講義レポート

名刺を捨てて、世界にでよ

「新旅学のすすめ」キュレーターコラム

今年に希望の未来学という学問を立ち上げてから自由大学にディクレターとして関わることになったのだが、そもそも僕にはたくさんの役割や所属がある。別にこれが21世紀の働き方を体現しているとは思わない。ただ、365日ほぼ自由に動き回っていること自体、不思議そうな顔をして、「それで一体、本村さんのメインの仕事はなんですか?」そんな質問を日本では特によく尋ねられる。

見た目がやや外国人らしさを醸し出しているからか、33歳になった今でも酔っ払ってフラフラ歩いているわけでもないのに尋問をうけるケースも多いが、この一体何の仕事をやっているのか?という質問ほど答えに窮することはない。
移動疲れがたまっている最中に聞かれると、移動民族ですとか、革命を企てているなどと茶化すが、相手はまんざらでもなく、真に受けてしまうことがあるから、そんな受け答えの後はやけに疲れがたまる。名刺も数えると10枚を超えて常に所持しているから本村拓人と書かれた名刺を差し出したこともある。
すると世間は名前で仕事をしている 人を”探偵”と認識するのか、相手からの次の質問の多くは一件いくらほどですか?と、これもまたまんざらでもない調子で聞いてくるものだがら、僕もそろそろ探偵を始めようかと思ってみたりする。

と、ふざけているようでこういった他方面からの尋問に遭遇するのもまた僕の人生といえるのだろうが、世界を110カ国ほど回っていて思うことは、日本ほど肩書きを大切にする人種も文化もないことに気づく。

むしろ何者かを名乗る時は生い立ちから家族構成など、より個人情報に近しい情報をもって挨拶する。もちろん、”本業”としている広義な意味での都市開発や地域デザイン(この説明は今後のコラムで明かしていきたい)をどういった哲学と戦略でどういった地域を 対象に誰とやるかなど、30秒以内に答えることも欠かかさない。

世界では肩書きは不要だ。それよりも、俺が何をできて、どんだけ面白くて、関係しそうなタスクやプロジェクトにインパクトを与えうるか、これをしっかりと答えられないとカフェやホテル、移動中の機内はおろか、興味のおもむくままに飛び込む未来の仕事を作るパートナーにはリーチはできても関係性は築けない。
つまり、名刺は不要であると言うことだ。名刺の情報なんて今ではLinkedinやFacebookで事足りる。むしろ、そっちの方がオンデマンドでかつオンタイムな情報に溢れている。そもそも興味を持たれなければ即刻向こうのシャッターは落とされるわけだ。日常のワンシーンを切り取るだけでこれほどまでに、日本と世界とでは違いが生じる。文化といってみればそれでおさまるのだろうが、人類皆兄弟となりうるこの時代をサーフする現在を生きる僕たちにもそろそろこういった世界の基準に合わせて物事を思考することが必要ではないのだろうか。

先週、この12年間で培ってきた”旅や放浪”についての「新旅学のすすめ」という講義をデザインした。何を隠そう、僕はプロフェッショナルな旅人でもある。自称であるが、旅人に資格もそう名乗る為に他人から許可を得る必要などない。自分で名乗りあげ、他人がそこに価値をつける。価値は価格に反映され、プライドがきづつかない程度に折り合いをつけられれば見事に仕事として 任務を全うする。クライアントの意向と僕の希望は毎度のごとく折り合いがつかない。もっと言えば、今行くべき国とクライアントが知りたい世界は違う。だからこそここに創造性とデザイン力が問われるわけである。かつて、横尾忠則がいった「書を捨てて街にでよ」は多くの人々に既成 概念を疑うために遊学こそがその本質と悟らせた。だけど、僕だったらこう言うだろう。「名刺 を捨てて、世界にでよ」と。



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