講義レポート

第2期「ストーリーテリング」学に寄せて

ストーリーテリング学 教授 渡辺真也さんより

私が第1作目となる映画を制作していた時のことである。2時間を超える映画のラフカット版を制作してみて感じたのは、映像とナレーションを繋ぐだけでは、とても映画にはならない、ということだった。しかし当時の私には、そこに何が足りないのかが、良く理解できなかった。

そんな矢先、ヴィム・ヴェンダース監督の映画『ピナ』3D版のプロデューサーを務めた知人、エルビン・シュミットさんに相談してみた所、彼はこう話してくれた。

「お前のラフカット版には、主人公がいない。主人公のいない映画は、物語にならない。映画とは物語であり、物語には主人公が必要だ。ヴェンダースは、英語が上手でなくても、全て自分のナレーションで物語っている。何故か分かるか?それは、彼には伝えたいことがあって、それを伝えるには、自分の言葉で物語るのがベストだと知っているからだ。どうしてお前は、自分が主人公になって、自分の物語を自身の言葉で物語らないのだ?お前に伝えたいことがあるのなら、どんなに英語が下手でも、自分でナレーションをすべきだ。そして自分自身が、その映画の主人公になるべきだ。」

そこで私は気がついた。これは「わたし」が監督する映画であり、私に伝えたいことがあるのなら、それを自分の言葉で伝えなければならない、つまり私に欠けていたのは、「わたし」を物語の主人公に据えた「ストーリーテリング」だということに。

そもそも私は、自分のことを取るに足らない人間だと思っていた。私は凡人で、どうせ自分の様な人間には芸術作品と呼べる様なものは到底作ることはできない、そう決めつけていた。

しかし、病気で身体を壊して人は一度しか生きれないことを痛感した私は、どうせ一度しか生きれないのだから、これからは自分がやりたいことをやろう、と心に決めた。そして、「自分で映画を作るんだ!」と決めた時から、「わたし」は、「わたしの人生」における主人公になったのである。

自分のことを取るに足らないと考えている人間が、人様に作品を見てもらうのは失礼に当たると考えた私は、まずは自分のことを認めて、好きになるトレーニングをした。その上で徹底的に自分と向き合い、自分の言葉で映画の脚本を書いた。自分のトラウマ体験に向き合って言葉を紡ぎ出す作業は、何度か吐きそうになる苦しい作業だったけれど、その産みの苦しみから、私のデビュー作となる映画『Soul Odyssey – ユーラシアを探して』が誕生、国際映画祭でストーリー賞を受賞するに至った。

実際に自分が映画の主人公となる物語を書いてみる過程で、何の変哲もない普通の人間が、目標を達成して英雄になるというのが物語の基本構造で、これが全ての神話に共通する「英雄の旅(Hero’s Journey)」なのだということに気がついた。また書いて行く過程で、ストーリーテリングとは、無意識から顕在意識を紡ぎ出し、「わたし」と「あなた」を繋ぐ行為であること、そしてそこには実存的要素と神話的要素のバランスが求められ、それは情報の世界ではなく、抽象を紡ぎ出す行為であることに気づいた。

是非この機会に、私の体験を交えて、私に教えられるストーリーテリングの極意を、お伝えいしたいと思います。

(ストーリーテリング学2期 教授:渡辺真也さん)



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