講義レポート

「キュレーション」の定義を探る旅

「キュレーション学(初級)」講義レポート

キャンパスライフ探究家の鈴木麻里子です。
新しい学びの場の仕掛人になる「キュレーション学(初級)」講義レポートをお届けします。
最近よく聞く「キュレーション」という言葉。『キュレーションの時代』の著者でITジャーナリストの佐々木俊尚氏はそれを「情報を収集し、選別し、意味づけを与えて、それをみんなと共有すること」と定義づけています。しかし、新しい言葉ゆえに、それを聞いてもいまいち腹オチしないという人も多いのではないでしょうか。一体「キュレーション」とは何なのか。それを探る5週間の旅へいざ出発です。

第1回目は、自由大学創設者の黒崎輝男さん自らが「キュレーション」についてお話をしてくださいました。私個人としては「哲学・美・思想をもって全体を盛り上げる事業」という表現がイメージの掴みやすいものでした。答えを出すことよりも、問題は一体なのか。今の時代、何を以て美しいとするのか。それを問い、どう外へ表現し、全体を動かして行くのか。儲けや利益ではなく、美しいかどうか、COOLつまり粋かどうかを「価値基準」と捉えて考え方には非常に共感を覚えました
しかし、聞けば聞くほど、考えれば考えるほど、その奥深さに、自分の持ち合わせている言葉では「キュレーションとは何か」の納得できる表現が見つけられず悶々としながら下校していくのでした…。
2回目は東京画廊の山本豊津さんをお招きし、美術界のから見た「キュレーション」についてお話を頂きました。もともと「キュレーション」という言葉は美術界から発生した言葉で、展覧会など、作品やアーティストとそれを「見る側」との接点を企画する人を「キュレーター」と呼びます。印象に残ったのは、ただ作品を並べるのがキュレーションではないということです。そこにどう新たな価値を置くのか、どう経済や国家戦略と結びつけるのか、歴史やムーブメントなど壮大なことに結びつけるのかなど、ただ作品に対しての知識を持っているだけでは、キュレーションは出来ないのです。
また山本さん引き出しの多さは圧巻で、まさに目の前でこの場がキュレーションされていく瞬間を見ているような、そんな感動を覚えました。アカデミックな内容も多く、今まで学校教育の中で試験のために詰め込んできた単語もちらほら。こんな風に知識の先にアカデミックで面白い世界があると知っていたら、もっと勉強したのに!と思わずにはいられませんでした。
2回目までを受けて、キュレーションというもののイメージが何となくですが、自分なりに掴めてきました。しかし、受講生皆が味わった、この頭の中をグチャグチャにかき混ぜられたような混沌とした状態は一体なんなのか。それは今まで『ひとつの用意された正解を早く当てに行く』ことにいつの間にか慣れ、「もっと自由に」などと口では言いながら自分の頭で考える楽しさをどこかに忘れて来てしまった結果なのではないかと痛感しました。
混乱によって一度すべてを壊す、そんな場がキュレーションされた前半でした。



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