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メンバー
吉田恒さん(カフェ「私立珈琲小学校」担任 / 元国立・公立小学校教員)
ナンシーさん(国立大学 博士課程メンター)
窪木奈美さん(中高一貫校教師)
自由大学クリエイティブチーム


吉田恒
私立珈琲小学校担任。元国立・公立小学校の教員を21年続けたが、自分が思う教員の仕事と現状の解離に悩み、カフェ店主に転身。理想の店について考察するにあたり、自由大学のクリエイティブ都市学、ポートランドクリエイティブキャンプに参加、刺激的で最高の夏を経験する。


ナンシー
国立大学 博士課程教育リーディングプログラム メンター。4年前に自由大学のキュレーション講座を受講、講義のスタイルに感銘を受ける。ナンシーと名乗るが生粋の日本人。レクチャープランニングコンテストにも出場、経済の講義を企画している。外資系投資銀行出身。イギリスに2度留学。2度目は夫と子供を連れた家族留学、経営教育学修士を取得し、人材教育、オーガニゼーションラニングに興味をもつ。


窪木奈美
私学の中高一貫校の教員。震災以降は、これからの日本の社会を作っていく子どもたちにいい影響を与えるにはどうしたらいいか模索しながら教鞭をとる。30代になり、自分自身に磨きをかけたい、学びたいと思い2016年の4月から休職、カナダのトロントに留学中。


クリエイティブチーム(以下CT)

自由大学では「一生学び続けること」をテーマに掲げています。人は学ぶ姿勢さえ持てれば、問題に直面したときにも、視点を変えて乗り越えることができるのではないかと考えるからです。

「学び」について考えるにあたり、今回自由大学で受講経験がある教育関係者の方にお集まりいただきました。自由大学は7年前につくられたのですが、最近、海外の公的教育機関からの視察などもあり、今教育の現場で求められていることと、シンクロしてきているんじゃないかという気がしています。だからこそ、学校教育で経験のあるみなさんとお話しすることで、自由大学が次のステージにいくために新しい方向性を見出すきっかけになるといいなと思っています。

自由大学の仕事をしていて面白いなと感じるのは、誰かが成長する瞬間に立ち会えることです。人の成長に寄り添っていると自覚した瞬間、教育に携わっているのだなと自覚しました。みなさんはどういうスタンスで生徒さんに接していますか?
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座談会に場所を提供してくれた「私立珈琲小学校」は元小学校教諭吉田さんのカフェ、代官山のギャラリーの中にあり、おいしい珈琲が堪能できる。

吉田恒さん(以下Y)
僕は小学校の教師でしたから、関わるのは6歳から12歳の幼い子どもたちです。おもらしもするし、考えられないようなことをするけれど、いつでも「この子たちは僕よりすごい奴らになる」と思って向き合っていました。何があってもその時の自分の基準で判断して、しょうがないなとは思わず、「将来はきっと自分よりも優れた人間に育つ」と信じていました。

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博士課程のメンターとして日々多様な学生の相談にのる通称ナンシーさん

ナンシーさん(以下N)

メンターというのは、学業やキャリア、メンタルに関する相談まで多方面で学生の相談にのる仕事ですが、上から指導するというのではなく、「あなたと私は対等だから、一緒に考えていこう、私の価値観を持ち帰る必要もないよ」というスタンスを保ち接する立場だと思います。それなので私個人の価値観でジャッジをしないこと、を常に心がけています。自分が通っていた時代の大学や大学院とは違うこともありますから、今の時代に生きる学生たち自身が自分で考えるためのサポートをしています。

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窪木さんはカナダから画面で参加。「行学一如とはこういう字です、見えますかね?」

窪木奈美さん(以下K)

お二人のおっしゃることには大変共感します。私の勤務していた中高一貫校では、「行学一如」という言葉を建学の精神に掲げており、その言葉の通り、「学ぶことは実践することであり、実践こそ学びだ」と思います。子どもたちが教室で学んだことを、失敗を恐れず行動に起こせるよう支えることが、教師の役割だと思います。特にファシリテーターという立場で接することが重要だと最近感じています。ファシリテーションの本来の意味は、促進するとか引き出すとかいう意味です。生徒主体で授業をすることはもちろん、生徒の良さを生かしたり、引き出すことに重点をおいて授業ができると理想だと思います。

ただ中学生はちょっと前まで小学校の最高学年だったのに、中1で最年少になってしまって、急に子どもに戻ってしまう傾向があります。躾けから指導しないといけない部分もあります。そうなると、なかなか教室の現実と理想が合わないという苦脳はあります。

今カナダで勉強していて、教育現場に話を聞くと、カナダでは現場の先生に裁量があり、先生によって算数の教え方が違うというようなこともあるようです。現場の先生に大きな裁量が与えられることにより、子どもたちの多様性に柔軟に対応できるという利点が生かされるので、これは歓迎されるべきことかと思います。日本の教育現場ももちろん研究が広く深くなされていますが、縦割りの管理体制に縛られすぎていて大きな改革に舵を切りにくいのが変化を鈍くさせている原因のように感じます。

CT:カナダと日本では教育の目的が違いますか?

K:日本の教育は先生中心になっていますね。カナダでは、生徒が授業の主役であり、生徒に疑問をもたせて、解決にむけて彼らの考えを導いていくそうです。子どもたちが話し合いをする中で、さらに疑問を発見するとか、それなりの答えを見つけるとかいうことです。日本の場合は先生が正解を持っていて、提示して導くみたいなことですから、だいぶ違いますね。こうした訓練の繰り返しが、主体的に課題解決に立ち向かう大人を育てるのか、人に動かされるロボットのような大人を育てるのかという教育の目的につながっていくと思います。

CT:ディスカッションが多いですか?

K:多いと思います。10年前もアメリカの公立小のインターンをしていたこともあるのですが、先生の言葉を生徒がどんどんさえぎって発言することもあり、先生は生徒の発言を制止しないし、統括するというよりは、「どんどんもっともっと意見を言いなさい」という感じで、生徒主体の授業になっていました。日本だったら、発言の途中で時間がきたら、先生が「ごめんね、話はそのへんにして」みたいに制止してしまいますが。

CT:自由大学でも授業の中で受講生に対話をもってもらうことで、問題を自覚したり、乗り越えていくというチャレンジを促しています。教授が言っていることを理解するだけ、知識を得るスタイルで学んできた人は「放置されている」と勘違いして、物足りないと思われたりすることもありますが。「人と対話すること」と「学び」についてはどうですか?

Y:学びというのは、自分と対話し、人と対話し、さらに自分の対話を客観視する自分がいることで成立すると思います。自分の意見がどこで変わったのか、もう一人の自分が観察していることで成長がある。クリエイティブ都市学での最後の時間にみんなの考えをシェアしたとき、「クリエイティビティってなんだかわからない」って受講メンバーがいたけれど、そういう疑問が持てたことがよかったなと。自分なりの疑問が見つかるのが一番いい授業だと思うんです。もっと知りたい、もっと考えたいというところで終わるのが一番いい。そういう意味で自由大学はすごい、大人のためのいい授業をしているなと、感激しました。

教える側は、答えを言わないことは難しいんですよ。敢えてそれを待てるっていうのは、すばらしい。人に考えさせるには、答えのない問いを投げることが大切なんです。クイズには正解があるけれど、学びはクイズにならない、答えは人によって違うし、常に変わるものだからです。

N:答えはないんですよね、良し悪しをジャッジしたくなるけれど、多数決で決まることでもない。なんでも正解を探すっていうのは、危険な気がしますね。日本の受験システムが影響しているのでしょうか?欧米の大学のように、高校生がそれまでどんな学生生活をしていたか、自分の価値観やボランティアの経歴などをエッセイに書いて、成績と合わせて審査する専門家を置いたらいいのではないかと思います。データだけではなくて、人物を評価するシステム自体がもう少し成熟すれば、学校も働き方も変わるかもしれません。

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後編へ続く>

撮影・取材・テキスト:ORDINARY



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