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「人って過去に対しても自由?」真面目は無能の言い訳編

2017年秋冬のテーマ「真面目は無能の言い訳、人間らしくまともに生きよう」自由大学クリエイティブチーム インタビュー


自由大学の新たなスローガン「真面目は無能の言い訳 人間らしくまともに生きよう」。
今秋のスローガンを巡り、後編では自由大学クリエイティブチームの岡島悦代、本村拓人、武田優恵の3人が語り合う。

 

ーースローガン、熱いですね。「まともに生きる」って?

 

本村五感を使って、ちゃんと考えて「自分で問いをつくる」こと。自分で考えず、なにかに依存する生き方ってまともでない生き方なんじゃないかな。AI技術の進化で人間の役割がまさに問い直されている時代。まともな人間に出来て機械にできないことは、「感じること」、そして「問いをつくること」だと思う。

 

武田「まとも」は、自分の感情や心地よさに正直であることだと思う。わたしの周りには、社会の波に飲まれて就職することなんかがまともだと思い込んでいる人が多かった。でも、本当は違うんじゃないかって問いが少しずつ生まれてきている。その感情を押し殺して、よくわからない大義のために自分の気持ちを無視するのはおかしいと思う。

 

岡島まともに生きるためには、「真面目にやってるからいいじゃん」っていう風に真面目を言い訳にせず、自分の理想を追い求めることが大事だよね。

 

真面目に逃げずに実践し続けることが大事

 

ーー「真面目」を言い訳をしないために、みんなが実践してることって?

 

武田私は華道の家に生まれたんだけど、伝統芸能も企業もピラミット型だからトップの言うことを割とそのまま受け入れてしまう。伝統はもちろん大事なんだけど、「自分の中に生まれた問い」には向き合わないことはとても不自由だと思う。だから、真面目を言い訳にしないためには、日々自分に向き合うことかなあ。

 

本村真面目を言い訳にしないためには、違う環境や価値観、発想に触れる経験をするとか、ある種の不便さに触れないといけないよね。異物を自分の中に存在させることがすごく大事だと思う。だからぼくは現状を打破するためによく旅に出るんだ。

 

武田わたしは東京という環境に対して不満が多いの。等間隔に植えられている木とかガードレールを見て、全然自然じゃないじゃん!って怒ってる(笑)。過保護な都会が人々を不自由にさせている。そして、それを打ち破る発想を求めているんだと思う。

 

岡島私が実践していることは、理想の自分に近づくために何事にも辛抱強く取り組むこと。理想が叶った瞬間って自由を味わうじゃない?自由大学の場合だと、開校してから8年間クリエイティブチームのメンバーが時代に合わせて代謝しているんだよね。

 

ーー伝統や文化と新しいもののバランスってどう考えている?

 

岡島例えば自由大学の組織がフラットだとしても、旗振り役となるリーダーの存在は必要で、私はいま三代目の学長。一から自分の理想を作り上げることと、今まで築かれたものを引き継ぐことでは、力のかけ具合が違うことを痛感した。今までの文化を大切にしながら、新しいことに挑戦することって進む方向をハンドルを切って変えることだから、今までの慣習が変わることもある。どこまで築いてきたものを残そうかと悩んだ時期もあるけれど、結局自分の理想を信じて邁進するしかないんだよね。

 

武田「畳に足を踏みれる時に何故左足から踏み込むのか?」という作法一つにも、刀を抜く意思がない(戦う意思がない)ことを示していたり。伝統の中で、意味の込められたものを抽出して現代的な発想と掛け合わせて新しいものを生み出してゆく必要があると思う。そのための第一歩は、光の差すほうに進んでいくこと。何もせずに外野から何かを言うよりも一度やってみて後から後悔するほうがいいと思うから。

旅の目的?「想像力の貧困」を打破すること

 

ーーみんなは旅によく出るって聞いたんだけど、旅の目的って何?

 

本村僕の場合旅には二つの目的があって。「強烈な異物」と「強烈なリファレンス」に出会うことかなあ。リファレンスというのは、自分の生き方のモデルになるような事例。働き方とか価値観とか。

 

ーー旅に出ると価値観が広がるってよくいうけど、それはなんで大切なのかな?

 

本村いま、貧困が世界中駆け巡っている。経済的な貧困はもちろんだけれど、個人的には先進国含めて「想像力の貧困」や「視点の貧困」が大きな問題だと思っている。旅は、そのソリューションになるんじゃないかなあ。視点をたくさん持ったり、違いを見出せるきっかけになるから。

 

岡島初めての国では戸惑うことも多いけれど、旅にでる醍醐味は「文化的差異を発見すること」。違いを理解してようやく自国の生活習慣と比較できるようになる。会計の仕方とか交通ルールとかそんな些細なことでも。同時に自分のことも発見できるよね。

 

ーー「自由になるために実践している」っていうけど、みんなは自由じゃないの?

 

本村僕は、精神的に自立している人ってあまり見たことない。自分も含めて(笑)。苦行がないからかな。仏教ぽいけど、諸行無常を受け入れられるかどうかが大事かなと。ついつい自分の意思や意見が変わるということを受け入れらなくて自分に執着してしまう。それを乗り越えないと精神の自由はない。だからわざわざ旅をしているのかも。

 

武田不自由さでいうと、伝統芸能ってまさにそういう世界。華道はそこまででもないんだけれど、能楽は血の文化。自分の身体と魂が切り離された自由な次元に達するためには、自分を殺して、精神的に抑えることがかなり必要になる。そういう意味では、家元文化みたいなところからポンと出てしまった私は大分自由なのだと思う。

 

ーーもともとまっさらな自由が広がっているわけではない?

 

本村うん、人間はもともと不自由だと思う。そこから解放へ向かうことが自由を得ることかな。

 

岡島自由を味わった瞬間に不自由を感じているよね。だから日々自由を求めて、動き続けている。本当に自由になるときは、死んで魂が離れるときかな(笑)。

 

 

本村自由って責任を持つこと。なんでもありの場合、責任を持たなくてもよくなる。旅をすると「右にいくか左にいくか?」という問いかけが常にある。選択しなければいけないという制約に対して、ちゃんと判断できるかどうかだよね。


2億人以上の人口を誇るインド最大の州UP州ラクナウ近郊から車で4時間の地にて

「人は変われるんだ」と思えることが自由であること

 

ーー人間は、過去に縛られて未来への選択が出来なくなることがある。人間は未来に対してだけ自由?

 

本村僕は現在に対してだけ自由だと思う。だから、現在の視点から過去を自由にすることができる。過去の自分、現在の自分と明日の自分が違うという可能性を追いかけて生きるしかない。人間には、変わるという知性があるから。

 

岡島たとえ失敗した過去があっても、その後の行動で過去はいくらでも書き換えられると思う。「悔い改めよ」って変化して成長していける言葉だよね。時間の流れは決して線形ではなくて、あるポイントに達したときにバラバラの経験が一気に繋がって自由を得ることもあるから、やっぱり意志を持って行動することが自由を引き寄せるのではないかな。

 

ーーそんな簡単に人って変われる?

 

本村実際は、変わることって難しい。だからできることは、過去の不自由さや自分がダメだということを受け入れる。その上で自由を求めることかな。

 

岡島「変わる」というか、出来事の経緯をより深く理解して多面的に捉えることで「救われる」瞬間はあると思う。そのためには過去に蓋をするのではなく、向き合い続ける必要があるなと思う。

 

ーーでも人って、人が変わることに対して否定的じゃない?

 

武田現在から過去を否定して、自分を縛ってしまうことはよくあること。今の社会において華道としての幅が広がらないのは、目的として花を生けることに執着しているからだと思う。
心身や生活をより豊かにするための華道だったら、花を生けないことも華道になりうるし。
そういう意味で、家元制度みたいなお金を稼ぐ為だけのルールはどんどん更新していくべきだと思う。

岡島前ドイツ人に「なんで日本人はルールを変えられないんだ」って言われたことがある。ルールって習慣の蓄積にすぎないじゃない? だから、習慣が変わってきたらルールも変わるべきだと思う。自由大学は「学びの自治」。自分たちで学びも、ルールもつくる。こういうスタイルがひろがったらいいなと思う。

自由ってホントに手に入る?「人間らしくまともに生きよう」編はこちら>>





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