講義レポート

「1本の幹」や「共通の領域」の力の大きさを信じて

「ストーリーテリング学」講義レポート

自分の心身に蓄積された記憶と経験値を総動員して、なんとも言えない無意識の中の「感覚」にひたすら問いかける。体中のエネルギーを、こんなに絞り出すかのように酷使した2日間はありませんでした。正直なところ「楽しい」ばかりではない、苦しさも、疲弊も伴う學びの場。それでも総じて思い返すと、『ストーリーテリング学』はモノとコトとヒトとバ、あらゆる要素を容易につむぎ合わせる、なんとも得難い魅力あふれる時間でした。

『ストーリーテリング学』がふと目に留まったのは開講直前の時期。会社員を卒業し、地元でのカフェ開業に奔走する今の私は福岡拠点。東京住まいの時とはあらゆる条件で講義参加のハードルが上がっていることは容易に意識できます。それでも、焦燥に駆られるように申し込みボタンを押している自分がいました。場を「造り」、「継続していく」ことには、その土地と人の思考の積み重ねを紐解き、今とつなぐことが必要だと悉く感じさせられていたから。そして、モノコトを物語として紡ぐことを繰り返したヒトというものを、国境・人種・大陸etc、あらゆるボーダーを無視して知りたいという、私自身の強い想いに目を瞑ることはできませんでした。

interestingという言葉を皮切りに、なぜそれを自然現象に対して使わないのか、「夕陽が美しい」とは言うが「夕陽がおもしろい」と言わないのはなぜかを問う。
太陽神の「ミトラ神」はキリスト教以前の信仰対象で岩から生まれるが、日本にも「アマテラス」という太陽を象徴する信仰があり、岩にまつわるエピソードもある。そこから考えられる共通項はなにかを問う。

講義の中でひたすら問いの応酬が続きました。それは決して楽ではなくて、世の中こんなに知らないことだらけなのかと圧倒されもしましたが、ばらばらに散らばった言葉、現象の大元は一本の木の幹であって、「散らばった情報の根本をたどって幹に戻していくことが抽象化である」という教授の渡辺伸也さんの言葉がふとひっかかりました。

一見ばらばらに見える言葉、思考、神話、種族の根本が、結局のところ「1本の幹」なのであれば、人の歴史や思考にそれぞれの変遷があっても、人や社会や文化というのは、相互理解しあえることが基本なのではないかと。いろんな生き方や考え方があってもどこか無意識の中では通じ合える領域を人は持っていて、だからこそ「ストーリー」というものを感じられた時、心地よさや安心感を得るのではないかとふいに意識させられました。それは私にとって明るい未来で、行き詰まりを感じていたのがウソみたいに景色が晴れ、なんだか泣きたくもなった瞬間でした。

「1本の幹」や「共通の領域」の力の大きさを信じて。私にできること、今はどんどん湧いてきます。まずはカフェとして生まれ変わる産婦人科跡地の時間を紐とき、アウトプットすることから。すでに愛着のわいた医院は私にたくさん話したいことがあるようです。

(text:1期卒業生 八児美也子)



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