講義レポート

日常生活の旅

キュレーターの旅の視点

最近の僕の大きな変化は、”旅”の醍醐味を日常に感じる様になったことだ。 移動を交通機関から自転車や歩きに切り替えることで、地域の骨格や街のおもしろい一画なんかと遭遇する確率が高まることだ。絶対見つからないような食事処や空き物件なんかは日常的に出会うし、気になるお店、人、看板、多様なコンビニの数、建造物、公共空間など、見つけたあとに必ず調べて記録を残しておくと、自分の視野の広がりにも気づけるから、これまた面白い。何よりもこの行動にお金はほとんどかからない。 街で得た刺激から料理をしたり、料理を飾るお皿を揃えたり、家の中の家具やインテリアのことを考えたり、家の窓のフレームやドアの取手のスタディをする様になった。一つ一つの行為において、好奇心が発動して、あれでもない、これでもないと考える。

最近今まで飲んでいたお酒をやめた。だからといって別に付き合いが悪くなったり、出不精になったりするわけではなかった。むしろその逆で、お陰で料理やインテリアなどこれまでに興味のないテーマを取り扱うお店や仲間、レストランを巡っている始末である。 この行動は仕事にも影響を与えている。今年に入ってから料理や食材に関連している仕事や大型のプロジェクトも進めることになった。料理こそ個性や哲学なんかが色濃く見える鏡でありコミュニケーションツールでもあるから、言語が通じなくても意外と対話ができる。「美味しい」という表現は最も簡単に相手に伝えられる手段である。

日々の思いや直感、苛立ちや好奇心、そして問いを今まではメモにまとめていたが、ここにきてtwitterに切り替えた。140文字の制限があるからだらだら書き残せない。それでも書き留めておきたいという欲求が優って継続している。1週間や2週間で自分の投稿を振り返ってみるとその時は繋がらなかった視点が繋がり始め、それが企画書やコラムになったり、新たな問いが生まれたりする。これは何よりも他人ではなく自分と向き合い、対話する機会となっている。

楽しくないことは続かない。楽しさを感じる感度よりも、いかに楽しくやれるか?という妄想とそれを実行する少しの勇気と勢いがあれば楽しさを担保することはできる。 それは旅を続ける理由と全く同じである。旅の醍醐味は、馴れ親しんだ日本を離れる前と少し慣れ始めた旅先を離れる時に訪れる。名残惜しいともまた違う好奇心と知見や感覚を新たに取り入れ、仲間たちと共有できる興奮に近い喜びで幸せな気持ちになれる。 過酷な旅、はたまた優雅なバカンスであれ、タスクの多い仕事や大人数を引き連れていくラーニングジャーニーであれ、結局は旅の醍醐味はその二つに絞られる。

この原稿を書いている今(3月27日)は年度末の仕事に追われている時期だ。 そんな中でも最近は朝ごはんも作るようにしている。今までの自分ではあり得なかったことだが、実生活にこだわりがあるからこそ、日常の全ての行為、行動にも自分らしさの哲学が宿る。また、様々な無駄にも気づくことになる。時間は有限でいて、皆に平等に与えられたリソースとして、僕たちはその時間を最大限豊かに幸せに、そしてそれは自分らしく生きるために使われるべきだと考えるのはとても自然だと、最近は思うようになった。仕事もプライベートもそもそもないのは未だ変わらずだが、生活を作り込むことに圧倒的に楽しさを感じているからこそ、自分を磨く新たな「旅」に出ようと思う。

みなさんは、どんな思考や生活を新たにはじめようと思いますか?



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