空を飛んだ日のことを覚えている。
はじめて記者としてインタビューをした日だった。
私は大学1年生で、学内情報を発信するサイトを運営するサークルに入っていた。はじめての担当企画として、航空部の主将にインタビューをすることになったのだ。
話を聞くだけなら大学内でもできるのだが、相手がどんな景色をみているのか知りたいと思って、活動拠点である、埼玉県北部の妻沼という町に行った。
航空部はグライダーを用いて空で競技をおこなう。グライダーは滑空機とも呼ばれ、飛行機の形をしているが動力を持たない。牽引されて離陸したあとは、上昇気流に乗って舞い上がり、風に乗って滑空する。
もう20年近く前のことだが、生身の体で空を飛ぶ気持ちを少しでも体感して、取材相手と向き合った価値の大きさは今も思い出す。
インタビュアーとして私が自信を持てる部分は、相手の風景を自分も感じてみようと思う姿勢だ。
私は子どもの頃から本の虫で、特に小説が好きだ。物語に惹かれる理由はインタビューが好きな理由と似ている。どんなお金持ちでも、王様だって、一つの人生しか生きられない。でも、本を開いたら無限のパターンの人生を体験できる。
インタビューも同じで、自分の知らない世界を追体験できるのだ。目の前の人はどんな風景を見て、今ここに座っているのか。知り得るのは断片でしかないけれど、その物語を掬い上げて、あらゆる角度から味わってみたいと思っている。
ここ数年はオンライン取材が当たり前になり、相手との物理的な距離は問題ではなくなった。自分にとっても取材相手にとってもよい側面はあるけれど、取材に入る前の雑談。レコーダーを止めてから交わす言葉が、相手を立体的に、鮮やかにしてくれる側面は大きい。
それだけではない。空を飛んだ日の暑さや、川べりの草の匂い、バスがなくて駅まで歩こうとしたけど、あまりに遠くてだんだん不安になったこと。体験したあらゆる感覚が文章に厚みを与える。
取材相手と会うのはそれきり、ということは少なくない。だが、風の便りで活躍を耳にすることはある。ほんの短い時間だけど、相手の人生や思考を深く掘り下げる高密度な経験は、古い友人のような親しみと誇らしさを覚えさせるのだ。
【最近の1冊】
黒田龍之介『外国語の遊園地』
スラヴ語の研究者によるエッセイ。機械翻訳が飛躍的に進歩する中で、異国の言葉を学ぶ楽しみとは何かを感じさせてくれる。言葉はその地域と民族の文化・歴史・喜怒哀楽が溶け込み、現代まで続いてきた川のようなものなのだ。努力して努力して、英語がようやくわかる程度の私に、世界のどこかで流れている言葉の水の感触を届けてくれるような話が詰まっている。
TEXT:むらかみみさと(担当講義:魅力を引き出すインタビュー学)