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海のアジール

-旅学教授 SUGEE

自由大学マガジンの人気のコラム、FREE from FREEDOM!
今回は、旅学教授、SUGEEさんの文章です。

かつてバンコクからカンボジア国境付近まで旅した僕は、チャーン島に立ち寄った。古くからの漁村の風景が残り、観光客向けのロッジが建ち始めたばかりの90年代後期、時代はまだ9.11を経験してはいない。僕が宿をとったロッジには、フランス人、アメリカ人、アジア人など、肌の色も様々な人達が休暇を楽しんでいた。

ある日、ロッジのある湾の中に一隻の帆船が停泊した。宿のオーナーに尋ねると、カンボジアのイスラムの漁民団、一生を船の上で過ごすのだという。浜から僅か200m、木造のその船体は潮風で赤茶け、風格さえ漂わせていた。

その夜。

漁を終えた彼らは、船の上で火を焚き酒盛りを始める。暫くすると唄が聴こえてきた。日本の舟歌やお囃子にも通じるその懐かしいメロディ。僕は自然に体が反応し、いつしか唄の交換が始まった。

漁り火が微かに揺れる暗い夜の海、姿の見えない異国の漁師達とのセッションは30分ほど続く。気がつくとビーチは犬や人が集まり、僕らの節回しはタイも日本も飛び越えた、無国籍なオリジナリティ溢れるものになっていた。

小一時間が経ち、一段落したと思った瞬間、一人が僕に”ローン!(タイ語で’唄え’の意)”と叫ぶ。彼らは僕をおそらくタイ人だと思っていたのだろう。

そして、全てが終わった夜更け、耳を澄ますと、湾の突端から聴いたことのないほど美しい女性の歌声が風に乗って響いてきた。その夜は、チャーン島全体が唄に包まれたのだ。

海には陸の概念など通じない、大らかで自由な空間が広がる。かつてタイのシャム王朝や、インドネシア•マジャパヒト王国などと盛んに交易を展開した琉球には、そこかしこに異文化が交流を重ねたアジールとも言うべき緩衝地帯が存在したという。

海は本来、自由区域かつ共有区、全ての生命に平等なはずだ。自由とは二種類あるように思う。一人の空間を謳歌する自由、そして世界との繋がりの中で感じる自由。

それにつけても旅は良い。
一人を謳歌する中から磨いた技術や仕事で、世界中に生きる無限の同胞と瞬時に繋がることができるのだから。


カテゴリ: ☞ コラム


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