講義レポート

何から自由になりたいですか?

ハイローカルを創ろう講義レポート

ハイローカルを創ろうの申し込みの時、ひとつの問いが与えられました。
それは、あなたは何から自由になりたいですか?というものでした。
その問いに向き合った時、わたしの中から湧き出た答えはこのような言葉でした。
「そうであると思い込まされた常識、こうであると限定され制限させる既成概念、画一的な縦社会、平和をベースにしない社会、差別のある性別と種族、豊かさの価値を掛け違えた消費時代、指導者ではなく支配者が牛耳る世界、希望よりも衰退していくことが前提の時間軸、真実を目隠しするマスコミ、言論の自由や自己表現という名の歪んだ正しさや正義、本当のありのままの自分に出会えないようにされている複雑な心の仕掛けから自由になりたいです。」 そして、ハイローカルを創ろうの参加理由は、働く場所、暮らす場所=生きる場所を見つけるためのヒントや閃きを得たいというものでした。
自由と居場所への当時の自分の想いはもはや私の居場所はこの地球上にはどこにもなく、他の惑星に行くしかないのではと思うくらいの絶望ぶりですね。 現実として確かにある社会や世界の描写より、自分の視野の狭さに驚きながらも、この講座を終えた私がほんの1ヶ月前の私に言ってあげられるのは、別に他の惑星に行かなくても、この日本で自由であり、自分の居場所はあるかもしれないと目をキラキラさせた自分がいるということです。
そう、このハイローカルを創ろうは私にとっていちいち目がキラキラしてしまうし、出会ったひとりひとりに想いを込めたハグをしたいくらいの人との出会いがあり、なかなか自分では越えられなかった枠をやすやすと超えさせてくれました。 私たちは人生においてたくさんの人に出会いますよね。 私にとって人との出会うことは、宝箱を開けるみたいにワクワクすることです。
本当に人って宝箱で、その人の中にはザクザクお宝を持っていて、その輝きはその人の全てで、ありのままののその人の姿です。その美しさを見るのが楽しいですし、それはかなりマニアックな趣味でもあります。
そして、同時に人を通して自分の宝を見つけることができたり、しばし見慣れてしまった自分というものを壊したり、それ故、自分をぐんぐん成長させることもできるという他者とは貴重な存在です。
ハイローカルを創ろうで出会ったゲストの方々は異次元レベルの宝箱の持ち主でした。
私が大きく見積もってもこのくらいだろうという箱を軽々と超え、見積もったり計ったりすることがもはやできない程のまさに異次元レベルの広がりを見せてくれました。
毎回脳内クラッシュがおきていたので、きっと新記録が出たと思います。
この体感を言葉にすると熱量が落ちることがありますし、私の語彙力の足りなさで伝わらないのは悔しいので是非実際にハイローカルを創ろうを体感して欲しいのです。
でも、私がどんな出会いを経験したか、それによりどんな世界が目の前に広がったかを少しシェアしたいと思います。
ハイローカルを創ろうで出会った方々は、今ここで出来ることをしながら、いつもほんの少し先の未来のビジョンを明確にきっちりと言語化できるほど見えています。
今の混沌さとは早々に別れを告げ、未来に起こるであろう変化に対して現実的でさらにワクワクした実に革新的なビジョンを持っています。
それは、自分の足元にある暮らしの中の小さな違和感から生まれた本質的な問いや問題意識が発露であると思います。出発点は極めて個人的な問いであったと思います。
しかし、そのキラリとした破片を見逃さず、可能性の芽として発見し、純粋な好奇心と情熱でささやかな問いに対しても価値を与えていくことで、個人的なものから社会を動かしかねないパワーを持たせたのだと思います。 そのパワーを別の言葉に置き換えるならば、信念を持つということでしょう。
その信念は人が持つ宝のひとつであり、輝き、人を否応なしに惹きつけます。
なぜ惹きつけるかと言えば、それはそのままその人の美学、美意識であるからです。
人は無条件に美しさに惹かれますし、その中から発せられるメッセージに応答するように信念を持つ仲間が集まります。
独裁と言われる今に反旗を翻すように彼らは分かち合うことに積極性を持っています。
潔いくらいにオープンです。 それは彼らが自立していますし、寛容さも十分兼ね備えているからなのです。
そのような資質を持つ彼らが創るのが単なる町おこしを超えたまさにハイなローカル創りなのです。
日本古来の伝統は踏襲し、同時に革新性を具現化させ、本物の豊かさを目指しているようでした。
古きものと新しきものの融合は日本全体をポジティブに解放するでしょうし、真の自由を手にすることが出来るというワクワクする未来へのステップを踏むことになるだろうと思います。
その未来へのステップの中のテクノロジーはおそらく人間の愛だと思います。
多くのものが機械的なものにとって変わったとしても、最終的に人間の心の部分、人間としての本質的な部分が残っていくと思います。
テクノロジーは誰かのためにより良くしたいという想い、それは平和だったり、愛だったり、優しさだったりが出発点だからです。
人間の愛があるからテクノロジーは進化するし、私たちは使いこなすことが出来るでしょう。
私たちがほんの少しでも誰かのために良き変化を求めるなら、ひとつの個人的な問いを持ち、自分が引いた線を出るという行動をすることです。
行動の先にある世界を自らの視点でアウトプットすることで、共感の共有が生まれ、仲間が集います。
新しい文明が生まれる瞬間はきっとほんの些細な変化への一歩を踏み出す時だと思います。
ハイローカルを創ることは、可能性のある未来を仲間とともに手探りで手作りしていくもので、たくさんの人の手が必要です。そうであるならば、多くの人に出会うことが大切です。
その出会いも自分の手で自ら選んでいくことです。
ハイローカルの創り手が旗を立て、方向を示すことで、人々が今を越えるために手を繋ぎ、輪ができます。
それはそのまま生きる場所となり、私たちが望む居場所を作ることになるでしょう。
また、ハイローカルを創ることは、歪んでしまったものにもう一度新しい価値を与えられることだと思います。
シンプルに幸せとは?と自分の暮らしを問うことから始まり、ただ消費される毎日から抜け出して、こんなもんだろうというセルフイメージさえも飛び越えて、今日から明日という小さな未来に対してすこぶるワクワクしたビジョンを描けることです。
それは自由へ向けた解放です。
自由とは自立することです。
体感するには、あるとかないというつまらない線引きは幻想だと気がつき、日々の小さな違和感をアウトプットし、その中から可能性を発見していくような行動をほんの少し始めてみることです。
ほんの少しの行動に好奇心や情熱という燃料を入れてみれば、たくさんの仲間を乗せて行くことができることが分かるでしょう。誰もひとりにしないでみんなで進みましょう。
なぜならその方が純粋に楽しいですし、夢見たような未来に早くたどり着けるからです。
ここまで読んで、少しでもワクワクしてしまった人、すごくモヤモヤしてしまった人は行動するチャンスです。
ぜひハイローカルを創ろうで体感してください。
きっと宝がザクザクの驚くような自分に、そして言葉通り新しい視点を持つことで世界が広がった自分に出会えますよ。
そして、ハイローカルを創ろうの講義を受けた3年後の私たちは、世界がシフトしたその先の一番先端に立っているかもしれません。

(text: ハイローカルを創ろう1期 渡辺紀陽美)



関連する講義


関連するレポート