ブログ

氏名には使命が隠されている | 学長コラム

自由大学FREEDOM UNIVERSITYメールマガジン  Vol.475

深井次郎

『氏名には使命が隠されている』

「どうしたら人生をかけるテーマが見つかるのでしょうか?」

ミドリムシの研究で知られる経営者、出雲充さんは「まず何でもいいからコンフォートゾーンから抜け出そう」とアドバイスしています。彼自身、学生時代にたまたま旅したバングラディッシュで出会った子供たちの栄養失調状態にショックを受け、何とかしたいと思い立ちました。

もし、ぬるま湯の毎日から飛び出していなかったら、情熱を傾けられるテーマには出会えなかっただろう。そんな確信があるようです。

確かに、ビジョナリーな活動家には、逆境や葛藤の中からテーマを見出した人が多いことに気づきます。「どうしてこんなひどいことが起きてるんだ!」怒りを持つのは悪いことと教育されますが、とても大切な感情です。

心地よいコンフォートゾーンの外に出ると、必ず感情が揺れます。思い通りにいかないので、恥ずかしい思いだったり、緊張、不安、そしてそれを何とかしたいという欲望も生まれます。おかしいなと疑問も湧くし、もっとこうしたらいいのにとアイデアも出てくる。

自ら飛び込んだ勇者もいれば、望んだわけではなくしょうがなく巻き込まれた受け身な人もいるけど、ぼくの場合は後者でしょうか。できればぬくぬくとぬるま湯で安定して生きていきたいのに、何かしら事件が起きてしまう。高校生の頃に父親の勤める会社が倒産して路頭に迷ったり、社会人になり起業してからもうまくいかず1人で会社を飛び出すことになったり。同級生たちが立派に出世し結婚し家族をつくっている中で、ぼくはひとりぼっちの無職になりました。

そういう心細さが、「自分は何者で、どう社会と繋がっていきたいのか」を探求する原動力になりました。人生の転機には、同志との出会いで道が開ける。そんな原体験がいまの学びの場づくりにつながっています。

ひとりぼっちの時は、心細さも手伝って人とつながる力が増します。ひとり旅の人のほうがカップル旅よりも、出会った人との会話が多いですよね。そんな感じで、いろんな作家や経営者に話かけ(インタビュー)に行きました。

さて突然ですが、数字はいくつから始まると思いますか? 「0や1から」と答える人がほとんどですが、本当は2です。もし1しかなければ、1は自分が1だと気づきませんし、数字で数える意味もありません。2以上の存在があって初めて数字が機能する。存在はまず2から始まります。そのあとで3を認識し、振り返って1を認識し、最後に概念として0を認識できるのです。

この話は、ある思想家に教わった話です。氏名にはその人の使命が隠されているんじゃないか、という仮説を議論していた時のこと。

ぼくの名前は今時ちょっと古風な「次郎」と言うんですけど、「次=2番目」「郎=男」でつまり「この子は我が家の次男です」って意味しかないんですね。刑務所じゃないけど、1番、2番って番号と一緒。それがちょっと寂しいなとこぼしたら、さっきの話をされたんです。

「何を言ってるの、2が存在の始まりなんだよ」

哲学はもともと、自分は何者なのかを知りたいと思って始まった学問ですが、知るためには2が必要なんですね。自分以外の何か、つまり抵抗がなければ、自分という存在を認識することができません。逆境にぶつかったり、他者と比較したり、愛する対象を見つけたり。

そうしたらね、偶然ぼくの担当している講義のキャッチコピーは、こんなものだったんです。つくりたい本を考えるのは、「自分は何者か」に答えること。2人して笑いました。

「ほら、氏名に使命が隠されてたじゃん」

毎日コンフォートゾーンにいると、1しかありません。自分の思い通りに進むし、想像通りのルーティンをこなすだけ。抵抗が何も起きないわけですから、自分の存在意義を感じられないのも無理はありません。やりたいことも生まれにくい。やりたいことは免疫みたいなもので、普段はおとなしくしているけど抵抗が入ってくることで反応します。

ただ、やっぱり初対面の人と話すのは緊張するし、慣れない環境で恥をさらすのはできれば避けたいもの。そんな中で先日、会社員を卒業してフリーランスになった人がこんなことを言っていました。

「今までは会社に行けば勝手につながる社会があったけど、これからは違う。自分から何か起こさないと人とつながれない。4月になれば自動的に新しい知り合いができるなんてことは、もう永遠にないんですね…」

できる範囲でいいんだけど、安心安全な居場所から飛び出して、ちょっとだけ冒険してみる。そんなあなたの一歩を自由大学は応援できたらいいなと思っています。

TEXT:自由大学学長・教授  深井次郎



関連するブログ