講義レポート

なぜ自由を追い求めるのか。

西村琢(ソウ・エクスペリエンス代表)

僕は自由とは直感に従うこと、できる限り直感に従える環境下に自分の身を置くことだと捉えている。そして、できる限り多くを自分の直感に判断させ、その後に知識や論理で補っていくという物事の進め方が生きていく上でとても有利ではないかと思うので、直感に従うことつまり自由であることを人一倍大事にしている。なので講義ではあーだこーだ色々言うけれど、結局のところ「直感に従おうぜ、直感に従うことに自信もとうぜ、直感を正当化できるための武器を身につけようぜ」というこを伝えたい。

自分自身を振り返ると、2004-5年にかけて就職よりも起業を選び体験ギフトを企画販売し始めたこと、5-6年前から子どもをオフィスに連れてくるようになったこと、4年前に世田谷から逗子に引っ越したこと、2-3年前からアフリカに興味を抱き通い始めたこと、そして今週からはオフィスの自分のパソコン(そしてデスクも)をなくし1日の過ごし方を変えてみたこと、どれも「何となくそうすると良い気がする」と感じたことを思い切ってエイヤッ!とやってみたわけだが、それが大事な局面である時ほど選択の正しさは事後的に確かな手応えとして戻ってくる。直感に従えば従うほど、それは事後的に極めて論理的であることが分かったり辻褄が合ってきたり、、、ということが多いように思う。

でもこれは当然でもあって、僕は今35歳で、当たり前のことだが僕は世界中の全ての36歳以上の人間よりも若く、36歳の方々より1年新しい社会に生まれ、1年未来を見て育ってきた。同じ社会を見ていても、それを1歳の時に見るか2歳で見るか、高校3年生で迎えるか大学1年生で迎えるかは無視できない差を生むだろうし、そう考えると僕は36歳以上の全世界の人々よりも若く、彼らよりも少なくとも1年以上未来の空気を吸って生きてきたわけだ。そしてそれ故に、そんな未来人間である自分が直感的に下す判断は未来的であるに違いないし、全世界の全ての36歳以上の方々の感性に勝ると思うのだ。ただしそこに、権威や保証、家族や親戚からの余計な刷り込みからできる限り解き放たれていれば、、、、という条件が付くのだが。中には直感を妨げる多くの雑音に囚われてしまった35歳”以下”の人もいるはずなので、そう考えると、たとえ35歳でも直感全開で突き進めば全世界の30代以上の中でもかなり未来を先取りした提案や選択をしていけるのではないか、という気もする。(逆に言うと20代以下の方々や年齢一桁の自分の子どもたちを見ていると思うのだが、彼らは未来過ぎて歯が立たない。彼らと伍し、立ち向かっていくためには、彼らがまだ持ち合わせていない何かを携えてなくてはといつも思う)

ピカソの「子供たちのように描けるようになるには一生かかった」という言葉が昔から好きなのだが、若さや幼さ無邪気さはそれだけで大きな価値であり、年齢に限らずその純粋無垢なる感性に従って動いてみることが最も確かで身の丈にあった未来をもたらす可能性が高いし、その行為そのものが自由を意味するのではないかなと思う。

そこで講義では「あなたは何に興味がある?何が面白いと思う?それはなぜ?」というやり取りを僕からも皆さん同士でも、まるで呼吸のごとく当たり前にしつつ、それらをより良い形に持っていける武器も与えられるよう組み立てていきたい。

何だか回りくどいことを書いてしまったが、さてこれが皆さんの心に響くか、どうか!

西村琢



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