講義レポート

学びのキュレーション

「キュレーション学(初級)」講義レポート

 

キャンパスライフ探究家の鈴木麻里子です。
新しい学びの場の仕掛人になる「キュレーション学(初級)」講義レポート後半をお届けします。
3回目の講義は学長の和泉さんを講師に「キュレーションとは何か」をまた違う角度から考えました。よく「キュレーション」を既存のもので表現すると「編集」や「プロデュース」が近いものとしてあげられます。今回はそれらを比較し「キュレーション」を浮かび上がらせるグループワークを行いました。比較をしてみて「キュレーション」とは商業や流行に引っ張られるものではなく、本質的で自ら新しい体験や価値をつくること、ここが他との大きな違いだと感じました。

後半は、自由大学の講義の仕組みについて。「これは世の中でいう企業秘密というやつでは」というものまで裏側を大胆にも公開。なぜここまで公開するのか?それは「最終的なアウトプットは「自由大学の講義案を考える」だけれども、これを学校や地域など様々な場所で活用してほしい」という志。同じ人・空気・思想が集まった体験は再現ができないこと、そして美意識をもってやっていることへの誇りと自負があるからなのだと思います。
4 回目はディレクターの深井さんから「実際に自由大学で学びをキュレーションする=講義を作るには、何が必要なのか」をお話いただきました。実際に講義をどう組み立てられているのか、教授の人選やキュレーターのタイプなど、開講している講義を例にとり学びました。また「自由大学の講義」として世にリリースする際に、必ずチェックするポイントも教えていただきました。自由大学で得られる知識は、ネットで検索したり本を読みさえすれば得られるものかもしれません。
しかし、今実際にここに人が集まり、地方からも足を運ぶ人が増えています。その世界観を作り上げるためにはこの「問い」が鍵を握っています。そして、その場をつくる、教える側でも教わる側でもないキュレーターの存在は自由大学のフラットな学びの場づくりには必要不可欠だと、その重要性がだんだんと理解できてきました。
最終回は講義案の発表と「キュレーションとは何か」ひとことで言い切ることでした。まだまだ荒削りながらも、世に存在しない斬新な講義案が多く発表されました。そして講義案の内容も大切なのですが「なぜこの講義案を考えたのか」という動機の部分が非常に大切だと思いました。ここにひとりひとりの存在感が滲み出て独自性が発生してくると。アイディアを出すことは誰にでも出来ます。問題はそのあと、どこに向かってリアルな一歩を踏み出し、そして続けるか、というところです。ここがスタート地点なのです。そして、自分なりの「キュレーション」を見つけ、私たち生徒は卒業を迎えたのでした。
では結局「キュレーション」とは何だったのでしょうか。それに対しての答えは「正解はない」でした。それは用意されたものではなく、当てにいくものでもないのです。自らの頭で考え、人からインスピレーションを受け、それぞれが自分の言葉で納得のいくものを見つけること。点数も○も×もない教室で、自由に学び、考えを巡らせること。まさに私たちはキュレーションされた場に身を置き、肌感覚でそれを掴んでいきました。
答えを早く出すこと、効率・生産性を上げること、これを良しとし必死に前進して辿り着いた現在。しかし何かが違うと誰もが気付いています。そんな中でこの「キュレーション」にはこれからの未来の「希望」がある。そう感じずにはいられませんでした。



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