講義レポート

「コントロールできない感性」

カメラで捉える感性教授コラム

 先日、初めての写真展を開催する機会をいただいて、自分の写真と胸焼けするほど向かい合いました。雑誌や広告、webなどで撮影をするようになってから、オーダーを叶えることに少しは上達してきたつもりですが、さて自分自身の写真ってどんなだろう?と、壁一面に並ぶ写真を見つめて自問自答した期間となりました。

 私の写真は、光が独特なのだそうです。きっと地元・奈良県の盆地に広がる、山に反射するやわらかい光の影響です。奈良の夕方は、夕日が盆地に溜まって乱反射して、ふわふわの光に包まれます。小さい頃からそれを「きれいやなぁ」と見て育ってきました。

 学生の頃、雑誌やTVを通して私が憧れてきた写真は、コントラスト高めのかっこいいファッションや、重厚なポートレートでした。ライティングを学ぶためにスタジオアシスタントの期間も長くありました。

 しかし憧れと反して、私が美しいなと思い、撮ってしまうのは、早朝に立ち昇る透明の光や、カーテン越しに落ちてくる穏やかな光。雨上がりに雲が切れて陽が差し込むと、濡れた世界は反射していっせいに光り出すのです。いつの間にかドラマチックに変化する自然光が包む世界で、思い存分に生きている人々を撮ることが、仕事でも作品でも多くなったと感じます。

 写真展の話に戻りますが、私の写真を見て頂いた多くの人の言葉には、必ず光に纏わることがありました。上京してからアートやデザインや音楽にできるだけたくさん触れて、洗練された別のセンスも吸収してきたはずなのに、他の感性を知れば知るほど、体の奥から滲み出て覆いかぶさる私の個性みたいなもの。どんな写真にも滲み出してくる、やわらかい光。自分の感性みたいなものは、コントロールできるものではないのかもしれません。

 写真展をきっかけに、それならば抗わずにもっとさらけ出そうと決めました。さらして鍛えて、感性を強化してみたい。この光でもっと写真に力を与えられるように。どんな風に世界が見えるんだろうか。見せられるんだろうか。

 そして写真は、感性だけで撮るわけじゃない。見せたい伝えたい、表現したいことがあるから撮る。そこは上京してから出会ってきた人や物事に、おおいに影響を受けてる気がします。

 結局、自分の見てきた感じてきたものが、そのまま写真に出ているんだなと再確認したのです。芸は人なり。言葉にすると、非常にあっさりとしています。ただ人生の経験値のどのあたりが作品に影響するのかはわからないし、これを感性にしよう!という風に意図的には選べないようです。

 きっと誰の中にも、感性があるのだと思います。それは一人として同じ人生を歩む人はいないように、同じ感性は2つと無いはず。私は自分のやわらかい光を見つけたから、味方に、強みにしたいと決めました。これを読んでくださった貴方の中にある感性は、どんなものですか?

【影響を受けた本】

『どんぐり』オノ・ヨーコ

私はあまり想像したり、夢見がちではない方だと思っています。現実主義。

この本を読んでいた時の、ふわっと想像に到れた瞬間のあまりの気持ちの良さ、心と脳の軽やかさに感動してしまいました。力強くも優しい言葉や指令は、とてもおだやかな場所に心を解き放ってくれます。

”空想はたちまちほんとうの力を持って、現実を覆うすべての壁を少しずつ動かしはじめる。その秘密が描かれたすばらしい本です。”という、帯の吉本ばななさんの言葉も素晴らしく、実は帯買いしました。


(text: カメラで捉える感性教授 フォトグラファー / 秋山まどか)



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