大西 真平

黒﨑輝男が投げかけた「問い」は、今も多くの人の思考のなかで息づいています。

スクーリング・パッドから自由大学へと広がり、多くの人々を巻き込んだ学びのムーブメント。この度刊行された『KUROTERU Studies』は、そこに関わった人々が、それぞれの記憶から生まれた言葉を寄せた一冊です。400字の断片が重なり合い、やがて「自由」という思想の輪郭が浮かび上がる。

今回はこのZINEのアートディレクション&デザインを担当していただいた大西さんに、編集の深井がインタビューを行いました。

黒﨑さんの気配を、なぜ「黒」と「T」というデザインに託したのか。大西さんは、膨大な記憶の断片をどのようにして一冊のZINEに仕上げていったのか。デザインという視点から見えてくる、黒﨑さんの仕事の本質と、次代へ手渡したいメッセージ。


肩書きではなくノリ。本質を見抜く野生の審美眼

―黒﨑さんとの最初の出会いは、大西さんがまだ学生の頃だったそうですね。

大西さん:
僕はもともと美大の油絵科で、デザインじゃなくて現代美術のアーティストになりたかったんです。当時は街中に携帯ショップが乱立していて、キャンペーン用の「のぼり旗」が大量に捨てられていた時代だったんですよ。「これ回収して何か作ろうぜ」って大学時代の仲間とグループを組んで、のぼり旗をパッチワークしたバッグやテントのインスタレーションを作っていました。

そのバッグを売る場所を探していたら、当時一番イケてた場所―青山のIDÉE(イデー)本店の前にあった、コンテナ(※のちに表参道commune246時のたこ焼き屋になる)を貸してもらえることになって。コーヒーを売りながら曜日担当生で自分たちの作品を売るならマージンはいらないよ、っていうチャンスを誰かが聞きつけてきた。そこで火曜日を担当してバッグを並べていたら、黒﨑さんがたまにポール・スミスとかを連れてふらっと現れたんです。

―いきなりカルチャーのど真ん中に放り込まれたわけですね。

大西さん:
後日、黒﨑さんが「これからポールに会いに行くから、君たちのバッグにワインを入れて持っていくよ」って買ってくれた。2000年代、若者の間で「デザイン」という言葉や、明確なアートとの境界線が消失していくような感覚のあった独特の空気感。あれを作ったのは確かに黒﨑さんだった思うし、僕らもその空気を吸っていました。
ただ、卒業後はアートで食えなくて、ストリートアートのまがいものみたいな絵を描いたり、ブランドのTシャツをひたすら作って食いつないでいた。そんなときに、共通の知り合いだったキヨさん(のちに黒﨑さんの会社に入るメンバー)経由で、原宿の「IID(世田谷ものづくり学校)」のランチ会に遊びに行ったんです。そこで「フライヤー作ってみれば?」って声をかけられたのが、仕事としての本当の始まりですね。

―そこから「MIDORI.so」の立ち上げ、あるいはホテルのブランディング(THE KNOT TOKYO Shinjuku)のロゴやサイン、新聞の制作へと繋がっていくと。

大西さん:
ある時、「MIDORI.so作るから、ロゴ作って、入居しなよ」って、いきなり誘われました。最初は「家賃タダでいいからさ、安くていいからさ」みたいな無茶振りから始まって。のちに黒﨑さんから「ほら、シンペイちゃん儲かってるからさ」なんて普通に払わされるようになるんですけど。黒﨑さんって、一見もの凄い「趣味性」が強くてコントロールしているように見えて、実は色んな人に任せているんですよね。「自由大学」も「MIDORI.so」も、関わっている会社もメディアサーフの人間も、みんな全然違う雰囲気で、すごく自由。

――なぜ大西さんにそこまで任せてくれたのだと思いますか?

大西さん:
黒﨑さんって、「こういう経歴があるから、この仕事をさせよう」という見方は一切しないんですよ。有名人を並べてその力を利用するようなやり方を、もの凄く嫌う人だったから。僕がIDÉEの歴史本をお手伝いした時に、最初にいろんな著名人が関わった年表や関係図を作ったら、黒﨑さんはその案を気に入らなくて「ダメ」ってお蔵入りにしたことがあって。要は「そんなの関係ないじゃん」って。おそらくですが。
そういう表面的な記号とかネームバリューじゃなくて、完全に「ノリが合うかどうか」の野生の勘で人を選んで頼むんです。もし当時、黒﨑さんが「エディトリアルの経験が豊富な、ちゃんとしたデザイナー」を求めていたとしたら、絶対に僕じゃなかった。本当に、素人同然だった僕に、よくあれだけチャンスをくれたなと思います。

24時間プレッシャーと猛烈なスピード感

―黒﨑さんのディレクションや、現場での人柄はどのようなものでしたか?

大西さん:
とにかくスピード感が尋常じゃないし、ずっと後ろの席に座ってプレッシャーをかけてくることも(笑)。言われたことをすぐやれる人じゃないと、ついていけないんです。逆に言うと、当時の僕にはそれしかやれることがなかった。
そんな黒﨑さんの洗礼をガッツリ受けた、強烈なエピソードがあって。昔、香港で黒﨑さんがデザインのエキシビジョンをやった時(香港Detourにて開催したPURE WATER DESIGN展)、(大矢)トモジさんと二人で「ZINEを作って」って課題を出されたんです。
本当に一日二日みたいな、狂ったスケジュールですよ。原宿のオフィスでわら半紙を買ってきて、自分たちで印刷して、トモジさんの奥さんにミシンでガガガッと綴じてもらって、ビニール袋に入れて…… デザインもクソもないめちゃくちゃなものを作った。

―そのときの黒﨑さんのリアクションは?

大西さん:
造形としては「こういうの面白いよね!」って言ってくれたんです。ただ、誰も文章の編集的な立場で校正を見ていなかったから、抜けやミスが大量にあって。現地ホテルの部屋で、めちゃくちゃ怒られました(笑)。
「造形の子は、頭おかしいよね、狂ってるよ!」って。なんと、参加している一人(平野さん)のプロフィールが丸ごと載っていなかったんです。
あと、会場発表のときも「粘着テープを発注して」って言われていたのに、僕らが間違えて、全然貼り付かないタイプのテープを持っていっちゃって、それにも「言われたことができてない!」って激怒されました。当たり前ですけど。とにかく「Doer(行動する者)であれ」という姿勢を求める人でしたから。

―朝活、なんて言葉もありましたね。

大西さん:
そう、スケジュールなんて完全に無視(笑)。朝、フォトグラファーから写真が上がってくると、朝7時集合とか言われるんですよ。僕は連日、深夜まで作業してクタクタなのに「朝7時!」って。それで朝7時からみんなで写真を見て、黒﨑さんと僕と堀江さんの3人で「これいいね」って選んでいく。そこまで一緒に泥臭くやるんです。
写真といえば、『硯プロジェクト』の本を作っていたときのこと。写真を撮って、普通に綺麗なページを作っていたんです。そしたら黒﨑さんが後ろから覗き込んできて、「カタログ作ってんじゃないんだからさ! シンペイちゃん、ちゃんとディレクションしなきゃ」って怒られた。黒﨑さんは、ただ商売として役割を全うするだけの、職業的な綺麗まとまりを一番嫌っていました。その時に「あ、当たり前のことを当たり前に綺麗にやっちゃダメなんだ」と身体で教え込まれました。褒められたことは基本的にはなくて、いつもそうやって本質を突いてくる人でしたね。

今回のZINEデザインは、「T字レイアウト」

―今回の「KUROTERU Studies」のデザインについて、制作の裏側を詳しく教えてください。最初、色についてはかなり悩まれていたそうですね。

大西さん:
そうなんです。黒﨑さんって、ことあるごとに「クラインブルーだ」(イヴ・クラインの青)って仰っていた。だから自由大学の青にしようかとも思ったんですけど、同時発売予定のブログ本『Existence』も青なんですよ。同じような佇まいの本が2冊並んでも面白くないな、と。かといって、COMMUNEのロゴのような血の赤を使うのもちょっと違う。じゃあ、いっそ「黒」にしようと。黒い紙に白トナーで刷って、本文も全部真っ黒なページにするのはどうですかって、藤原印刷さんに相談したんです。

―黒背景のページ!それは印刷会社としてはかなりハードルが高いのでは?

大西さん:
普通ならそうですよね。そしたら藤原さんが「それだとちょっと擦れちゃうから、逆にUV印刷機を使って、文字を『抜き(白)』にしましょう。UVなら刷った瞬間にすぐ乾くから、黒がブレないでバッチリいきますよ」って提案してくれて。「じゃあ、それでいきましょう」と。普通は文字を全部抜きにするなんて、怖くて基本やらないんですけどね。
じゃあ、その黒をどう画面の中に引こうと考えたときに、色に悩む前に作っていた「組版(文字の並び)」のレイアウトが活きてきたんです。

―あの独特な、文字が凸型(あるいは十字型)に配置されたレイアウトですね。

大西さん:
僕、1970年代の思想系の本や想定を手がけた、清原悦志さんというデザイナーの作品がものすごく好きなんです。彼の作品の中に「吸血鬼の本」があって、その組版が綺麗な「T字型」になっている。
日本語って基本的にスクエア(正方形)の原稿用紙で組むから、欧文のジャスティファイ(行揃え)しない組み方に比べて、本文の「矩形(形そのもの)」がパッと目で見て分かりやすいんですよ。文章そのものが「形」になって見えるデザイン。
で、今回の本で、普通ならマージン(余白)になる部分を全部黒インクで埋めて、さらに喉(ページの内側)の部分にも黒を流し込んだら…… 画面に綺麗な「T」の形が浮かび上がった。
「あ、これテルオのTじゃん」って気づいて、これだ、と(笑)。

―吸血鬼のオマージュであり、黒﨑輝男の「T」でもある。美しいギミックですね。

大西さん:
しかも、その中で黒﨑さん本人の言葉だけは、白黒を逆転させて「白ベース」にして見やすくしている。
あと本文最後のページにある「K」の文字や、この「T」の文字の境界線、少しガサガサとして掠れているんです。これ、黒い紙を手で切って作った文字です。
昔、黒﨑さんに「もっとこういう、飛んだやつでいいからさ」ってよく言われていた、僕が30代前半によくやっていた手法なんです。文字を一度紙に出力して、手でゴシゴシこすって汚してから、もう一回スキャンしてデータに落とし込む。現物(アナログ)から立ち上がった文字。黒﨑さんとの仕事の中で、何度も何度も無茶振りされながら仕込んできた表現のエッセンスを、この本の裏側にどうしても一個、ストーリーとして仕込みたかったんです。

KUROTERU Studies_book

巨匠にはなれなかった、だけど

―本当に、黒﨑さんへのリスペクトと歴史が詰まった1冊ですね。

大西さん:
黒﨑さんが亡くなる1年くらい前、また新しくデザインのイベントをやろうって話をしていて。そのときに黒﨑さんから、「そこでシンペイちゃんも一皮むけてさ。渡邊かをるさんさんみたいに、もっと良くなれるといいね」って言われたんです。渡邊かをるさんといえば、キリンの仕事などを手がけたデザイン界の巨匠。黒﨑さんの中に、僕をそこまで引き上げたいというイメージがあったのかと。まぁ、今振り返っても、僕は全然そんな風にはなれていないし、これから頑張ります、としか言えないんですけどね(笑)。
今の若いデザイナーって、最初からインターネットでいくらでも情報が取れるから、学生時代から自分の色をきちんと持っていて、層が圧倒的に厚い。でも僕らの世代は、ロストジェネレーションのど真ん中で、就職もせず、覚悟もないまま、デザインとアートの境界線が崩れる過渡期を泥臭く生きてきた。
そんな「何者でもない素人」だった僕に、「カタログじゃないんだからさ」と、常に普通じゃないもの、枠からはみ出すものを求め、打席に立たせ続けてくれたのが黒﨑さんでした。この本を通して、その狂気混じりの自由さとスピード感が、少しでも伝われば嬉しいですね。

大西真平

アートディレクター、グラフィックデザイナー。
1978年生まれ、鳥取県出身。2002年、東京造形大学美術学部絵画科卒。ブランディングを中心に、広告、書籍、商品パッケージ、アーティストグッズなど、ジャンルを問わず世界観をトータルにディレクションし、制作まで手がけている。主な仕事に「K5 ブランディングプロジェクト」「大橋会館 ブランディングプロジェクト」など。
https://shinpeionishi.com/