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自由ってホントに手に入る?「人間らしくまともに生きよう」編

2017年秋のテーマ「真面目は無能の言い訳、人間らしくまともに生きよう」自由大学クリエイティブチーム インタビュー

今秋、自由大学が掲げるスローガン「真面目は無能の言い訳 人間らしくまともに生きよう」。この言葉を巡り、自由大学クリエイティブチームの岡島悦代、佐藤大智、岩井謙介の3人が語り合う。

自由になるために、真面目を逃げ道にしないこと

ーー今回のスローガン、かなり攻めてますよね

岡島:「真面目」ってもともとは何かに真摯に向き合っていることだと思うんだけど、最近は、「真面目にやってるからいいじゃん」っていう言い訳に使われる。仕事に対しても人生に対しても、真面目という名の言い訳にはうんざり気味。これが自由な発想のバリアになって、閉塞感を生み出している気がしていて。真面目さを飛び越えるのはなかなか難しいけど、自由大学は、そこに風穴をあけたい。

ーー「真面目」に対して「まとも」って?

岡島:「人間らしくまともに生きよう」の「まとも」は、閉塞感のある「真面目」ではない、力が抜けた程「よい塩梅」というニュアンスを表していると思う。

ーー「人間らしく」ってどういうこと?

大智:真面目は、正しいことを言うとかルールを守るみたいなイメージ。でも、ルールから人間を規定するんじゃなくて、人間から見てそれが本当にまともかどうか判断したほうがいい。「人間らしさ」は、正しさとかまず置いておいて「悪いところも含めて肯定すること」だと思う。感情的な部分も含めて。

岩井:「人間らしさ」って、あまり考えすぎないことかなあ。考えすぎないというのは、ただ闇雲に生きることではなくて「人としての居心地のよさとは何か」を考え続けること。人間らしく生きるためのベースは「自分の置かれている状況が快適であること」だから。忙しい状況でも、その人にとって心地よければいいじゃん。忙しいからストレスなのではなく、心地悪いからストレスなんだから。でも、理想的な心地よさと現実生活にはずれがあるし、それが大きすぎるとしんどくなるから、そのギャップを埋めることが人間らしく生きることかもしれない。

岩井さん(左)はストックホルムからテレビ電話で参加。(右はHAiKw/のファウンダーのIda Falckさん)

ーー人間の感情や感性の面をもっと考えたほうがいい?

岡島:人間には説明がつかない部分がある。それも許容できるのが人間らしさかなと。いまはみんなすぐに答えを出してラベルを貼って安心したがるけど、悩んだ途中経過もちゃんと大事にしたい。喜びに到達するまでの不安を持っているのも人間らしさだし。理性を持つのが人間だって考え方は特に西洋でずっとあったと思うんだけど、現代は理性と感性をバランス良く保つ時代だと思う。

ーーじゃあ、生きてて「人間らしいな」と感じる時って?

大智:人間も動物だから、論理的に考えることや答えを出すことばかりだとよくないと思う。自分は積極的に無意識の自分とも関わりたいと思っていて、トレランをやってるんだけど、そのときになんか人間らしいなって感じる。

岡島:わたしも体動かした後かな。ヨガや踊った後や、いちゃいちゃした後とか(笑)。

岩井:僕は、時間を自主的に組み立てられているときかな。自分でやりたい仕事を増やしているときとか。だから「自分が言い出しっぺになる状況をどうつくるか?」が大事だと日々おもっている。

 

実践すると理性と感性が繋がる感じがする

ーー「人間らしさ」には身体性が伴うって話になったけど、みんな、人生で実践してるタイプ?

岡島:岩井くんはすごいストイック。理想を描いたら実践して達成するよね。

岩井:常にやりたいことがあるからいろいろなアイディアを同時並行で寝かせておいて、タイミングを見てどんどん出すようにしている。北欧を取材して自費出版したり、たまたまインテリアショップで見つけたものを作っているクラフトマンに現地で取材をして一緒にイベント企画したり。すぐ連絡して関係性つくっちゃうし、こういう流れを半年でやっちゃう。今回ノルウェーでHAiKwっていうファッションブランドに出会ったんだけど彼らヒッチハイクみたいな感覚でビジネスしているんだよね。いいなあと思う。その時々でにすぐ動けるような仲間をつくることって大事だよね。

岡島:失敗しちゃったらどうするの?想定外のことが起きた時とか。

岩井:工夫すればどうにかなるって楽観的に考えているかも。僕は、物の価値を変えていきたい。お金が基準になるものの価値ではなくストーリー性をもった購買構造や、マインドセットを変えるというチャレンジをしている。

ーー考えることより実践が大事?経験しないと身にならないものなのな。

大智:本を読むこともいいけど、体験しないとただの文字情報でしかない。身体感覚が伴って初めて現実になる感覚がある。僕が山に行くのは「生に向き合う」という実践かも。セミとかサワガニ生きたまま食べたり。

岡島:内省的な時間も大事だと思うんだけど、私も経験が伴わないと、知識を獲得した感がないな。いいなと思っていた本のフレーズや言葉が実際に起きた時に、ようやくその言葉が自分のものになった感覚が生まれる。逆に、この感覚をなんて言ったらいいのだろうっていう、単純な嬉しいや楽しいじゃない複雑な感情を、本や人の言葉の中に見つけた時にこれが求めていた表現だって思う。なんか、理性と感性が繋がる感じがするんだよね。

人は牢獄の中でも自由。足を引っ張る他者は自由を奪う。

ーー自由大学が目指す自由って?

岡島:自由は「自分は何者であるか?」という問いをたてて「自己の確立」に立ち向かうことだと思う。人に価値判断を委ねないで、自分で判断する。自らの選択に自覚的になること。それは、自由を獲得するための前提だとも思う。自由大学はここを目指している。

ーーでも、自由意志なんて幻想かもしれない。本当に人間は自由?

大智:もちろん人間は制限されている。でも、真っ白なキャンパスじゃないから自由がないという言うのは短絡的すぎかなあ。僕は、自分は自由だし、むしろ自由の刑に処せられていると思っている。だからこそ、自分が「選択する」ということに、自分の存在がかかっている。選択肢が制約されていたとしても、その障害を取り除くことも自由。

ーー選択し続けているということが自由?

大智:うん、真面目だからいいじゃんっていう人は自分たちは自由ではないと思っているじゃん。だから自分の選択に自覚的なろうよ、あなたの人生はあなたの選択の積み重ねでしょって言いたい。「自分は自由なのかどうか」を問わないのも問題。それも自分を不自由にしている要因だよね。

岩井:僕も、人間はそもそも自由だと思う。自由は自分の心の中にあるものだから。小学生の時に、めっちゃ悪いことして(中身は言えないです笑)校長先生にものすごく怒られたのね。実際反省したんだけど、怒られている時、僕が心の中で何を考えているかは他の人にはわからないし誰も踏み込めないって感じて。僕は怒られていた時に好きな女の子のこと考えてすごく幸せだったかもしれない。小学四年で精神的な自由に気付いたんだよね。

ーー精神的な自由が大事なのか。じゃあ牢獄の中でも人は自由なの?

岩井:うん、紙とペンがあればいくらでも自由。アイディアを出したり面白いことを考えたり詩を書いたり。逆に言えば、そもそも人間に物理的な自由なんてそんなにないのかもしれない。自分から解放されることはないから。場所を変えたとしても、自分からは逃れらない。でも自分の身体に囚われていても自分の心は自由。

大智:でも、場の力って必要で、場によって心が解放がされることもあるよね。

岡島:確かにすでに自由を謳歌できるから、牢獄の中でも自由を感じられると主張できるのかも。そもそも物理的に不自由な人がいるもんね。

大智:例えば僕が難民キャンプにいたとしたらこんな風に考えられないと思う。

岡島:わたしも会社にいたときは、大きな組織があって社内政治があってルールがあって。そこから解放されたいと思ってこの環境にたどり着いたから、選択しているのは物理的な自由のほうかもなあ。

ーー最後の質問。自由大学はみんなで学ぶ場。他者って人の自由を侵害する存在かな?

岡島:表裏一体かなあ。他者は、自由を与えてくれる人であり、足をひっぱる人でもある。道徳的・常識的なことを言ってくる人やルール押し付けてくる人は自由を奪ってくるじゃない。自由を与えてくれる人は、応援してくれる人。

大智:人といたほうが自由っていう感覚はいまいちわからなくて、僕は基本的に一人のほうが自由だと思う。邪魔されないから。でも、楽しいことでも悲しいことでも何かが起こるためには必ず誰かが必要。他者がいれば面白いアイディアも出るしね。

岩井:みんなで、気楽に生きようよって思う。もっと自由に。

 

真面目は無能の言い訳 人間らしくまともに生きよう。自由大学は、真面目を逃げ道にせず人生にチャレンジするあなたを応援します。次回のクリエイティブチームのインタビューもお楽しみに!


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