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様々な地球上の叡智が詰まった宇宙船地球号操縦マニュアル(バックミンスターフラー著)のごとく、物事は見立て次第で、私たちの生き方もまるっきりかわってくる。

私自身、簡易な扁桃腺の手術を施している最中にそう感じたのである。私は扁桃炎に悩まされ続けてきた。扁桃線というのは厄介者で、一度喉元が晴れ上がると1週間以上は体温の調整と喉のケアに追われる。見方を変えれば、喉元の腫れがアラートとなり身体を労われという合図となり、過密なスケジュールに歯止めかける機会となる。これも見立方で大分意味合いはかわってくる。

さて、今日の本題は世界の都市をどう見立てるか?という話。世界が徐々に分断に向かっていて、第二次世界大戦時の時のような二の舞を踏まなければよいなた、不安な面持ちで世界の情勢を眺めている。ドナルド・トランプやブレグジットが影響を与えているのは間違いないのだが、ここでいう分断とはもっとも長期的に出現している世界がいきつく先の先、成れの果てぐらいに聞いてもらえると若干トレンドごっことは分別して聞いてもらえるのではないかと思う。インターネットで個人は世界と繋がりすぎた。これが大きな理由である。何もテクノロジーの発展だブロックチェーンだなどと専門外の事をここで煽りたいわけではなく、僕たちはとてつもないスピードで深く世界とつながることができてしまったのである。インターネットさえあれば居場所が理由になることはほとんとなくなってきている。これはみなさんも実感のうちであるのだろうけど、今回ここでいいたいのは繋がりすぎたことで世界の常識やトレンドが同質化しているために目新しさや斬新さなどがとくに大都市部からはなくなり始めているように感じる、という大分自身の主観に重きを置いたこれからの都市の在り方についてである。

15年前に海外に飛び出して、それから世界を徘徊しているが、マクドナルドやケンタッキーがどこでも食べれるといったレベルの話ではなく、世の中のトレンドがそれとなく世界同時多発的にうごめいている。同時に、都市部にいてもよりその地域の特徴を表現した場所やインターネット上には取り上げられていないような情報をあえて探し出している自分がいる。メジャーに対してマイナーやインディーズという概念があるが、それにも似ている感覚なのだろう。レア感に何よりも首ったけになり、サブカルや地域に根付いた文化やそれらの継承に心底興味を持っている。

少し話を戻そう。世界が繋がりすぎるということは、世界の個性も同質化してしまうのではないか?東京よりも上海やバンガロールの方がキャッシュレスで都市の交通もライドシェアでますます便利になる。インターネットと同様に、テクノロジーによる利便性の経験が不可逆的にローテクに変換されることはない。特に都市部では。だから、便利だとか、嗜好性だとかも同質化していくのだろう。しかし、同じ先進国でも、ベルリンやポートランドにはローカルとしてのオリジナリティや哀愁が漂い、道行く人々はどうもその同質化を煙たがっているかのように振る舞う。最先端のデジタルデバイスを片手にクラウドサービスから80年代のディスコや70年代のファンクを耳に奏でながら街を颯爽とエレキボード(電動自動小型二輪)で清々しく風をきりながら移動をする。それでいて、身にまとっているファッションもファストとオールド(古着)のミックスチャー(混合)。インドですら、リミックスカルチャーとして、現代のテクノロジーを活用しながらも60年代に流行ったボリウッドスターを活用したコマーシャルや広告が現代のデリーやムンバイのヒップスターの心を捉えようとしている。クラシックが何世代もの時空を経て現代にアップデートされるのも、生活の様式や情報の伝達が急激に進化したからなのであろう。

その一方で、googleやフェイスブックを必要以上に活用せず、デジタルデトックスを推進する。その姿勢が食生活の中にも健全性を求めるようになり、やがて菜食主義者となる人も多い。ダイエットをした後に訪れるリバウンドがあるように、ベジタリアンや非動物性の食に一度は傾倒しても持続可能でなければすぐに適度な肉食生活とのアンサンブルに傾けていく。罪悪感よりも続ける"事の方が重要なのだろうか。世界を見渡せば国連が主導しているSDGsのように、地球をサステナブルに傾倒させるために必死になって働いているが、その根源となる紛争や人口増の原因を作っているのが国連が支持する大企業であることも、現代のパラドクスで少し滑稽にすら見える、

経済を動かし、政治の賛否を支配するのが私たち市民であり消費者であると信じるのであれば、これから世界がどのようにうごめいていくのか?そのディレクションをすくなくとも私は知りたいと痛切に思って世界をフラフラしている。そんな中で見えてきた世界の在り方が、ローカル思考、クラシックを飛躍させるリミックスカルチャー、そして、マイクロサステナビリティ(自分本位の持続可能性への追求)

疑う気持ちと共に、例えば日本でどこかの都市や地域を訪れる際はこの三つの視点を持ってあるてみるのも新たな発見があっておもし、いかもしれません。


カテゴリ: ☞ コラム

タグ: ☞ 本村拓人


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