講義レポート

“ふつうのシワ”が語りだすとき

「未来をマネジメントする手相学」講義レポート

メンバーの到着順はいつも同じ。最後にやってくるメンバーは必ず少し息を切らしている。全員が揃うのを待つため、毎回ほんのちょっとだけ遅れて始まる講義。それを楽しみに表参道駅A4出口への階段を上っていく。

講義が終わると、ゆきまる先生含めて残れる者たちでその場に残り、一緒に昼食を食べたりコーヒーを飲んだりしての歓談。メンバーそれぞれの話。壮大な夢から小さな悩みから大きな悩み。素朴な疑問。いろいろな質問。メンバーたちの様々な回答。別意見。みんなそれぞれ違うバックグラウンドの人たちだから、興味が尽きない。それをふんわりとまとめていないようでまとめているようなゆきまる先生の空気感。手相という一見不思議な事柄をバックに展開されていく場。驚きや発見や、納得や笑い。時にしんみりと。そんな場。

IMG_6829

講義で学んだことを持ち帰り、友人に試み、驚かせ、自分が驚き、次の講義を楽しみに過ごす一週間。それがこの「手相学」受講期間中に、自分の中に新たに生まれた流れであった。

手相“学”。「“学”って。なにを大げさに」。受講前のそんな少しの反感をもちながらも、心のどこかで気になっている手相というものへの興味。また、手相術でもなく、手相占いでもなく、手相“学”である秘密を知りたいという欲求。

そして、自由大学という場がもつ雰囲気。関わる人々の無邪気で、“おもしろそうなもの”への驚くべきしなやかな興味関心の向け方、気持ちの良い雰囲気(「学風」?)に再び身を置きたいという気持ち(私は既に他の講義を受けたことがあった)。そういう心境もあり、私は受講を決めた。そしてそれは正解であった。

とはいえ、講義第二回目ぐらいまで、私は正直“様子見”であった。しかし、その姿勢も「あなたにとって、手相とは何か」と問われた時から変わっていったような気がしている。

 講義内容については実際に受講していただきたいので、多く記すつもりはないが、「あなたにとって、手相とは何か」という質問(実際は第一回目の宿題)を受けた時、私は「第二回目にして、その質問に答えるのは早すぎるのでは」という気持ちと、「その答えを知るためにこの講義を受けに来ているのに」という思いがあった。また、ともすれば怪しまれることも多そうなこの手相というものに対して、怪しむ人側の気持ちを代弁するような思いに、私はその時、なぜだか駆られてしまった。そして、私は「手相とはふつうのシワである。」と答えたのであった。本当になぜだろう。今となっては思い出せないが、先生へのちょっとした挑戦のつもりだったのかもしれない。

しかし、私の回答に対する先生のコメントは「おもしろい」という意外なものであった。それは私にとって嬉しかったというものではない。それよりも、さらっと流されることを予感していた私の回答に対し肯定的なコメントを返し、本当におもしろがってくれている先生の心の大きさのようなものを感じさせられる出来事となったのである。そして、その後もこの講義全体を通して、ゆきまる先生のそのような姿勢は変わらなかった。答えを決めつけることなく、受講生に問いかけ、受講生の声に肯定的に耳を傾け、おもしろがりながら授業をみんなで作ってゆくような、そんな姿勢。

そのような方から学ぶ(もしくは自由大学のスタンスとしては、先生もろとも学び合っていく?)、手相というものに対して、私はさらに強く惹きつけられるようになった。

講義内容自体の魅力ももちろん大きいが、他にも手相に対する興味が深まる出来事がいくつかあったので、ここに挙げておきたい。

講義では受講者同士、手相を解釈し合った後、先生に解説してもらうことがあるのだが、先生が受講者の手をとって、今まさに解説中、というその間に受講者の薄かった線がはっきり表れてくるという変化を目の当たりにすることができた。実は第一回目で既に「手相から読み取れることを相談者に伝えると、相談者の意識に変化が起こり、その場で手相にも変化が表れてくることがある」というお話を聞いていた。「とても信じられない」と当初思っていたので、その光景を実際に目にしたことは、私にとって手相への興味をより深める出来事となった。

IMG_6825

また、他の受講者にも変化は起こっていた。その受講生は、著名人なり、受講者なりの手相を観てどう感じるか意見を求められた時の回答が、回を追うごとに明らかに深く、豊かになっていった。その受講者が手相を通して、対象者の心的傾向などを豊かな言葉で語っていく様子には感動さえ覚え、私はその場で「“スピリチュアル感”高まってるよ!」などと余計なことまで口走ってしまうのだった。

 この自由大学という場には多様で、おもしろい人たちが多く集まるなあ、とあらためて思っている。なにをもっておもしろいとするかは人それぞれだろうが、自分が興味をもった講義を受講してみれば、その人にとってのおもしろい人たちに出会えるだろう。

私個人としては、そんなおもしろい人たちに少しでも連なれれば十分だと思って本講義を受講したという部分がある。そして、実際それで十分だったのだが、「手相学」には、それだけではないものを与えてもらった。さらに言えば、勝手ながら私はこの講義からなんらかのバトンを受け取ったような気がしている。それが何なのか、まだわからないのが正直なところではあるが、自身の運命線と対話を続けながら、そのわからないものを見つけにいこうと思っている。

(text:第1期卒業生  三浦)



関連する講義


関連するレポート