講義レポート

家族についての講義?

「ネオ・ファミリースタイル学」講義レポート

来春、家族関係を変えようと企んでいる折、見つけた講義。
それ以上もそれ以下もなく、深く考えずに受講を申し込みました。
でも家族について、問題を感じていない方にも、意識したことがない方にも、得ることがある、他にはない講義ですので、強くお勧めします。

昔、ある教室で「我が家のお雑煮」について話す機会がありました。
皆それぞれ「うちは、”普通に”これこれを入れて…」という”普通”が、皆違うのです。
まずお餅が丸餅だったり切り餅だったり、お汁はお澄ましだったり、味噌仕立てだったり。

そうなると具も当然違ってきます。

それをそれぞれが「うちは”普通”に…」と発表し、それぞれが他の家庭の”普通”に驚いていました。
典型的な核家族で育った私、封建的な3世帯で育った夫、お互いに我が家は普通、と思っていたことがお雑煮のように、結婚して覆されました。
同世代で同じ日本に住んでいるのに…

第1回「家族って何だろう?」

と問われ、時代や国によって、家族の概念が違う例を聞き、ますます”普通”の家族とは? 今の家族が当たり前でなくなる可能性を意識せざるを得ませんでした。

以降、毎回ゲストの方が、ご自身の営んでいる様々な家族の形を紹介して下さいます。

第2回 コレクティブハウス 

私がいわゆる孤育てをしている時に、区の子育て講義で聞いて驚いたのは、「人間は集団で子育てするのが本来である。母親独りで背負っている現代が、異常なのだ」ということ。

独身の時は、近隣や地域の関わりなど、不必要で煩わしいもの、と考えていましたが、子どもを持って初めて人の助けが必要であることが身に沁みました。

コレクティブハウスは、複数の世帯がひとところに集まって、時に共同で食事やイベントなどをして過ごします。
適度な距離の集団生活、私はこの形式は、これからの社会に理想的だと思いました。

第3回 地域に固執せず、目的に応じて住む土地や環境を替える

孟母三遷ならぬ、孟父三遷だと思いました。

礼儀正しく清潔だと言われる日本が、実は同調圧力で人の目を気にしすぎ、案外窮屈である、という話が印象的でした。
確かにサービス過剰な部分は私も感じ、それは“思いやり”ではなく、クレームを回避するための”既成事実作り”のためだと、同感しました。

家族のあり方も、暗黙のうちに「ルールだから」と形式になっているかもしれません。

第4回  ジェンダーにとらわれない家族

この回で、私は初めてLGBTの方とお話することができました。

また、「私はヘテロ、あなたはレズビアン、バイセクシャル」と明確な境界線がなく、「こっち寄りの人」というようなグラデーションなものである、というのを知り、目からウロコでした。よくある「男性的」「女性的」な区別に釈然としないことがあったことが腑に落ちた思いです。

同性の夫婦が子供を持つことも、「何もそこまで」「自然の摂理に反する」という考えを漠然と持っていましたが、代理母との関わりを含めて「家族」として繋がっているということです。

反対か賛成かは個人の価値観ですが、実際に関わっている人の話を聞いてから、自分のスタンスを決めると、世界観が広がると思います。

第5回 家族への手紙

講義の集大成。

宿題に家族(現在、未来を問わず)への手紙を発表しました。
私は、自分が家族に対して「こうしてほしい」ことを書きました。
何となく漠然と思っていたことですが、文字に表すこと、それも手紙(ノートの方もいました)という形式は、改まった気持ちで、思いを大切にしたい気持ちを助長してくれると感じました。

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深く考えずに受講しましたが、今の私に丁度よいタイミングの講義でした。

「家族」なんて当たり前、普通、と思っていましたが、知らないことをたくさん知れて、本当に受講してよかったです。

受講者全員が思う家族観は、それぞれ違っていたのですが、お互いにその思いを尊重し、少人数でしたが、この小さな空間でダイバーシティーを実現していると思いました。

これが世の中に広まればいいと思いました。

(text:1期卒業生T.A)



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