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「地方」に住み、「都会」で働く。豊かさを還元しあう新しい暮らし方

『都市型サーキュレーションライフ学』キュレーター / 水野綾子さん

東京から静岡県熱海市に家族で移住、都内の企業に長距離通勤しながら編集や文化人のPR・プロデューサーとして働く水野綾子さん。10月に自由大学で開講する新規講義『都市型サーキュレーションライフ学』では、地方と都心を行き来し、それぞれの良さやリソースを循環させる働き方の魅力をキュレーターの立場で伝えます。長距離の移動は大変そうなイメージですが、実はそこに今の時代に合ったさまざまなメリットが秘められているとしたら……。実践者だから分かる「サーキュレーションライフ(循環型生活)」の実情や、人生を豊かにする可能性、講義の内容について伺いました。


-もともとは都心にお住まいだったそうですね。移住を考えたきっかけはなんだったのでしょうか。

東京で働き、子育てを続けながらずっと「モヤモヤ」していたんです。というのも、都会は何をするにも便利で効率的に動けるぶん、予定を詰め込みがちで毎日忙しいですよね。仕事を終えて子どもを保育園まで迎えに行き、買い物、ゴハン作り、お風呂に入れて、寝かしつけ。翌朝も早起きして子どもを送って急いで出勤……。子育てについては、私も夫も地方出身なので「自然のあるところで育てたい」と常々思っていたんです。でもお互い今の仕事が好きだし、会社を辞めて地方移住するのは非現実的。頭の片隅に「本当にこのままでいいの?」と疑問があるのに、仕事と育児のルーティーンをこなすのに精いっぱいで、立ち止まって考える時間も余裕もない。

そんなある日、長女を公園に連れていったら「遊具がないからここじゃ遊べない」と言ったんですね。私は田舎育ちだから「その辺にある枝とかでも遊べるでしょ?」と思うわけです(笑)。でも都会で育った娘はおもちゃや遊具など、誰かが提供する“消費”を“面白い遊び”だと感じていた。「これはマズいんじゃないか」という危機感を覚えた、それがだいたい3年前のことです。

 

-地元の熱海から都内に通勤する、という方法を選択したのはなぜでしょうか。

当時は子どもがまだ小さく、よく熱を出していたので、どうしても仕事が休めないときなどは、熱海に住む親のところに預けて毎日都内まで通うことをしていたんです。品川から熱海までは新幹線こだま号で約40分、ひかり号だと30分。朝の通勤時間なら10~15分おきに電車が来ます。行き来を数年続けるうち「これなら都内まで通えるな」と手応えを感じ、生活の場を熱海に移すことをリアルに考えるようになっていきました。

そんな折、父が体調を崩したんです。私の実家は『富西寺』というお寺で、住職を務める父の跡を継ぐことは私もふたりの妹も考えていませんでした。しかし家族の誰も継がない場合、お寺は次の住職となる人に譲って家を離れる必要があります。育った家がなくなるかもしれない寂しさもあり、跡を継ぐべきか考えましたが、若い人たちのお寺離れもあって運営は大変。でももし、お寺が地域コミュニティのハブとして人が集まる場所になったら、“お寺”の存在自体が新しく生まれ変わる可能性がある。誰もやらないなら、じゃあ自分でやってみようと「私が継ぎます」宣言をしてしまいました。

 

水野さんの生家である『富西寺』は1474年創建の歴史あるお寺。前住職から受け継いだひいおじいさまから数えて、水野さんで4代目となる。

ただ仕事が好きで辞めたくなかったですし、いきなり僧侶修業に生活を切り替えるのは私も家族も負担が大きい。そこでこの機会に住居を熱海に移し、通勤して仕事を続けながら少しずつ修行を始める、という選択に落ち着いたんです。

 

-熱海での新生活に向けて、不安を感じた点はありましたか?

会社に移住を伝えるときは少し不安でしたね。「交通費の負担はできない」「遠くに住むなら辞めてほしい」なんて言われたらどうしようかな、と思って(笑)。実際は特に反対もなく、交通費の規定にある上限金額まで支給してもらえることになりました。夫も同じ不安を抱えていたようですが、相談すると特急料金を除く交通費全額を払ってもらえることに。

こういう機会でもないと、会社と膝をつき合わせて相談や交渉をすることはありません。移住に向けて自分の本気度も問われますし、会社が自分に価値を感じてくれているかも実感できます。熱海に住むのをきっかけに、雇う側・雇われる側お互いの意志を確認し、仕事とのつき合い方を見直すよいきっかけになったと思います。

 

-実際に、地方に住んで都心に通う生活「サーキュレーションライフ」を始めてみて、どのようなメリットを感じていますか

仕事も住む場所も変えて本格的に移住、となると、何もかも一から構築しなければいけないので大変です。しかし長距離通勤なら環境だけを新しくできる。仕事を続けながら、休日は地方の恵まれた自然を楽しみ、地元コミュニティとの関係性を深めてゆくなど、転職するより少ないリスクで生活に新しい変化を呼び込めるのが何よりのメリットです。

うちの夫は最初「熱海から毎日東京に通うなんてムリ」と、品川あたりにワンルームを借りて週末だけ熱海に帰る、と話していたんです。しかし通勤生活を始めて半年経ったいまは東京にいた頃よりも早く帰宅し、趣味の時間を楽しむようになりました。時間と距離の制限ができたぶん、効率を意識するようになったのだと思います。子どもたちについては、上の子が小学校に入るタイミングでの引越しでしたし、しょっちゅう行き来していたので想像していたよりもスムーズに環境になじめたよう。今では海や山に囲まれた環境で真っ黒に日焼けして走りまわっています。

 

すぐに熱海生活になじんだという子どもたち。「海に入ってバシャバシャするとか東京では手に入らないものが当たり前にあり、何でも遊びになるのが田舎のよさですね」(水野さん)。

 

-「都市型サーキュレーションライフ学」の講義は、どんな内容になるのでしょうか?

以前の私のように、都会生活を満喫しながらも、自分のキャリアや家族の環境について「このままでいいのかな?」とモヤモヤしている人はたくさんいるのではないか、と思っているんです。便利な都会にも自然豊かな地方にもそれぞれのメリット・デメリットがあります。いきなり生活を変える前に、今の仕事を続けながら地方に住む「都市型サーキュレーションライフ」を実践してみる。そうすれば、人生で何に価値を置いて生きていきたいかがハッキリと描けるようになるのでは、というのがこの講義の根底にある思いです。

ふだん考えきれない“自分自身の価値観”と向き合うワークのほか、実際に熱海に来ていただき、移住した人に話を聞く会をはじめとする、リアルな地元コミュニティに触れる機会を用意する予定です。今回の舞台は熱海ですが「都市型サーキュレーションライフ」の良いところは、自由に場所をスライドできる点でもあります。千葉でも長野でも、仕事を辞めずにライフスタイルや環境を変える、という軸で応用が効く。講義を受けて「熱海いいね」と思っていただければウェルカムですし「違う場所でやってみよう」というのも素晴らしい、と考えています。

地方と都会を「循環」すると、都会にあって地方にない意外な需要に気づくことや、都会で培ったスキルを地域の問題解決に役立てられる瞬間もたくさんあります。価値観の違うふたつのコミュニティをつなげる通訳になれるのは「サーキュレーションライフ」の実践者の強みですし、それが新たな仕事につながる可能性をも生んでいきます。

 

『富西寺』で行われた、お香づくりのワークショップの様子。お寺を地域の人に気軽に利用してもらうきっかけとしての第一歩になった。こういう企画を形にするにあたり、東京での仕事経験や人脈が役だつのだそう。

終身雇用が崩壊し、働き方も多様化するいま、ひとつの会社に依存して生きていくのはリスクでもあります。いろんな場所にコミュニティを持ち、自分の価値をさまざまな場所で広げて新たな稼ぎ口を見つけることは人生のリスクヘッジにもなります。そういう意味でも「循環生活」の経験はきっと役立つのではないでしょうか。

 

-自由大学から最後にひとつ質問です。都心と地方を行き来する水野さんにとって「自由」とはなんでしょうか。

う~ん、そうですね。自立することでしょうか。会社や家族に依存するのは、誰かのせいにできて楽ですが、自分の未来に責任を持たないことでもありますよね。心にちゃんと向き合って、選択には自分で責任を持つ。そうやって個として「自立」した人同士なら、相手のせいにすることない信頼関係が作れますし、お互いの生き方も尊重できる。自分自身で未来を切り開こうという自立した人が集まるほど、自由の輪がさらに大きくなっていくのではないか、と思います。

 

間もなく3人目も誕生予定。仕事を終えて品川駅から熱海に向かう。「新幹線の中は仕事をしたり読書をしたり。満員電車とは無縁なのも嬉しく、仕事と家庭のちょうどよい切り替え時間になっています」(水野さん)。

プロフィール 水野綾子/キュレーター

1985年、静岡県熱海市生まれ。大学卒業後、出版社に勤務。情報誌、ファッション誌の編集を経て2015年より文化人のPR・プロデュース業務をスタート。2014年頃からUターンを視野に熱海市との行き来を増やし、2017年4月より家族で移住。現在は東京に通勤しながら熱海で暮らす「都市型サーキュレーションライフ(循環型生活)」を実践。実家のお寺『富西寺』の跡取り修行をしながら熱海のまちづくりにも関わる。

担当講義:「都市型サーキュレーションライフ学
文:木内アキ、写真:武谷朋子(共にORDINARY



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