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【vol.7 Lady Study Go!(五味文子さん編/後編)】増田早希子

さきこが迫る!素敵なあの人の魅力のヒミツ

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ズボラでガサツな自分を卒業して、素敵なレディになりたい。そんな願いを叶えるため、私の周りにいる素敵な女性にその魅力のヒミツをインタビューする連載がはじまりました。その名も、増田早希子の「Lady Study Go!」。果たして私は素敵なレディになれるのか…!?みなさまどうぞ温かく見守りください。

今回の素敵なレディは、前回に引き続き五味文子(ごみふみこ)さん。

前編はこちら


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五味文子(ごみ ふみこ)

山梨県生まれ。高校時代にハンガリーに留学し、卒業後は沖縄県にある芸術大学に進学。日本の伝統工芸である織物を学ぶ。大学在学中に音楽活動を開始し、卒業後は東京のコンテンポラリーアートスペースで働きながら音楽活動も並行。2011年に青年海外協力隊に応募し、南米・ベリーズにて現地の美術教員として2年半勤務。帰国後は東洋医学を学ぶため、鍼灸学校へ入学。来年卒業を控えている。


ジンバブエへ行くはずが東京へ

さきこ 大学を卒業したあとは就職したんですか?

文子 卒業後は青年海外協力隊でジンバブエ(アフリカ)に行くことが決まってたんだけど、行く前にジンバブエが経済破綻し、私も体調を崩してしまったりで結局行けなくなってしまって。ジンバブエに行くまでの間に一旦東京に来ていたので、そのまま東京にいることになった。

さきこ 東京ではどんなお仕事を?

文子 浅草に『アサヒ・アートスクエア』っていうコンテンポラリーアートスペースがあったんだけど、そこでカフェの店長とイベントを企画する人を探してるって話があったので、「私なんでもできます!」って若干の嘘ついて入れてもらった(笑)。で、結局そのまま3年半東京で自分の身体を見直しつつアートにどっぷり漬かった生活を送ったの。

さきこ やっぱりアートのお仕事に就いたのですね。青年海外協力隊は結局諦めてしまったんですか?

文子 やっぱり海外に行きたいって気持ちがあったから、そのあともう一度青年海外協力隊に応募して、南米のベリーズという国に美術教師として赴任することが決まったの。でも赴任までの間に少し時間があって、せっかく東京でアートの仕事をやっていたから、それを地元でやりたい!と思って『こうふのまち芸術祭』という芸術祭を仲間と立ち上げたの。

さきこ 文子さんが立ち上げたんですか!?すごいパワー。どんな芸術祭だったんですか?

文子 「誰かの日常は誰かの奇跡」というテーマで、こうふの街のお店や、公園や、空き店舗にアーティストが入って街を別の視点で街を見せてくれるっていうことをして。とにかく外の人に甲府を見てもらって、甲府がどんな街なのかを街の人に教えてあげてほしいっていう一方的な気持ちでやってた。アーティストは友達を中心に来てもらって、まだみんな若かったし、「お金なくても協力するよ!」っていうやさしいスタッフ、いいアーティストばっかりで。結果100人以上のアーティストが揃って、たくさんの人が協力してくれた。甲府を舞台にした初めての現代美術の芸術祭だったから注目もしてもらえたけど、本当にめちゃくちゃな運営の中、周りに救ってもらいました。あの時のことはいろいろありすぎて、もう記憶がない(笑)。それで終わったら、あとはよろしく!って言ってベリーズに行っちゃったから、残された人は大変だったと思う。

さきこ それだけパワーを注いで、でもそこに執着しないというのもすごい。芸術祭は今も続いてるんですか?

文子 仲間のおかげで今もなんとか続いてる。

日本とは価値観が180℃違う国 南米・ベリーズへ

さきこ ベリーズには何年いたんですか?

文子 もともと2年の予定を、延長してもらって結局2年半いたかな。

さきこ じゃあ充実した生活だったんですね。ベリーズって聞き慣れない国ですが、どんなところだったんですか?

文子 ベリーズの首都からバスで6時間くらいかかるプンタゴルタっていう街で高校の美術の先生として派遣されてた。日本の美学は「早い・綺麗・細かい」っていう感じだと思うんだけど、それが真逆で「ゆっくり・のんびり・適当に」が美学。急いでるとかっこ悪いっていう価値観だから、私が時間通り行かなきゃ!って急いでると「ダサっ」みたいな(笑)。

仕事をがむしゃら頑張ってても、「もっとリラックスしなよ〜」って現場で言われて。始めは必死だったから、「バカヤロー!こっちは働きに来てんだよ!!」って反抗してたんだけど、だんだんバカバカしくなってきて。逆にだんだんそれに虜になってった。リラックス最高〜みたいな(笑)。

暮らしは基本的にのんびり、みんな金曜日まで働いたら土日はちゃんと休む。土曜日は市場がやってて、午前中に買い物に行って、そのあと川に行ってピクニック。夜は友達がやっているお店で演奏をして、投げ銭もらってそれでごはんを食べたり。今考えるとすごく夢みたいな生活でしたね。

ベリーズって他国からの移住者も多くて、アメリカ人の元ヒッピーみたいな人がベリーズに来て自然に沿った暮らしをしてた。ベリーズ人の発展途上国的な過ごし方と、アメリカ人とかヨーロッパ人の先進国的価値観の文化がどっちも楽しめて、恵まれてた。

さきこ すごく充実した暮らしだったんですね。向こうでの美術教師の仕事はどうでしたか?

文子 美術や体育とかの情操教育って教育の順番で一番後まわしだから絵を描いたことがない子が多かった。何かを産み出すっていう経験に乏しい10代に、新しいものを創り出せっていってもなかなか厳しくて。一応試行錯誤しながらカリキュラムを考えた。生徒たちからデザイン画を募集して、実際にそれをTシャツにするコンテストをやったり、住んでる町の地図を作って生徒たちが色塗りして、それを街のお店とかツーリストインフォメーションに置いてもらったり。観光用の地図は、プンタゴルタになかったからすごく喜ばれたし、街の住人ともぐっと仲良くなれたかな。

 

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教室にて生徒たちと

空手教室の壁画を描く五味。下はアシスタント。(5歳)

空手教室の壁画を描く五味。下はアシスタント。(5歳)

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マヤの女性たちのクラフトショップの壁を書き直す。生徒とともに。

自分が本当に納得することを生業にしたい

さきこ それまで一貫してアートに関わっていたのに、帰国してどうして鍼灸の道へ?

文子 もともと身体は強い方ではなく、しょっちゅう身体をこわしてはいたんだけども、実はベリーズでもひどく身体を壊しちゃって。協力隊として行ってたから、手厚く保護されて首都にある私立病院に搬送してもらえてなんとか生き延びられた。ベリーズのような途上国でその後も自力で生きていきたいと思ったけども、アートで食っていくのも厳しいし、自分の命も厳しいし、まずは根本の健康を立て直さないと、こういうところでは生きていけないって思ったの。

じつは鍼灸は中学生のときから治療は受けてて。高校生のときに将来の進路を決めるとき、鍼灸師か芸術家か小説家で悩んだこともあった。日本の伝統医学に「これだ」と思って、鍼灸の学校に入学した。鍼灸師として旅をしながらもうどこでも生きていけるんじゃないか?と夢を描いて。

さきこ ご自身が身体を壊してしまった経験から今の道へ進んだんですね。

文子 うん。私の実家は味噌屋なんだけど、味噌屋は「味噌を売ってお金と交換する」ていうシンプルなシステム。それがアートをやっててうらやましく思えた。美術とか音楽だともう少し複雑な経済社会があって、そういう複雑さに馴染めないし納得できなかった。自分が納得した仕事を生業にしたいって思った。自分対 匿名の複数ではなく、一対一で関わることができる鍼灸師ってすごいなと気づいてしまった。自分を売り出すアートの世界から、相手を引き出す、仕事へ。一人一人と丁寧に関わっていくことが一番世の中を変えるすごいことだって気づいたの。

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あとは3.11も大きかった。その時私はベリーズにいたんだけど、向こうでテレビとかネットを見てても本当のことが何もわからなかった。本当のこと知りたくて、いやだと思うことをしたくないんだけど、判断不可能な時代に生きてると思った。本当の意味で健全な肉体を持ってないとダメだって気づいた。当時坂本龍馬の本をめっちゃ読んでて、龍馬って日本を守るためにめちゃくちゃ自分の足で歩いたじゃないですか。龍馬みたいな人間は健康で、健全な判断を下してた人は身体が健康なんだ!と。自分が一人でも多くの人を健康にさえできれば、日本は大丈夫だ、世界は大丈夫だ!っていうところに行き着き、遠そうだけどこの方が早え!ってことに気がついたんだよね。いくらLOVEだぜPEACEだぜって自分ごときが歌って何にも変えられなかったけど、世界平和の夢の叶え方が分かった(笑)。

さきこ こんなにいろいろ経験された文子さんだからこそ、行き着いた答えですね。来年鍼灸の学校を卒業したらどんなことがしたいですか?

文子 最終的な夢は村を作ること!それは鍼灸をやる前からずっとあって。日本の低すぎる自給率をあげたい、自分の身近なところからでもはじめたい。最初は、甲府の街で鍼灸院と宿が合体したスペースをはじめ徐々に山中に移りたい。山の村の暮らしは、豚や鶏や馬など家畜がいて、朝起きて畑仕事。昼ごはんを食べて、織物、治療して、昼寝、夜は音楽。といういつか聞いたことのあるインドネシアの村の暮らしのリズムをおくってみたい。みんな治療しなくても元気っていうのが理想だし、だれでも元気にできる治療家になりたい。

さきこ なんて大きな夢!でも文子さんならきっとできると思います。実現を楽しみにしています!


【レディへの格言】

・悩んだり考えたりして立ち止まらずに、まずは行動しよう。

・時には今の慣れた環境からまったく違う環境へ飛び込んでみよう。



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