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歩けば聴こえる「自分の声」に気づくきっかけをつくりたい

FLY_ 67|Zenさん/湘南の散歩屋さん

「多くの人を喜ばせられる、とてもやりがいのある仕事」と語るZenさんは、主に映像分野でクリエイターとして活動されています。大手企業でチームリーダーを一任されるほど高い評価を得ていますが、必要な専門技術はすべて「30代になってから独学で身につけたもの」というから驚きです。

自由大学では「生活の革命」「共生のシャーマニズム学」「自分の本をつくる方法」を受講。受講中から変化が起き、あらたに「湘南の散歩屋さん」としての活動をはじめた経緯についてお聞きしました。

海岸を歩くZenさん


ー Zenさんは、今までどんな問いを意識して生きてきたのでしょうか?

「自分はなぜ、何のために生きているのか」。陳腐な問いかもしれませんが、飽きずに追いかけ続けてきた問いです。

 僕にできることは「つくる」こと。絵、映像、CGグラフィックスを作ることで自分を満たし、技術を磨くほどに表現できることが増え、それに伴って僕の画に感動してくれる人が増えていきます。つくることは、僕の問いの答えだと思っていました。

ー それでも、何か満たされないものが?

はい。仕事で評価を得ても、自分に満足し充実した日々を過ごしていたわけではありませんでした。クリエイターになってからも苦しい道のりでしたし、相当の努力をしました。これまでの成長を誇らしく思う反面、必死に走り続けた期間に失ってしまったことがあまりに多すぎるようにも思えました。

こう言うと誤解されるかもしれませんが、もともと僕は作りたかったからクリエイターになったのではありません。食べていくための手段が他になかったのです。生き延びるために、地面を這うように歩む日々のなかで、「走り続けた先に本当に幸せがあるのだろうか…」という疑問を、どこかで抱えていたのだと思います。

ー 自由大学との出会いは「生活の革命」でしたね

今年2020年の元日に坂口恭平さんの著書『まとまらない人』を読みました。坂口さんの言葉は、僕の乾いた世界に吸い込まれるように入ってきました。本に描かれている活動を読むにつれて、僕に無いものが分かってきたんです。それは「僕が与えられるものは何か」という問い。

クリエイターであることは、僕自身がこの世界で生きるための手段でした。「作ったもので人を喜ばせたい」という思いに嘘はありません。でもそれは副次的で、僕は意識的に誰かに与えて生きることをしていませんでした。

「与えられる人でありたい」という思いが日に日に強くなっていき、坂口恭平さんの著書を手当たり次第に読みました。「いのっちの電話」ほどの活動はできそうにありませんが、「何か僕にもできることがあるはずだ」と考えるようになりました。

新しい問いを考える日々の中で、坂口さんが自由大学で「生活の革命」という講義をやると知りました。秒で申込みましたね。

「生活の革命」集合写真


ー 坂口さんの講義からどんなことを受け取りましたか?

「自分の声を聴け」ということ。それが何かは正直良くわかりませんが、それが聴きたいと思いました。自分の声はどこにあるのか? 講義の中で坂口さんが「どしゃぶりの雨、まっさかさま」を歌ってくれたんです。素晴らしい歌とギター。

「どうしてみんな歌わないんだ?」と坂口さんが問うので、「そうだそうだ!」と僕は即決で近所のギター教室に通うことに決めました。とりあえず歌うことにしたんです。

ー 思いつきからアクションが速い! その後「共生のシャーマニズム学」に参加されます

数日後、坂口さんが自由大学の「共生のシャーマニズム学」の告知をリツイートしました。あの日以来「自分の声とは何か」を探っていた自分は、この講義にピンときました。何かヒントが得られるかもしれないと思ったんです。

講義の初回、自分たちのルーツに繋がるという話をする中で、教授のSUGEEさんが「それは自分の声を聴くということです」と説明してくれて。望みどおりというか、自分の声を聴くヒントを得ることになりました。

ー ルーツに繋がる方法はわかりましたか?

それは第1回の講義後、コロナでの自粛期間中に突然見つけることになりました。その期間、自由大学の講義も中断になりましたよね。そのとき僕はひたすら歩いていました。歩くことは昔から好きで。仕事で大事なアイディアも、思い浮かぶのは決まって歩いている時でした。

コロナでとてつもない速度で世界が変化する中、SNSで飛び交う言葉や情報にはうんざりしていました。「この時間に僕たちは何を失い、これから何を得るのか? 僕たちはこれ以降の世界でどう生きるのか?」数々の問いが日々頭に浮かんでいました。空中戦のように高速で飛び交う言葉の山は信頼できそうになく、「何か道しるべとなるものを見つけたい」と願って歩くことにしました。絶対的に信頼している「歩く」という技術に頼ることにしたんです。

ー 歩くことで、自分の声を聞いてみようと

目的を持たず、国道1号線をひたすら西へと歩くために歩きました。歩きながら、自分にとって確かだと思えることだけを拾い集めていきました。

コロナ禍でも、日常は、いま、ここに、当たり前に存在しています。それは、歩くことでしか見えてこない風景や感覚の中にありました。そして、ネット上を光の速さで飛び交う言葉に対して、歩くという速度の遅さ。でもこの遅さは、人間の本来の速度であるはずだ、ということに気が付きました。

ゆっくりと歩き続ける日々の中、「僕にとって歩くことが自分のライフワークになる」という確信を持つに至ります。5月11日のnoteにこう書いています。

「背中に翼があって、滑るように空が飛べたらとても気持ちよいだろうけれども、きっと自分は、足の痛みを感じながら、どこまでもゆっくりと歩くほうが好きだ。歩く人でありたい。前を見たり、後ろを振り返ったり、空を見たり、地面を見たり、立ち止まったり、道端の樹に寄りかかって休んだり、寄り道したり、道草を食ってみたり。目的もなく、ただ歩くことだけをする、歩く人でありたい。そんな自分の声を聞いたような気がした。」

僕のルーツは、歩くこと。歩くことはいつも自分に、気づきと恩恵を与え続けてくれていたことに気がついたのです。

ー それからは、歩くことを意識的に研究しはじめる

そうです。例えば、歩いているとアイディアが浮かんでくるのはなぜか。それは僕だけに起きることなのか。全ての人が歩くことから同じ恩恵を受けるのか。受けるとしたらそれはなぜか。歩くことに関するひとつひとつの問いを考えては、それについて調べるようになりました。

ー なぜ「自分の本をつくる方法」へ?

さらに深く探求するために「一度なにかにまとめたい」と思っていたところ、ちょうど良いタイミングで、自由大学で「自分の本をつくる方法」が開かれることを知りました。「本にまとめる」のは、とても良さそうです。

講義では「歩く」というテーマに、深井さんや同期メンバーから意外にも好意的なフィードバックをいただくことができました。読者の裾野の広さや、切り口の多様さに可能性を感じることができました。

さまざまな議論を重ねる中で、僕に足りないものも見えてきました。僕は、僕以外の歩く人たちが歩くことにどんな考えを持ち、何を受け取っているのかを知りません。それをどうすれば知ることができるのか? 何か自分にできる良い方法はないか考えていました。


ー 自分以外のサンプル、多くの事例研究が必要だと

はい。これは偶然ですが、「自分の本」同期生の中に、りなさんという湯河原でリトリート旅館を経営している方が参加していました。りなさんは旅館のイベントで真鶴の森を地球の誕生から現在までの時間に見立てた道のりを「歩く」企画を主催されていて、僕をイベントに誘ってくれたんです。

不思議な縁を感じて、参加することにしました。真夏の日差しが照りつける暑い日。真鶴の森を歩きながら、みんなでいろいろな話をしたときのこと。海沿いの岩に腰を下ろしてランチを食べていると、りなさんが僕のことを「ぜんちゃんも歩くことをやっている人だよ」と、みんなに紹介してくれました。

すると参加者の女性から「それで、ぜんさんの歩く会はどうやったら参加できるんですか?」と、とても無邪気に当たり前のように聞かれました。僕は考えてもいなかったので、「あ、僕はそういうの特にやってなくて…」と慌てたのですが、もしかしたら僕もこういう会を開いても良いのかもしれないと、その時ふと思いました。

でも、やっぱり僕が会を開くことは現実味がありませんでした。目的なく歩くために歩くなんて、言ってみればただの散歩ですから。

ー 考えてもいなかった「歩く会」。ひらくと決めたきっかけは?

「いますぐやるべきよ!」と、背中をドカンと押してくれたのがりなさんで。その場で日程まで決めて、僕から全ての言い訳を奪い去ってしまいました(笑)。僕はりなさんのエネルギーと笑顔に圧倒されて。「はい、やります」としか言えなかったのですが、きっとどこかやりたい気持があったのでしょうね。

正直「ただ歩く」ことで、参加者が本当に喜んでくれる自信はない。でも、もし僕が歩くことから得ている恩恵をみんなにシェアできるかもしれないと想像すると、それはとてもワクワクしました。

いつでも誰でもできて、お金も掛からず道具も資格も何も要らない簡単な行為で、人生をほんの少し豊かにすることができる。僕ならば、それをみんなに与えられるかもしれない。

「与えられる人になりたい」という想いと、「ただ歩くために歩く人でありたい」という想いが、ここで繋がったんです。

 

ただ歩くイベントの参加者たち


ー 「目的なく、歩くために歩く」を伝える、散歩屋さんが誕生した

それからすぐに「ただ歩く会」の企画を立ち上げ、ついでになんとなく思いついた「湘南の散歩屋さん」という名前で活動を始めました。

歩くことから参加者が受け取るものはそれぞれです。歩くことに優劣はなく、競争もなく、比較もなく、評価もない。あらゆることを資本主義のルールに取り込み、金銭的価値観に変換していく現代の社会は、常に誰かと競争し、比較し、価値を出すことを求めてきます。それは人間社会の発展の動力となった一方で、それに疲弊し、苦しんでいる人たちもたくさんいると思います。いま僕たちには、他人と価値や優劣を一切争うことなく、本当の意味で自分自身のために楽しむことができる行為が必要です。ただ歩くために歩くことは、そんな行為のひとつだと考えています。

まず2回開催してみましたが、想像していた以上の好評の声をいただいて手応えを感じています。そして何よりも、僕が与えられると思っていた以上のことを、僕自身が参加者のみなさんから受け取っています。

歩くために歩くことは「自分の声を聴き、自分を知ること」。「歩かなければ見えてこないこと」に気づくこと。僕たちの普段の日常で、自分の声をどれだけ見失っていたかに気づくこと。そうした小さな気づきが、歩く人の明日からの人生を、ほんの少しずつ変えて行くと信じています。 

ー 映像のクリエイターの傍ら、並行してライフワークである「歩くこと」の探究をはじめた背景にはそんなストーリーがあったのですね。参加メンバー同士で化学反応が起きる場。自由大学の講義には、好奇心をもち、自分なりの問いを立て、学び続ける方々が多く集まります。これからも刺激を与えあっていきましょう。今日は、ありがとうございました!



プロフィール

Zen (ぜん)
湘南の散歩屋さん / クリエイター
1981年岩手生まれの福島育ち。生粋の東北人。新聞記者、ブライダルカメラマン、映像クリエイター、VFXアーティストなどを経て、現在フリーのクリエイター。29歳でマスコミを辞めて後、独学で技術を身につけてクリエイティブ業界に転職。映像、ゲームと二つの業界で、転職から約1年でチームリーダーに抜擢されるなど、不思議と仕事が高く評価され続ける日々を送る。そんな中、自分の創造力の源泉は、ほぼすべてが日々の徒歩通勤時や散歩時に湧いてきたものであったことに気づき、以来歩くことへの絶対的信頼を持つようになる。現在は、歩くことと人間との関係について日々思索を深めながら、歩くことの恩恵を多くの人と分かち合うウォークショップ「湘南を歩く人」を始める。神奈川県在住。歩く人。
note:https://note.com/miurazen0707
イベント参加方法はfacebookページで。

<Zenさんが受講した講義>
生活の革命
共生のシャーマニズム学」(オンライン講義もありますのでTOPページで確認ください)
自分の本をつくる方法」(オンライン講義もありますのでTOPページで確認ください)

取材:ORDINARY



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