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学びのキュレーション 黒崎輝男✕和泉里佳 part2

黒崎輝男 自由大学ファウンダー / 和泉里佳 自由大学学長

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自由大学で制作を進めている書籍「学びのキュレーション」。そのキュレーションという言葉が、今の時代にますます重要になってきているのではないか。そんなキュレーションを学びに応用することの可能性を感じています。これから書籍になる予定の内容をほんの少しだけおすそわけ。連載形式でお届けしています。

司会・構成・写真:高橋宏文(フリユニラジオ編集長)

part1 「司祭」から始まったキュレーター
part2 キュレーションの概念と歴史


キュレーションの概念と歴史

和泉 「キュレーション」という言葉は先ほどの話のように、アートからデジタルのほうにも来ているし、私たちは学びに適用している。つまり、キュレーションという言葉の意味や位置づけが広がってきているのかなあと思うんですけど…?

黒崎 そうだね。それは複合的に見て、トータルな意味で全体として押していく、みたいな。だから、DJに近いかもしれないですよね。その場にいるみんなが喜んで感動するのであれば、そこに投入する曲はありとあらゆるレコードを持ってきてもいいかもしれないし、サンプリングでもスクラッチでもいいし、自分が歌ってもいい。

和泉 「キュレーション」というのは以前だとアート業界の用語だったわけですが、それがだんだん広がってきている背景には、どういうことがあるんでしょうか?

黒崎 僕たちが最初に4年前、自由大学という学びの場でキュレーターというポジションを置いたんだよね。それは僕が5年ほどスクーリング・パッドをやってきたけど、自分がやっていたことは何なのだろう?と。それは、講師というわけでもなかった。毎回、ゲストスピーカーを呼び、自分も出しゃばって「デザイン・コミュニケーション」というテーマでやっていたんですが、そこで得たのは「自分はキュレーションをやりたいのではないか」ということだった。つまり、キュレーターというポジションが必要なのではないかと。そこで自由大学では、レクチャープランニングコンテストをしてキュレーターを育てていく、ということをやってみた。そうすると、何を教えたいのかということよりも、どういう状況をつくるかということになる。キュレーターが自然に育ってくると、いろんなところに学びが出てくるので、自分の好奇心が届かないところもあっていいのではないかと。キュレーターが育てば自発的にたくさんの講義が出来てくるのではないか、というふうに思ったのね。たとえばジャスミン革命のときも、ネット上でいろんな人が情報が発信してそれを政府が制御しきれなくて革命につながったわけだけど、ああいうことが起きる状況をつくるというのが大切なのではないかと。キュレーターという概念も広がってきていて、ありとあらゆるものを総合的に盛り上げていって、何かひとつの大きな流れをつくっていくというようなことじゃないかと。そういえば里佳さん、このあいだの「キュレーション学」の講義のなかでも、受講生が自然と話し始めるということがあったでしょう。あれって、ほかの学校やスクールであることなのかな?

和泉 普通の社会だとあまりないですね。

黒崎 でもあれって、みんなが喋って興奮状態になってから核ができて、あのようになるじゃないですか。最初に集まっただけだと、みんなサラッと帰っちゃうと思うんですよね。だから、自由大学の講義ってやっぱりみんなを喚起する粒子を持っていると思うんですね。

高橋 そうですね。みんながある種の興奮状態に誘われていますよね。

黒崎 そうなるための工夫を里佳さんたちがやっているわけです。「キュレーション学」では複数のグループに分けて、それぞれの共通項を見つけてグループ名を名づけたりする。普段はそんなふうに他者との共通項なんて探さないでしょう?

和泉 普通は、知らない人と話さないですからね。でも、ひとつのテーマや状況をあたえられることで、すごく深い話ができるようになる。そんなことが起こっていますね。

黒崎 だから「キュレーション学」をはじめとした講義では、1週間経つごとにどんどん受講生たちの雰囲気が変わっていく。僕らはおこがましくも「教育者」なんて言えないけど、人がちょっと変わっていき、こちらが思った以上になっていくというのが、人を育てる面白さなんだなと思いますね。

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高橋 今って、誰でも気軽に情報を扱える時代になっていると思うんですけど、そういう意味ではますますキュレーションの概念が重要になってきているのではないかと。

黒崎 まったくそう思います。アートやデザインのキュレーターがあるならば、学びのキュレーターもあるのではないかということで自由大学で投げかけてみたところ、意外にもそれが上手く作用した。あと、自由大学の学長っていうところで言えば、学長とか言うとたいていはおじさんで人格者みたいな人がなるのだろうけど、それが手近な服装で、どこにでもいるような、おしゃれで普通の女の子が学長になって、キュレーションをちゃんとやっている。これも自由大学の醍醐味だと思う。

和泉 自由大学って、世の中の当たり前とされていることにも疑問を持って問いかけてみる、ということが根底にある。「学長って普通はおじさんが出てきそう」というのがあるなかで、「学長です」と言ってこういう感じの女の子が出てくるとみんなビックリするというのがひとつのアトラクションみたいなものですよね。それもまたいわゆる固定概念みたいなものを少し崩して別の角度から見てみることにもつながっているし、そのひとつの表われでもあるのかなと。学校自体も、普通は「何か教えてもらおう」というところから入りますが、自由大学ではそうではなく、自分で何か出すことによって学ぶことがある、というところがありますね。その状況をつくるのがキュレーションであって、「そもそも何なのだろう?」というところから考えるのが、キュレーションの原点にもあるのかなと思うんです。そうやって考えていくと、やっぱりみんな、人の受け売りではなく、自分で考えて意見を言いたくなるとか、そういうことが起こっていますよね。

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和泉 現代だといろいろ細分化された事柄が多すぎて、会社そのものが細分化されたことを取り扱っていたりして、そのなかの個人の仕事ってすごく細分化されているから、全体を考えるということから少し遠ざかっていることが多いですよね。でも、人間って全体を考える生き物だと思うので、やっぱり全体を考えることにアプローチしたい!となったときに、キュレーションが求められることになるのかなと思うんですけど…?

黒崎 最初、戦後は何でもかんでもやっていた人がいて、それが大きな会社になってきたら部門がいっぱい出来て、学校も細分化された。戦前は45個ぐらいしか大学がなかったのに、現在では日本だけでも780校も出てきている。そういうふうに20倍近く増えて、世界中にそういう傾向がある。そうすると、そこでも○○大学と☓☓大学…というふうに細分化されて、トータルな教養や叡智を築くというよりも、ある専門のことをやって、社会のパーツとして教育されていく。「スペシャリストになる」というのがさもすごいことかのようになっているけど、本来は、ジェネラルな本質がわかったうえで部分をよくわかっている、というようなかたちであるべきなのに、そうなっていない。やっぱりそこでトータルな叡智が要求されるということで、自由大学のキュレーションという概念が非常にタイムリーなんじゃないかと。

高橋 ということは、キュレーションやキュレーターにとって不可欠な要素とは?

黒崎 僕は、さらなる才能や次の未来を見据えるための探究心が必要だと思う。「キュレーション学」では「検索から探求へ」と言っているんだけど、「次の時代はどうなるんだろう?」という突っ込みや探究心がないと、ただの知識の羅列になってしまう。今の時代はWikipediaもあるけど、百科事典があるからといって、みんなが叡智あふれるかというとそうではない。たとえば恐竜が好きだから、あの時代はどうだったんだろう?と想像して夢があり、そこに入り込んでいろいろ調べてみようという探究心が芽生える。真理を探求しようとか、美しいものを突き詰めてみようとか、そういうことをまとめあげて一歩引っ張るキュレーターがいないと、今の時代は次に行けなくなってきていると思うんですよ。

和泉 やっぱり、部分が細分化されて、検索も結局、自分が考えたキーワードで部分を引っ張ってくるようなことはみんなが簡単にできて、そっちの脳はけっこう発達しているからこそ、その探求する全体像を見て、部分の隙間をどう埋めるかとか、それをどう持っていくかというところで、キュレーターの存在感や必要性が出てくるんですかね。

黒崎 そうですね。ひとりの超人ではないにしても、キュレーションという概念のなかで、いろんなことが出来て、先を見られる人が出てくるといいなと。

 


黒崎輝男

自由大学ファウンダー。1949年東京生まれ。「IDEE」創業者としてオリジナル家具の企画販売・国内外のデザイナーのプロデュースを中心に、”生活の探求”をテーマに生活文化を広くビジネスとして展開。東京デザイナーズブロック、Rプロジェクト、スクーリング・パッド、青山でのFarmer’s Marketや246Commonなど、東京の今をつくるプロジェクトをいくつも仕掛けている。

和泉里佳

自由大学学長/キュレーター。自由大学の全体構想をまとめる学長。大学在学中はアメリカンフットボール部のチーフマネージャーとして150人を超えるチーム運営を経験。上海での毎日が大冒険的仕事生活を経て、帰国後自由大学の運営に。人生が大きくシフトチェンジするきっかけを刺激的な学びの場で得たことから、そんな感覚や経験を生かして、ワクワクの学びスイッチがONになる状況を創っている。1979年名古屋生まれ。

 



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