講義レポート

哲学することについて

Questions without Answers キュレーターコラム

 

Questions without Answers(QwA)は、毎月第2週と第3週の火曜夕方に集まって、みんなで哲学するクラブだ。3ヶ月を一つのくくりとしてテーマを設け、ひと月ごとにテーマに関連するトピックについてじっくり考えを深めてみる。この冬から春にかけてのテーマは「社会で生きること」。2月に「他者」、3月に「権利」を扱い、4月は「働くこと」について考える。

大学院を卒業したあと、所謂哲学研究からは離れてしまったけれど、自由大学をはじめとした様々な場所で哲学のイベントを開催したり、勤め先の会社から哲学の雑誌(哲学カルチャーマガジン『ニューQ』)を出版したりする中で、「哲学すること」とは一体何をすることなのか考え続けてきた。

近頃よく実感するのは、哲学とは、流れゆく毎日にストップをかける方法なのだということだ。もちろん時計の針は止められないし、私が考えている間にも世界ではいろいろなことが起こるのだけれど、でも哲学をしているそのとき、私は時間の流れから自分を引き剥がして、「永遠の部屋」に入ったような気持ちになる。

「永遠の部屋」ではあらゆるものごとが宙に浮いていて、まだ確定していない。私は焦ることなくそれらを吟味し、本当に大事なものを見極めたり、複雑に絡み合った糸をほどいたり、必要があれば形を変えてみたりすることができる。

こんなことを言うと、そんなのはただの現実逃避で、自分勝手な妄想じゃないかと思われるかもしれないが、それは違う。この部屋で絶対に譲れないことは、論理的であること。そして、そこで手に入れた物事はすべて、部屋の外に持ち出して、私以外のあらゆる人にも渡せるものでないといけないからだ。

私たちは、気づいたときにはもう「社会で生きること」の渦中にある。ちょっと待ってください、なんて言う暇もなく、とりあえずやるしかないのだ。やるしかない、やるしかないのだけれど、実はいろいろな「やる」があるはずだ。急いでいるときには気づけない、気づいても気にかけられない、そういうことをみんなで「永遠の部屋」に入って考えてみる。実際かなり役に立つし、生きやすくもなる。けれどもそれ以上に、ただとても楽しいから、これからもできるだけ多くの人たちと哲学をしていければ幸せだと思う。

 

(担当講義:Questions without Answers, キュレーター:今井祐里



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