この5月に、社内ベンチャー制度を経て、新会社を設立した水田悠子さん。『プレイフル起業学』1期生として講義を受けながら、社内選考を突破されました。講義での学びや教授・受講生とのつながりをどのように活かしたのか。ご自身の経験を、どんな経緯で事業につなげていったのかをうかがいました。
この春、社内ベンチャー制度を経て会社を設立
ー会社設立おめでとうございます。社内ベンチャー制度を活用した起業とのことですが、どんな事業を始められるのでしょうか。
新卒で化粧品会社に入社し、主に商品企画部門で10年以上勤務していました。昨年、グループ横断の社内ベンチャー制度にチャレンジ、事業化が承認され、今年5月7日に株式会社 encyclo(エンサイクロ)という新会社を設立しました。
事業内容は、病気などを経験した方でも、美容やファッション を楽しめるようなビューティープロダクトの開発・販売です。 第一弾として、がん手術後の後遺症「リンパ浮腫」に悩む方のニーズに応えるアイテム(着圧レッグウェアやインナーウェア等)を展開予定です。
ー水田さんご自身の経験から、事業を発想されたそうですね。
8年前、29歳のときに子宮がんにかかりました。幸いなことに、がん自体は治療がうまくいって健康を取り戻せたのですが、「リンパ浮腫」という後遺症を発症しました。
リンパ浮腫とは、手術でリンパ節を切除している影響で、脚が病的にむくんでしまうというものなのですが、医学的なエビデンスがまだ十分でなく、いつ発症するか分からず、発症すると完治がなかなか難しいという特徴があります。
悪化を防ぐために、医療用の非常に着圧力の高いストッキングを常に履いているのですが、そのストッキングは1足2~3万円程度と非常に高価で、デザインもなかなか満足できるものがありませんでした。
今まで仕事であらゆる嗜好性のお客さまに向けて、たくさんの商品を作ってきたのに、ひとたび病気になったら、納得して選べるものがない世界が広がっていて。
私は、美容やファッションなどで「こんな自分でありたい」という想いを満たすことは、贅沢や娯楽ではなくて、誰にでもどんな時でも尊重されるべき大切な権利だと思っているんです。
自分の経験と、関わってきたモノづくりのキャリアを活かして、この課題を解決できるのではないかと考えて、事業プランを検討しました。
ですので、「これはビジネスになりそう」とロジカルに考えたというよりは、「自分や同じ想いをしている方の課題を解決したい」という想いありきのスタートでした。
ー昔から、いつかは起業したいという思いがあったのでしょうか?
実は、起業志向は全然なかったんです。会社は自分にとても合っていて、この仕事をずっと続けたいと思っていました。そして、病気を経験した後は、起業どころか仕事をすること自体に悩んでいた時期が数年ありました。
治療のため約1年休職した後、同じ仕事に復帰させてもらえたのですが、病気を経て人生観や仕事観がガラッと変わってしまって。それまでがむしゃらに邁進してきたけれど、復帰後は再発の不安もある中で、自分は何のために働くのか、限りある時間とパワーを何に使いたいのか、モヤモヤと悩む日々でした。
ガン経験も自分をつくる要素の1つ
ーどのように気持ちが整理されていったのでしょうか?
1つのきっかけは、「マギーズ東京」の取組みに関わらせてもらったことです。
病気をしてから4年ほど経ったとき、私と同世代の乳がん経験者である鈴木美穂さんという友人と出会いました。当時彼女たちが立ち上げ準備をしていたのが「マギーズ東京」という、がんになった人や家族、友人など、がんに影響を受けた人のための相談支援の場でした。
私が仕事でモノづくりをしていたこともあって、美穂さんからマギーズ東京のオリジナルグッズの商品開発チームに誘ってもらいました。マギーズ東京は認定NPO法人で、運営資金をご寄付を中心に募っているのですが、チャリティグッズの販売もそのうちのひとつです。このとき、自分の出来ることをがんに関わる活動へ活かすという体験ができました。
マギーズ東京との関わりを通して、もう1つ変化がありました。
オープン直前の時期に、マギーズ東京のブログ記事をシェアする形で、初めて自分のSNSで病気の経験を発信しました。それまで病気のことは、周囲に直接話してはいましたが、SNSで不特定多数の方に向けて発信したのは初めてだったんです。ドキドキしながら投稿したのですが、意外なほど温かい声をかけてもらったり、「実は私も…」と打ち明けてくれた方もいたんです。
このときから、がんを経験したことも自分をつくる要素のひとつで、もしこの経験を誰かのために活かすことが出来たら、自分の特徴や強みにだってしていけるのかもしれないと思うようになりました。取材の機会をいただいたり、人前でお話したりするのは、無意識に誰かを傷つけてしまわないかなど怖さもあるのですが、誰かの励みになることだってあるかもしれない、とチャレンジするようになりました。
ー社内公募に応募したのは、どんなきっかけだったのでしょうか?
社内公募制度の存在は知っていたのですが、自分には無縁だと思っていました。いつか、がんに関することに自分の力を使えたら…と思ってはいましたが、それは仕事ではなくプライベートの活動としてイメージしていました。
病気を経験して感じたことは、私の個人的な想いであって、仕事に持ち込むべきではないと思っていたんですね。
私の会社は、「person centered management(=人間中心の経営)」という考え方を大切にしていて、会社に所属する組織人としてふるまう前に、まずひとりの人間として感じることを大切にしようという社風があります。
そんな背景も後押しして、「仕事は仕事、自分の想いは個人の時間で」と切り分けなくてもいいのでは、と考えが変わるきっかけがありました。
前述の鈴木美穂さんらが、一昨年「CancerX」という、立場を超えてがんの課題の解決を目指す団体を新たに立ち上げたのですが、その団体のイベントに私の会社がスポンサー兼パネリストとして参加することになったのです。会社と自分のやりたい活動は別物だと思い込んでいたけど、話をしてみたら一緒に進むことができた。
「オフィシャルな仕事」と「パーソナルな夢」を融合させることはできるのかもしれない、それがずっと悩んでいた仕事との向き合い方の答えになるのではと思ったのです。
元々やりたいと思っていたことは、商材やマーケットは違えど、会社の理念とはぴったり一致していました。いつかじゃなくて今、どこかでじゃなくて会社の中でチャレンジすることに意味があると思えてきて、同じ想いをもつ社内の先輩とふたりで応募することにしました。
社内選考に伴走する講義
ー「プレイフル起業学」を受講された動機を教えてください。
ベンチャー制度へのエントリー後、書類選考を経て、事業プランをプレゼンできる10チームに残りました。5月に行われたプレゼン大会も突破し、最終の2チームに選ばれました。「やった!」と思ったのですが、そこで終わりではなく。次のステップとして、より具体的な事業計画を取締役会に提案することになったんです。
そのタイミングでプレイフル起業学の開講を知って。教授の(西村)琢さんとは元々知り合いで、Facebookで開講の告知をされている投稿を見てピンと来たんです。「プレイフル起業」というワードと、「誰かの背中を押したい」という琢さんの言葉、そして事業提案が9月で開講も同時期だったので、タイミングもぴったりだと思って申し込みました。
ー講義で事業プランをブラッシュアップすることができる予定だったんですね。
経営の承認を取った状態で受講をスタートして、事業を具体的に進めていくつもりでいました。受講生の中でも先頭を突っ走って、成果を出していくぞ、ぐらいの意気込みで。
ですが、9月のプレゼンでいろいろな方面からの指摘が入って、出直しになってしまって。2ヶ月後の11月に再審議となりました。
そうは言っても、ここまできたから大丈夫だろうと思っていたら、11月の再審議でさらに波乱を巻き起こし、またもや承認がもらえなかったんです。
私たちのプランは、ビジネス的には荒削りでラフだけど情熱があったところが魅力だったのに、それが薄まったと指摘を受けました。病気を経験しても、人生を楽しむことを諦めたくない人へ向けた事業だったはずなのに、2回目の提案は採算を取ることに注力して、目的がズレてしまっているのではないかと。
私たちのいいところが消えたという致命的な指摘を受けてしまったんです。
ー講義の最中にそんな事態になってしまって、どう気持ちを立て直していったのでしょうか。
11月の再審議でも非承認になった後、2つの選択肢があったんです。
起業ではなく、副業や社外活動としてこの事業を取り組みつつ、会社のサポートを得る方法を模索するか。もう一度だけプレゼンの機会をもらうか。
今回のプレゼンがダメだったらもう会社はノータッチ、もうひとつの選択肢に戻ることもできない、という窮地でしたが、ラストチャンスに賭けることに決めました。
11月の講義で、率直に琢さんと同期のみんなに相談しました。みんな、まるで自分のことのように真剣にアドバイスをくれて。
・審議メンバーの中のキーマンを見極めて、事前におさえる
・やりたいことは変えないが、見せ方を前回とはガラッと変える
・ターゲットの声をリアルな形でたくさん盛り込んで、説得力を高める
もらったこれらのアドバイスを全部取り入れて、プレゼンに臨みました。そうしたら、前回までが何だったのかというくらい、場が盛り上がってついに承認をいただけたんです。年末ギリギリで、ようやく翌年からの事業化が決まりました。
生徒同士で学びを生み出す
ー教授から教わるだけでなく、同期のなかでも知恵や経験を共有できる場だったんですね。
講義を通してたくさん学びがありました。
同期にはユニークな方がたくさんいて。たとえば、子ども向けのビジネスを起こしたいという方は、虫に詳しい人を探したいから、昆虫館に行って詳しそうな人に話しかけている、虫好きコミュニティで協力を呼びかけたら思わぬ炎上を生んでしまったなど、毎回アグレッシブに前進しているんです。
そういう姿を見ていると、もっともっと自分も攻めて動いていかないと!といつも刺激を受けていました。
教授の琢さんは、いつでもオープンで、とても親身になってくれました。私がどうしよう…と思いつめているときでも、絶対に深刻にならず、いつも前向きに背中を押してくれるんです。
「struggle」がテーマの回には「FARM CANNING」を起業した琢さんの奥さまの西村千恵さんがゲストにいらしたんですが、もがき試行錯誤しながらも動き続ける大切さを教わり、とても印象に残っています。
ー講義を通して学んだことで、特に印象に残っていることはありますか?
楽しさを忘れず、follow my heart で進むことでしょうか。まさに「プレイフル」に取り組んでいく。
「楽しんでやればいいよ」っていうのは気楽に聞こえますが、「正しさ」が不変ではないこれからの時代、自分の心に沿って進むことは理にかなっていると思います。
ゲストでいらしたギフティ の太田睦さんがおっしゃっていた「ロジカルシンキングは結論が1つなのでレッドオーシャンだけど、自分の体験、思いに沿って進むとブルーオーシャンを見つけられる」という言葉がとても説得力があって。自分の経験や気持ちをよりどころにしていこうと自信になりました。
ーこれから取り組まれる事業について教えてください。
最終的に会社と共同設立という形で起業することになりました。私が代表を務め、もうひとりの先輩と2人でスタートします。
今はメーカーさんと試作品をやり取りしたり、モノづくりをしている段階です。今年の後半ぐらいには製品のお披露目をしていきたいと考えています。
5月7日に会社登記を済ませたのですが、実はこれは8年前に私ががんを告知された日なんです。当時は人生がガラッと変わってしまった悲しい日と思っていたのですが、振り返ってみればこの事業を始めるきっかけになった日です。経験に意味を見出してポジティブに転換していきたい、という想いを込めて、この日に設立しました。
先輩とは書類応募の段階から一緒に取り組んでいるのですが、彼女は私が入社したときの人事部の採用担当だったんです。社内で、がんと仕事の両立などの支援制度を立ち上げた経験を持っていて、私とはまったく異なる視点を持っている方です。
「がんの人だけが、がんの人だけのために」ということではなく、広く様々な立場の方と関わることで、今までにないものを生み出せるのではないかと思っていて。プレイフル起業学でも、「自分と違う強みを持つ人と組むと良い」と教わりました。キャリアも年代も視点も違う、でも目指すところは同じという私たちはベストな組み合わせだと思っています。
最後に、水田さんにとって「自由」とはなんでしょうか。
自由については並々ならぬ想いがあって、私の人生は自由を賭けて戦ってきたと言っても過言ではありません。
私にとっての自由とは、自分で考えて、自分で決めて、自分で責任を取るということ。大切なことは覚悟をもってしっかりと引き受けて、その上で心を開いて様々な人と関わっていくことが、人生を楽しみ尽くす秘訣だと思っています。
病気だけではなく、生きているといろいろなことが起きます。マイナスだと思った経験も、あとから振り返ったら転機だったと思えるような人生を体現していきたいと考えています。
(取材:むらかみみさと)
▶︎「プレイフル起業学」 教授:西村琢
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