先の見えない変化の時代と言われて久しい昨今。観客として悲観的に生きるのか、当事者としてより良い未来をつくることに生きるのか、あなたが望む生き方はどっちだろうか?どちらがワクワクするかなんてことは言うまでもないが、「仕事を探すのではなく、つくる」というテーマのもとに集ったU29は圧倒的に後者だった。ただ、僕らはそんな前向きな気持ちを抱きながらも、それぞれ踏み出せていない理由があって講義に参加しているようだった。
僕はHRに関わる仕事をしている。正直、仕事は楽しくて不満がない。やりがいもある。働く上司や仲間にも恵まれている。働き方の自由度だって高い。労働時間を自分でコントロールする裁量も与えられているし、新しい試みに取り組むことも推奨されている。ただ、そんな良環境に身を起きながらも、何故か常に満たされない感情や使い所のないエネルギーを抱えている自分も共存していた。いま思えばそれは「もっと個性を発揮したい」という欲求だったのだと分かるが、その時の僕は「いままで通り仕事に打ち込めば満たされるだろう」と、自分の欲求を見て見ぬふりをしていた。
そんな気持ちと姿勢で臨んだものだから、講義ではガツンとやられてしまった。なぜなら、自由大学で新しい学びを創っている先輩たちは「真面目は無能のいいわけ、人間らしくまともに生きよう」と、くすぶっている僕の尻を講義の初回から思い切り蹴飛ばしてくれたからだ。
そんな先輩たちの語りは中々ラディカルで、それ故に僕らの思考を自由にしてくれた。彼ら彼女らは常に常識を疑い、問い、失敗しても納得するまで行動し続けているようだった。行動に裏打ちされた圧倒的な経験が溢れ出ていた。だから、自分の欲求に蓋をして行動さえしていなかった自分に腹が立った。「くすぶってないで、やろうよ!」と。
受講後、さっそく「やりたいことをやろう」と走りはじめたら、ことは思いの外はやく進んでいった。講義での学びを活かして、今までと異なる文脈の仕事を幾つかつくることに成功した。小さなステップではあるが、行動することで生まれる変化を短い期間で得ることが出来た。そして、仕事という文脈で個性を発揮する機会を奪っていたのは、ほかでもなく自分自身だったことに気がついた。
僕は本当にラッキーだった。「やりたいことはさっさとやれ」「発揮したい個性があるなら今すぐ行動に移せ」と応援してくれる先輩や仲間にここで出会うことが出来たから。自由大学はそんな人達が沢山いるから面白い。そして今、よりよい未来に働きかけていくための場を、今度は自分自身がつくっていこうと動き始めている。
(text:1期卒業生 渡邉貴大)