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【vol.6 Lady Study Go!(五味文子さん編/前編)】増田早希子

さきこが迫る!素敵なあの人の魅力のヒミツ

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ズボラでガサツな自分を卒業して、素敵なレディになりたい。そんな願いを叶えるため、私の周りにいる素敵な女性にその魅力のヒミツをインタビューする連載がはじまりました。その名も、増田早希子の「Lady Study Go!」。果たして私は素敵なレディになれるのか…!?みなさまどうぞ温かく見守りください。

今回の素敵なレディは、ミュージシャンでもありアーティストでもあり未来の鍼灸師でもある、五味文子(ごみふみこ)さんです!

文子さんは、中目黒にあるシェアオフィス「みどり荘」に出張で鍼灸をしに来てくれる鍼灸師・亀割さんのパートナー。みどり荘で偶然出会い、底抜けの明るさや破天荒でロックな会話の内容に一度会っただけですっかりファンになってしまった私。さっそくインタビューをしてみると、想像をはるかに超える魅力的な女性でした。あまりに濃いインタビューになったので、今回は前後編に分けてお届けします!


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五味文子(ごみ ふみこ)

山梨県生まれ。高校時代にハンガリーに留学し、卒業後は沖縄県にある芸術大学に進学。日本の伝統工芸である織物を学ぶ。大学在学中に音楽活動を開始し、卒業後は東京のコンテンポラリーアートスペースで働きながら音楽活動も並行。2011年に青年海外協力隊に応募し、南米・ベリーズにて現地の美術教員として2年半勤務。帰国後は東洋医学を学ぶため、鍼灸学校へ入学。来年鍼灸学校の卒業を控えている。


ハンガリーへ留学して、日本の美に目覚めた高校時代

さきこ 文子さんはミュージシャン・アーティスト・鍼灸師見習いと様々な顔を持っていますが、最初に目覚めたのはどれだったんですか?

文子 アートかな。中学生の頃にアートに目覚めて、地獄!!とか爆発!!とかをテーマにした破壊的な作品を作ったりしてた(笑)。その頃社会のことをまだ何もわかってないのに、「日本のシステムはおかしい!」って漠然と思っていて。だから高校に行くのも嫌だったんだけど親に反対されたので、進学する代わりに高2の時に1年間ハンガリーに留学させてもらったの。

さきこ 中学生で!?目覚めが早いですね。なぜまたハンガリーだったんですか?

文子 日本は海に囲まれてる国だけど、ハンガリーは国境が全部隣の国と接してる内陸の国。だから日本とは真逆の文化があるんじゃないかと思って。あとはアートを学びたかったからヨーロッパの美術に触れたいっていう気持ちと、アメリカが嫌いだったから英語圏以外の国がよかったっていうのもあったかな。

さきこ 実際にハンガリーで暮らしてみていかがでしたか?

文子 ハンガリーは誇り高い国だし、歴史も古くて建物も100年とか200年建ってる建物がいっぱいあって。昔のものを代々受け継いくっていう文化が身近にあった。その時に、日本は明治維新や第二次大戦で文化をがらっと変えてしまったと思っていたけど、でも日本にも伝統的な文化があるじゃんって気付いて。調べ始めたら民芸運動とか伝統工芸にすごく感動して、”生活の中に美がある”っていう日本の美意識がカッコイイって思った。「これがジャパンビューティーってことか!!」と。海外に行ってみて日本の文化のことを何も知らなかったなって気付いて、帰国後は伝統工芸を学ぶために沖縄県にある芸術大学に進学した。

伝統工芸、現代アート、アバンギャルドバンド、けいどろ!?

さきこ 伝統工芸と言うと京都をイメージしますが、なぜ沖縄を選んだんですか?

文子 たしかに日本で伝統工芸が一番残ってるのは京都なんだけど、次に多いところが沖縄。沖縄は小さな島だけど、外からいろんなものを持ってきて自分たちなりに解釈しているから、島国の文化の縮図は沖縄にあるって思ったんだよね。しかもその大学は民芸運動をした柳宗悦が作った学校だったから、「そこや!!!」と思って。

さきこ それは知りませんでした。大学ではどんなことを学んだんですか?

文子 工芸科の染色コースで織物を学んでた。着物を作ったり、テキスタイル全般。自分が希望してた分野だったから、「よし!!生活の宇宙を作るぞ!!」って気合い入ってたし、織物自体にすごく感動して。「縦糸と、横糸が、なぜ!?!?なぜ糸と糸が立体に!?なぜ布に!?やばい!これやばい!」って、布を織りながら超感動してた(笑)。

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でもそのうち、自分は着物を着ないし作ったものをどうやって売って生活していけばいいかわかんないし、「なんかやりたかったことと違うぞ!?」っていう葛藤が始まっちゃって。そこで突然ひらめいて、『ハッピープロジェクト』っていうのを始めたんです。

さきこ ハ、ハッピープロジェクト・・・?

文子 当時『水は答えを知っている』っていう本が流行ってて。水に「ありがとう」って言い続けると綺麗な結晶になるっていう。その本に感銘を受けちゃって。それで「ハッピーバイブスを世界に送ろう!」って言って、友達4、5人で学校の中庭に集まっていい詩を朗読しながら、「ハッピーのバイブスよ、届け!」とかやってたんだけど、「待てよ、全然世界がハッピーになってる気がしねえ!」って気付いて(笑)。

もっと具体的にピースなことがしたいと思った時に「ボランティアだ!」って思い付いて、その時にたまたま参加したのが現代アートのボランティア。それからどっぷり現代アートにハマってしまって。いろんな現代アーティストに会ってるうちに、「現代アートって言えば街でも遊んでいいんだ!」っていうことに気付いたの。それで街でけいどろすることを自分の作品っていうことにして、東京とか京都の街でけいどろをやってた。

さきこ けいどろですか!?

文子 そう、ただ街でけいどろする。もうアートでもなんでもないんだけど(笑)。人を募集して街に集まってみんなでけいどろして、ただ遊ぶの。でもそこで気付いちゃったの。大人になったら街ってただの通り道で、学校とか職場とか家までに通るただの道っていう風になってしまうけど、けいどろしようと思った途端に、「あ!ここに隠れられる!」とか「あ!この道のこの角度やばい!」とか、物事の見え方が180度変わって。「すごい!なにこれ!これがアートってことか!」って気付いて、けいどろに感動したの。そこから『K’DLOKK(ケイドロック)』っていう音楽活動を始めて。

さきこ どういうこと!?!?

文子 ほんとギャグみたいだよね。女子2人のアバンギャルドバンドで、最初は『けいどろの歌』とか作って「けいどろは愛だ!」とか歌ってた(笑)。当時は実験音楽に傾倒してたから、とにかく変わったことがしたくて。いっぱい楽器持ってって並べて、ぐっちゃぐっちゃに演奏したり。その頃が一番ギラギラしてとんがってた時代だった。でもそのバンドは今も続けてて、小さなレーベルからCDも出してもらってる。

さきこ すごすぎる。もう、ぶっ飛びすぎてて訳がわかりません(笑)。でもとにかく日々を全力で楽しんでいる感じがうらやましい!

アートオークションでぶち当たった壁

さきこ じゃあ学校の勉強もしつつ、いろんな活動をしていたんですね。

文子 うん。他にも大学3年生の時に沖縄の街の中で『wanakio』っていうアート展をやっていて、そこで『オークションハウス』っていう、ニューヨークで活躍するアーティスト照屋勇賢さんが企画したアートオークションを手伝ってた。オークションはいろんな人に家にアートを置いてもらったり、アートっていう宇宙を生活の中で感じてもらえるっていうキッカケになる。それがすごくいいなと思って頑張ったんだけど、結局売れるのは有名人の作品だけで。それに納得がいかなくて、「アートなんてクソだ!」って自暴自棄になっちゃって。

でもこれじゃよくないと思って立ち返って、卒業制作の前に「学校を休学して自分のやりたいオークションをやり直します」って先生に宣言した。でも先生に反対されて、「半年待ってやるから、半年で自分のやりたいことをやって、残り半年で人の2倍頑張って卒業制作を作れ」って言われて。それで自分たちのお店でオークションハウスをやり直した。

さきこ 文子さん、ロックすぎます!でもちょっと待って。自分たちのお店って、どういうことですか?

文子 沖縄に『前島アートセンター』っていうビルがあって、30年前は社交場だったんだけど、ヤクザの闘争で街自体が衰退しちゃって。でもそこのオーナーが「なんとかもう一度街を盛り上げたい」っていうことで、学生にそのビルの一室をすごく安い家賃で貸してくれたの。そこで女友達5人でカフェバー兼オルタナティヴスペースを作って、その拠点で街とコミットしながら自分たちでオークションハウスをやった。

さきこ ものすごい行動力ですね。オークションハウスは納得いく形になったんですか?

文子 うーん、どうだろう。地元の普通のおばちゃんが学生の作品を買ってくれたこととかは嬉しかったけど・・・アートに関しては今もすごく悩みながらやってる。それは今「資本主義の中で自分がどう生きてくか」っていうことにも共通するんだけどね。それで半年はそういう活動をして、半年で卒業制作を作って大学を卒業した。

《後編に続く》



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