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「記憶の時計」岩井謙介

新春クリエイティブチームコラム

生まれて初めて腕時計を手にしたのは、4歳ごろのことだったか。それは父からのプ レゼントで、当時流行り始めていた G-SHOCK と似ても似つかぬ様相の腕時計だったけれど、しっかりとタイマーやストップウォッチの機能がついていた腕時計だった。(確か 白、黄色、黄緑の色がついていた気がする。)だけれど小さい頃から 4 回くらい引っ越 しをしているうちに、気がつくとその腕時計はどこかにいってしまった。

ふとそんなことを思い出したのは、中学一年生の時の夏休みの宿題で出された「自分 史」を引っ張り出して読み返したことからだろう。ちょうどこの腕時計が手元で時を刻 んでいた 13 年間という短いようでいて自分にとってとても大事な記憶を、原稿用紙 300 ページ分にまとめた、人生で今のところ一番長く書いた文章だ。正確には生まれる前か らのことを書いている。

この「自分史」では、小さい頃から続けていたサッカーのことと、毎年夏に 1 ヶ月ほ ど滞在していた母の実家でもある長野県上田市での暮らしのできごとを中心に綴っている。上田では、母の姉と弟の家族もほぼ同時期に集まるので、多い時には 15 人の大家族になり、同世代の従姉妹たちと過ごす楽しかった日常は、目を閉じた時や叔父さん の車の中で聴いた昭和歌謡をテレビやラジオでふと耳にすると思い出す。美味しい野菜 や食材を使った料理を、少しこだわった器に盛り、それを大家族で食べ、何気ない日常 会話が飛び交う風景は当時の幼心にも何物にも代え難い経験となっていたのだろう。

今、年 4 冊程度出版しているライフスタイルマガジン a quiet day だが、実はこれを作るにあたり、いつも頭に浮かんでくる光景は、この上田での暮らしの経験なのだ。a quiet day −この言葉を直訳すると「静かな一日」。先に挙げた私の幼少期の経験が「静 かな」な記憶だったかというと、そうではなく、寧ろその正反対のような騒がしい日々だったように思える。けれどそこに流れる時間や空気はとても「静かな」ものだったよ うに感じている。そして同じくヨーロッパを旅する中で運命的な出会いをした北欧でも様々なシーンで同じような「静かな」メロディーを感じることができた。

時間というものは、一定方向に流れていて、戻ることも先に進めることもできないというのは一般的なジョーシキかもしれないけれど、強ち、そうとは言えないのではない かと実は思っている。人は経験を続け、その積み重なった経験を記録し、別の経験や他 の人の経験とつなぎ合わせ新たなモノ・コト・意味付け・解釈を生み出している。そう した時に、また新しい時間が生まれるのではないかと思う。

だからこの人生の中で、無くしたはずの腕時計は、その時々にカタチを変えて表れていたのかもしれない。そしてこれからも表れてくれると期待している。”静かな”メロディーに耳を澄ませている限りは。


カテゴリ: ☞ コラム

タグ: ☞ 岩井謙介


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