自由大学の卒業生で、キュレーターとして講義づくりにも関わった管大樹さん。現在は愛媛県今治市にある商店街の活性化に取り組んでいます。なぜ東京から今治に活動の拠点を移したのでしょうか。地域に入って試行錯誤する管さんにお話をうかがいました。
−現在は愛媛県今治市で活動されているそうですね
2016年の10月から今治に移住して、ほぼ休みなく働いています。今治市の地域活性活動として、いわゆるシャッター商店街を元気にする仕事です。
−今治での活動についてお伺いする前に、自由大学との関わりについて教えてください
最初は生徒として、その後キュレーターとして自由大学に関わりました。まだ池尻に拠点があった、2012年〜13年ぐらいの期間です。2012年頃、ちょっと記憶が曖昧ですが、たぶんFacebookで『アメーバワークスタイル』の投稿がシェアされたのを見て、自由大学を知りました。
飲食系の専門学校の職員を辞めてフリーランスの講師になった時期で、フリーの人がどういう働き方をしているのか知りたいと思っていました。特に飲食業界以外のフリーの働き方を知りたくて、『アメーバワークスタイル』に参加すればフリーの人がいっぱいいるだろう、仕事のやり方を聞いてみたい、と思ったんです。
−期待通りの学びはありましたか?
それが、参加してみたらサラリーマンをしている人が多かったんですよね。今、フリーでどう生き残るか、というよりも、「このままサラリーマンをやっていいのか?」といった、生き方を悩んでいる人が大半でした。でも集まった人たちと話をしているうちに、いろいろな会社、職業、年代の人と話すことができて楽しかったですね。まるで人間交差点みたいな場所だなと思いました。
僕は『アメーバワークスタイル』と『日本ワイン学』を同時に受講していて、水曜日にアメーバ、木曜日にワイン学、と週に2回、原宿(当時)のIKI-BAに通っていました。講義での学びだけでなく、講義が終わった後は、1階に降りて受講生と飲みながら話をする時間が貴重でした。フリーランスで時間があったので、池尻のIIDに行って他の講義の人と知り合って、自由大学のスタッフとか卒業生とか、横のつながりが広がっていきました。
−その後、講義を作る側として関わるようになったんですよね。どんなきっかけがあったのでしょうか。
これも講義の後のコミュニケーションからですね。僕が受講した講義は2つとも、(自由大学クリエイティブチームの)和泉里佳さんがキュレーターをされていたんです。和泉さんに「専門学校でコーヒーについて教えています」という話をしたら、「コーヒーの講義を作ってみませんか」かと誘われて、流れで講義作りに関わることになりました。
教授が決まっていなかったので、一緒にやれる人を探すところからはじめました。Facebookの繋がりから ONIBUS COFFEE の坂尾篤史さんにアプローチして教授になっていただきました。当時はブルーボトルコーヒーが東京に来る直前で、「コーヒーバブルが来そうだ」という話をしていました。その通りバブルになりましたけど、僕は流行りを追っている感じになるのは好きではなかったので、数回キュレーターをつとめて身を引くことにしました。
講義以外でも自由大学祭でコーヒーを出したり、ワイン学でもワインを出したりと、いろいろな活動をしました。
−生徒として、運営側として、管さんが自由大学で得たものはなんですか?
さっき人間交差点という表現をしましたが、面白い人たちと出会えました。『ファンタスティック古事記』教授の小出一冨(今は改名し三石晃生)さんや、海士町にいる大野佳祐さん、大内征さんとか。今でも繋がっています。
講義を通しての学びとしては、「体験したから身になる」という経験です。僕は『日本ワイン学』でワインの勉強をしました。講義では座学だけでなく、ワインの飲み比べもしますが、正直、飲んでも違いがわからなかったんです。たとえば「これはワインの中で酸っぱい種類」と教えられても、自分の味覚の納得感がありませんでした。
それが、産地に行ってみて、作っている人と話して、ワインが作られている風景を見て、頭の中のイメージだったものを実体験して飲んでみたら味の違いがわかったんですよ。東京で飲み比べたときわからなかったワインの味の差を現地で感じることができた。このとき、実際に体験しないとわからないんだと実感しました。
−今治に移住される前から、地方に興味があったのでしょうか? 今治に行くことになる直接のきっかけを教えてください。
昨年、愛媛県で働きたい人を募集する説明会が東京であって、それに参加したことが今治移住を決めたきっかけです。たまたま人がいなかった今治市のブースで話を聞いたら、今治市に寂れた商店街があって、そこを再生する人を探していると。
話が前後しますが、僕は東京で180人ほどが住むシェアハウスの管理人もしていました。そこに住んでいる人は地方を盛り上げたいという人が多かったんです。毎回、30〜40人ぐらい集まって、何が出来るかの話し合いをしていました。
地方への関心はもちろんありましたが、2016年の間に東京を出ようと決めていたので、次の場所を探していたタイミングでした。
−東京での生活に飽きてしまったのですか?
自由大学と出会った2012〜3年ぐらいから、東京に飽きつつあったんです。大学から東京に出てきて、2016年で東京生活も丸20年経ちました。
僕は東京の再開発の全盛期に社会人になったんです。大きなビルや新しい店がどんどんできて、最初は「東京すごい」って感覚があったけれど、結局繰り返しなんだなと。新しい商業施設ができても、その箱は新しいけれど起きていることは変わっていないですよね。2011年の震災のこともあって、自分の中で「このままでいいのか」という感覚がありました。
東京を出てどこへ行く、というアテはなかったので、西と東を両方見ようと旅に出ました。4月の上旬から中国四国をぐるっとまわって5月に東北を。東北は全部自転車でまわって、日本全国、どこも似ているなと思ったんです。あるものは決まっているんですよね。大きなドラッグストア、ホームセンター、スーパーマーケット。あとコンビニがたくさん。どこも似通った風景で、海沿いに行けば海鮮丼、山に行けば蕎麦、野菜。
地方に差がないというより、人の生活も都会と地方、そんなに変わらないと思います。たとえば東京の人は電車の中で皆スマホをいじってるって言われるじゃないですか。でも、地方だって同じなんですよね。地方の人はコンビニの駐車場の車の中でスマホをいじっている。
どこに行っても同じだから、どこでもいいと思いました。自分は山形出身なので、縁もゆかりもない所へ行こうと、西の方へ。
そして愛媛県の地域活性化の説明会で今治市と出会って、公務員と思えないくらい公務員っぽくない人が熱心に話をしてくれました。この人なら、自分のチャレンジを全部実行させてくれそうだと思って今治に行くことに決めました。
−偶然と言うか運命というか、そういう出会いがあったんですね。今治に行こうと決めた動機とか、今も活動を続けているモチベーションはなんなのでしょうか
「今治の街が変わっていく姿を見たい」というのがモチベーションです。大変なことはたくさんあります。予想通りの、想定の範囲内の大変さがあります。たとえば、何かやりたいと思ってもそのためのお金は税金なので、役場の手続きがあります。印鑑リレーという形になりますが、役所もやり方や考えがあるので、すり合わせながらやっています。
−具体的にどんなことをしているのでしょうか
今治市のシャッター商店街の活性化のための活動として、人を増やすための施策です。その商店街は70〜80歳代の人が8割。若い頃はバリバリ商売をやっていたけれど、現在は隠居している状態です。彼らを働かせたり、空き物件に店をつくることは現実的ではありません。地方の買い物場所として、商店街は競争力が弱いんです。
商店街は車が入れないから、車社会で買い物客を集めるのは難しい。今治は港町なので、昔は船を使い、港から歩いて買い物に来ていた人で賑わいました。今は橋が架かって車移動がメインになったから難しいんです。郊外にはショッピングモールや量販店があるので、商店街に来て買い物をする動機が生まれません。
−ライフスタイルが変化しているから、難しいチャレンジでもあるんですね。その中で管さんはどんな取り組みをされているのでしょうか
お役所的な言い方になってしまいますが、僕が課されている役割は、エリアの人口の回復、賑わいの創出、商店街の価値向上です。
そのために何をおこなうか、考えて実行すること。商店街は車が入れないという話をしましたが、それは車を足としてつかう大人は来ないということ。じゃあ車に依存していない人は誰か?と考えた時、今治の場合は高校生と外国人労働者でした。そこで、高校生は決まったたまり場所がないことに目をつけました。
商店街の中に高校生が集まる場所をつくればいいのではないかというアイデアです。2016年の11月から準備を始めて、年明けに工事をおこない、4月に施設をオープンしました。市役所を通じてチラシを撒いたり、近隣の高校の校長先生と教頭先生に説明して回ったりしました。施設の運営だけじゃなく、そういう根回しも含めて僕の仕事です。
−具体的にどんな施設なのでしょうか?
空き物件を高校生達と一緒にDIYして学生が集って勉強したり話ができる有料のスペースを作りました。学校がある時間は来ないので、放課後から夜9時までオープンしています。でも今治の子供たちは健全で、6時半ぐらいに大半が帰っていきます。最後まで残っている子も勉強していたり、商店街の中の自習室みたいになっています。その施設めがけてたくさんの子供が来る、自転車がたくさん止まっていると賑わっている感があり、近所のお年寄りが喜んでくれるのがうれしいです。
ただ、人が集まって賑わえばいいというわけではなく、施設を維持していくには「経営」として成功しなくてはいけません。1回290円の利用料をもらっていますが、これではギリギリなんです。だから、収入を得るために小学生向けのプログラミング塾を月謝制でやることに決めました。
高校生はそれぞれ自転車で来るけど、小学生になると親が子供を連れてくると想定しています。親世代が子供の頃は、商店街はまだ活気があったんですよ。それが、今はみすぼらしくなっているのを見て寂しい、なんとかしなきゃ、そう思ってくれたらいいという気持ちもあります。
高校生のたまり場所、プログラミング教室という具体的な取り組みは、大きく見ると商店街にプラットフォームをつくるということです。集まってきたら、マネタイズを成功させる。そして、2年目にはこの事業を今治市内の会社に売却するという計画です。賑わいをつくり、お金の回る仕組みができたら、それを地域に還元することが最終的なゴールです。
−今後の動きも楽しみですね。今治での活動は3年間が期限と聞きましたが、その後のプランはあるのでしょうか。
特定の地域に執着はなくて、今治でやっていることが他の自治体で活かせるなら、他の自治体に展開するのもいいと思っています。でも、東京に戻るかもしれません。今治に向き合って全力を注いでいる中で、次のビジョンが見えてくるような気がします。
今治で暮らしながら、地域を盛り上げる活動を続ける管さん。少しずつ成果が目に見えて来ているそうです。これから今治がどう変わっていくのか楽しみです。
受講した講義:『アメーバワークスタイル』『日本ワイン学』
取材と文:むらかみみさと(ORDINARY)