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日本の「思いやり」を研究するビジュアルアーティスト

ベルリン自由大学 ビジュアルアーティスト Pamela Slass さん

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NY生まれのビジュアルアーティスト Pamela Slassさんはチェコを皮切りに、日本、中国、韓国、インドと世界各国で暮らし、現在、ベルリン自由大学のMedia & Visual Anthropology(メディア&映像人類学)修士課程で、日本人の思いやりについて研究されています。研究の一環として自由大学へ訪れたPamelaさんに、なぜ「日本人の思いやり」を研究テーマとしたのか、そして「自由な学びとは何か」についてお話を伺いました。

( 聞き手: 岡島悦代

 

— 海外生活を始めたきっかけは?

私はビジュアルアーティストとして、Human Conditionをテーマに活動していました。30歳の時、「他国や異文化について知ることで自分の作品を深めたい」と思うようになり、アメリカを離れました。

※Human Condition:ナチズムの台頭したドイツからアメリカに亡命したJewish(ユダヤ系)であるHannah Arendtが著した政治哲学。日本語では「人間の条件」「活動的生」と訳される。

 

— Pamelaさんのルーツはどちらになるのでしょうか。

私はJewishで、東ヨーロッパ・ロシアがルーツです。私の家族は1900年頃、NYに来たと聞いています。移民がとても多く、さまざまな言語で表される名前を入管手続きの際に短くしてしまうことがよくあった時代で、私の苗字も短くなった1つです。今となっては本来の名前はわからず、ヨーロッパに残った祖先もいたと思うのですが、どうしているのかを知る術はありません。

 

  • 最初はチェコに渡られたのですね。いつのことでしょう。

1994年です。チェコはそのわずか5年前の1989年、民主化革命であるビロード革命により共産主義体制が終結し、1993年にスロバキアと分離、独立しました。初代大統領の Václav Havel(ヴァーツラフ・ハヴェル)は元劇作家で、革命以前、その思想により幾度となく投獄された人物です。私はすでに30歳を超えていましたが、激動期のチェコで1年を過ごし「自分が大人になってきた」と感じました。

 

— 非常にインパクトのある1年だったのですね。

第二次大戦でさえ、私には歴史上の出来事ですが、友人の半数は当時ユーゴスラビアと呼ばれた内戦が続く国、戦争状態の地域から来ていました。彼らは教育も高く、一人ひとりが主張、つまり「自分の言葉」を口にしていました。彼らと接していると、NYは透明なしっかりとした膜のようなものに守られていたようにも感じます。チェコでの日々こそ、私の人生のスタートでした。
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— チェコの次に来日をされていますが、日本にご興味があったのですか?

ええ、大学生の時に東京の写真を見て「ここに住まなきゃ!」と胸がドキドキしたんです(笑)。伝統と近代的なものが共存する都市でした。ちょうど韓国人の友人が東京で職を得たと聞き「お願い、一緒に住ませて! 東京を見たいのよ!!」と頼み込みました(笑)。

 

— 実際に住まれていかがでしたか。

もちろん、素晴らしかったです。まず彼の住まいが、西新宿のコンクリート打ちっぱなしのアパートで、まさに雑誌で見たような安藤忠雄スタイル! その時はこれが東京でも特別だなんて知りませんから。

 

— その頃に(自由大学創立者の)黒崎さんと出会った、と。

インダストリアルデザインやインテリアの仕事の関係で、(当時IDÉE代表だった)黒崎輝男さんに出会いました。

 

— 現在の研究テーマである「日本人の思いやり」については、その頃にきっかけがありますか。

そうです。知り合った金工アーティストの日本人から「工房を開こうと思っているので、一緒にやらないか」と誘われ、私はビザ取得のためアメリカに一時帰国しました。この手続きに4ヶ月もかかり、その時、黒崎さんが出会って間もない私のビザの取得に力を貸してくれました。

 

ビザが下りた時には、もうスタジオは出来上がっていました。小さな一戸建てに、ユニークなファッションのスタッフが働いている素敵なワークスペースでした。

 

共にスタジオを作ろうと声を掛けてくれた彼は、私を2階の部屋へ案内してくれました。そして “Forgive me(ごめんね、許して)” と言いました。「ごめんね、この狭いスペースが君のスタジオなんだ…」と。そして、立てないほど低い天井の3階を「ごめんね、このもっと小さなスペースが君の住まいになるんだ…」って言うんです!私のための場所まで用意して待ってくれていたなんて!

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彼も黒崎さんも出会って間もない人でした。そんな人たちから、このような優しさを今まで受けたことがあっただろうかと振り返りましたが、もちろん初めての経験でした。この一連の出来事から、私は「思いやり」について深く考えるようになったのです。

 

— そこに10年住んだのですか?

そこは6ヶ月で出ましたが、10年間、日本に住みました。感情的にとても深い10年です。私は日本という国のさまざまな部分に対し、敬意を払っています。正直、一生住み続けたいと思うくらいでした。

 

— でもその後、中国、韓国、インドと転々とされますね。

日本との距離が近くなり過ぎたので、一度外から見てみようと。アジアという広がりのなかで、日本をとらえてみたいと思ったからです。日本の政治や政府による戦争史実の扱いも気になりました。私が今いるドイツは、戦争についてしっかりとした教育がなされています。だからたくさんのJewishが不快さを感じることなく暮らせています。社会が成熟にするためには、歴史を的確に学べる教育が大切なのではないでしょうか。

 

— 近隣諸国で暮らしたPamelaさんの目に、日本はどのように映りましたか。

日本の文化を作り出すのは日本人の繊細さであるとよくわかりました。思いやりを持ち、それを日常的かつ無意識に発揮していること。それが日本の素晴らしさです。日本は世界に対し、伝えられることがたくさんあると感じています。

 

— ご自身が日本の社会で暮らしたからこそ、気づけたのではないでしょうか。

その通りだと思います。だからこの感覚をシェアする方法を検討し、映像を選びました。もともとビジュアルアーティストですから、ごく自然な選択かもしれません。世界最大の映画産業国であるインドで、優秀な教授に師事しましたが、彼が退職されたため、次の学びの場としてベルリン自由大学に辿り着きます。
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— ベルリン自由大学での学びについて教えてください。

2学期制で、学期ごとに2〜3週間のスクーリングがあります。それ以外はオンライン講義ですので、私のように研究先の国での調査に充てることができます。

 

— ここ自由大学は、自由に学び自由に教え合う組織です。日本の学校教育制度に組み込まれた大学ではありません。同じ自由大学という名前でもスタイルは異なりますが、どんな印象を持たれましたか。

日本は型にはめることが多い国です。「日本人」という枠にはまるために、発想や考えの翼をもがれている人もいるのではないでしょうか。ここ自由大学は、自由に翼を広げていける場所ですね。日本人が自由になれば、この国の魅力はもっと増していくでしょう。

 

— ベルリン自由大学は、共産主義から学問や思想の自由を守るという意図で創設されたと聞いています。自由大学は日本人に自由な生き方を提案したいと設立されました。背景こそ異なりますが、心の自由を学びから支えていく点では共通項があるかもしれませんね。

 

Pamelaさんが創立者の黒崎さんからも「思いやり」を感じ、ベルリン自由大学でその研究されているということにご縁を感じます。また、終始聞き取りやすい英語でお話いただけたことに、Pamelaさんの「思いやり」の心を感じました。本日はありがとうございました。

 

※本インタビューは全編英語にて実施されました。取材日:2017.2.23
通訳:sawako 構成、文:川口裕子 写真:ORDINARY

 



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