。研究成果は、研究者のものではない。社会に還元されて初めて、その知見が生きると考えています。
もちろん、苦労して書いた論文が受理された時の喜びもひとしおですが、私の場合は、自分が提供した科学的知見が実際の現場の役に立っていると感じる時にやりがいを感じます。ハラスメント問題に悩む担当者や、部下対応に悩む上司に知見を提供し、現場での応用方法についても提示することで、うまく悩みが解決できたり問題が解消されること。また、そこで得られたリサーチクエスチョンを科学的手法で検証し、再度現場に還元すること。研究と実践の場を繋ぐところが一番、私が大切にしている部分でもあります。
現在、参与を務める自治体では「上司のお悩み相談室」を開催しています。部下対応に悩む管理職から、ありとあらゆる相談にのっているのですが、それはもう、皆さん悩んでいること悩んでいること。不安でいっぱいだった相談者が、晴れ晴れとした顔で帰られるのをみるのも、やりがいを感じる瞬間です。
逆に、自信をなくしたりすることはありますか?
うーん、あまりないかもしれません。あまり自分に期待していないのと、立ち直る力が異様に高いので、一瞬落ち込むことはあっても基本的には寝れば次の日には忘れてしまうタイプです。くじけてしまいそうな時は「セルフほめ」ですね。「がんばってる!えらい!」「きっとこれは世の中の役に立つ」「きっと喜んでくれる人がいる」と言い聞かせて、自分が一番の自分自身の味方でいるようにしています。
あと、あまりに状況が悪すぎる時は、とにかく「やばいぞ」という状況を楽しむことにしています。先日はABEMA Primeの生放送に出演したのですが、出演直前のスタジオの雰囲気がかなりピリピリしていました。それも含めて楽しむしかないな、と開き直ったら、実際に緊張せずに楽しめました。こういう考え方や立ち回り方は、学生の時にひすいこたろうさんや深井次郎さんの自己啓発本を片っ端から読んで実践した影響が大きいと思います。
嬉しいなぁ、本は力ですよねぇ。それでも逆境に陥ることってありませんか?
逆境は… どうでしょう。私自身が書いた論文に対し「あの人は他の人に論文を書かせてる」と噂を流されたり、ストーカー被害にあったり、セクハラに遭ったり、円形脱毛になったり、思い返せば色々と辛いことをたくさん経験してきました。ただ、私はかなり人に恵まれているんです。辛い時、常に誰かしら、辛い想いを聞いてくれたり、味方になって応援してくれる人がいた。そういった人のおかげで、今の私があると思います。私自身も、辛い想いをしている誰かの味方でいたいと考えています。
今回は初の単著ですね。出版にいたった経緯を教えてください。
パワハラを科学的に分析し、科学的根拠に基づいた解決策を提示できる人は、おそらく日本には私しかいないと思います。「私がしなければ」という使命感でこれまで述べ10,000名以上に講演・研修してきましたが、やり始めて10年経っても、いつも「初めて知りました」「もっとはやく知りたかった」と言われるんですね。自分の身体一つで、日本の隅々まで情報を拡散することは限界があることを痛感しました。そこで、本に分身になって貰おうと。
ただ、あまりに手持ちのデータが膨大すぎて、どこからまとめたら良いのか悩みました。その時「パワハラ」という言葉の生みの親である(株)クオレ・シー・キューブの岡田代表から、「一度、本にまとめる内容を話してみたら?」と提案して頂いたのです。そこで2021年、各3時間・全6回から成る『パワハラ対策研究会』を開催することになりました。
そこで話した内容を抜粋し、企画書をまとめ出版社に持ち込んだところ、編集会議で採用が決まり執筆するに至りました。実は編集者からは最初、「内容が専門書レベルなので、筑摩選書で出版した方が良い」と勧められました。ただ、どうしても「新書」が良かった。多くの人の手にわたるには、手に取りやすいサイズ・値段であることが重要と考えていたからです。
なぜ筑摩書房なのか? なぜちくま新書なのか? と言うと、ちくま新書には、研究者がまとめた膨大なデータを、大量の参考文献と共に出版した実績があったからです。他社出版の新書の中には、参考文献と文章がリンクしていないものもありました。しかし、研究者としてはそれは避けたい。どの文章の出典がどの参考文献なのか、明確にわからないと、原典に当たることができません。読者がファクトチェックできること、それが条件でした。
仕事のほかに、休日、楽しみにしていることは?
子どもと遊ぶことですね。夫婦共働きなので、平日はなかなかゆっくりと子どもと時間を過ごすことができません。そのため、休日は必ず家族でどこかに出かけることにしています。
登園時間が決まっている平日と違って、いくら道の途中で寄り道しても良い時間は、休日ならではです。ひたすら「かわいいな~」と思って接していますね。この間、初めて2人(3歳と1歳)が手を繋いで歩いていたんです。もう、その姿がかわいすぎて。完全に親バカですね。
ふふふ、それは萌えますねぇ!
最後に、これは皆さんに聞いているのですが、「あなたにとって自由とは?」
「自立していること」「人生の主導権を自分自身が持つこと」です。私は割と精神的自立が早かったように思います。昔から「人は人」「自分は自分」という考え方なので、誰かに依存しようと思ったり、考えを押し付けたりしようと思ったこともありません。初めて東京から和歌山に引っ越して一人暮らしし始めた時も、一度もホームシックにならないどころか親にも一切連絡をしなかったので、しばらくして親から「生きてますか?」と生存確認連絡が入ったほどです。
ただ、世の中にはそうでない人の方が多いかもしれません。学生の頃に、「自分の人生に主体性を取り戻す」というテーマの自己啓発セミナーに参加したことがあるのですが、自分の人生に主体性を持っていたのは、参加者の中で私だけでした。その時、ふと思ったんです。「自分は既に主体性を持って人生を歩んでいる。次にすべきことは、他者を助けることなんだろう」と。
ありがたいことに私は主体性を持って人生を歩み、仕事もある程度選べていますが、そうでない人の方が圧倒的に多い。仕事が選べない状況で、上司がパワハラしてきたら、それこそ逃げ道がありません。そんな悲劇が起こらないように、私にできることをこれからもしていきたいと思っています。その一つが、本書です。
『パワハラ上司を科学する』が1人でも多くの方の手にわたると、職場でパワハラが起こる原因とメカニズムについて正確に理解できる人が増えます。その結果、パワハラ問題に経験と勘で対応するのでなく、根拠に基づいた対応ができるようになる。さらに、パワハラ上司にならない方法を身に着けることができる。つまり、この世からパワハラ上司を一人でも多く減らすことができると本気で信じています。
ぜひ、一人でも多く、この輪の中に加わって欲しい。もう既に買ってくださった方は、職場からハラスメントをなくすことを目指す私の仲間だと思っています。一人でも多く動けば、世の中が変わる。本書の中身を、ぜひ実践に繋げて頂ければありがたいです。
発売以降、取材やメディア出演のオファーも続いていて、確実にこの輪が広がっていますね。ぼくもこの本を読んで、改めて「パワハラ撲滅を諦めてはいけないな」と思わされました。かつて属していた現場でもありましたし、思えば自分が受けたこともあります。この問題は根深くて、撲滅を諦めそうになることもあります。しかし、それはまだ早い! 社会が変わる可能性に気付かせてくれる研究と洞察でした。素敵な志、応援しています。今日は久しぶりにお話できて楽しかったです。ありがとうございました!
<書店での様子>
新刊『パワハラ上司を科学する』津野香奈美著 2023年1月発売
銀座 蔦屋書店 – GINZA SIX にて (許可を得て撮影しています)